特集 塚本敏雄
 
塚本敏雄詩集 『リーヴズ』  を読む。



 ひとりの父の姿を想像してみる。その父は、時おり娘を連れてプラネタリウムに星を見に行く。ある時は、「春の星座」を。そしてある時は、「秋の星座」を。父は、幾分夢見がちで、「ぼくはいつか化石になりたい」などとつぶやいてみる。「そして考古学者が化石となったぼくを/発掘するんだ そんな/なりゆきって素敵じゃないか」そんな父に娘は声をかける。「「お父さん また眠ってたでしょ」夢見がちな父を、この世につなぎ止めているのは、この娘の存在のようだ。「娘よ 今日もしっかりと/手をつないで帰ろう」(「春の星座」)
 この父は、ほんとうにこの星の住人なんだろうか?「漂白」を繰り返し、この星に辿り着いた。その父が「デパートの家電売場を歩いていて/不意に/見覚えのある顔」に出くわす。その顔に声をかける「そっちは住みやすいか/こっちは相も変わらずさ」。父は考える。「これから先も/ぼくたちが同じ土地で同じ眠りを眠ることは/あるまいと思う」。父は、「それが自分の顔だとわかるのに/正確に二秒」かかってしまう。(「漂白」)
 妻は、そんな父が、「いつかここに現れたときと同じように/ふいと消えていなくなるのでないかと」心配している。「すっかり忘れていたけれど/ぼくは/ここではない遠い場所に生まれ/遥かな旅の途上で/ここにいるのではなかったか」(「異郷にて」)
 異郷の星に住まう父は、異郷の者たちと交信している。その交信は、この世では「ノイズ」と呼ばれる。ノイズを正しく理解するためには、魂の交信を理解するためには、「いつもぼくの上着のポケットの中にいて/ぼくの言葉に耳を傾ける」「キキと鳴く木鼠」が必要だ。(「ノイズ」)
 「気圧の谷間で/わたしの体は悲しんでいる/特にこの/二の腕のあたり」その曖昧な境界も、結界の一つであり(「梅雨のかけら」)、「気圧の低い日なんか」には、「森のはずれにさしかかる」と「もう夢の中でしか会えないひとと/ひょっこり出くわすような気がする」そんな曖昧な「森の端のような生え際のあたり」でも「ぼくの指先は今日もさまよっている」。「子どものころ通った小学校の/木造の校舎」の中庭にあった「百葉箱」、その「語感の不思議さ」もまた結界への曖昧な境界だ。(「記憶」、「百葉箱」)見舞い客を見送りがてらに、花を見に行くことにした公園の、池の表も(「水の表」)、用もないのに出かけていく、深夜の総合病院のロビーも(「深い海の淵で」)、異郷の者たちと、交信を交わすための、すなわち彼らが異郷から現れ、あるいは彼らが異郷へと消える、曖昧な境界である。
 父は、誰と交信しているのか。「知人の葬式で知っている顔を見た」けれども「声がして/驚いて振り向くと/もうすでに焼香を終えた人の群のなかに/消えている」(「消失」)。「生まれなかった子を連れて/近くの小学校の庭まで散歩にでる」。生まれなかった子に呼びかける。「寂しくはないか/寄り添うものさえなくて/だけどそれはぼくたちだって同じこと/長い旅程のなかで寄る辺なく/ぽっかりと浮いているだけ/ではないか」。「今日は会えてほんとうによかった/帰り道は大丈夫か/いや ぼくのことではない/君の帰り道」(「百葉箱」)。ある朝には「駅前で偶然に/二十年前の君を見つけた」。「最後に会ったのはいつだったか/この星の上でまた会えるとは思わなかった」(「邂逅」)。
 時には、異郷の者たちに、父は呼びかける。「鳥籠の中には」「鳥の姿だけはどうしても見えない」戦いの中で、あるいは戦いの後で、「いまおまえらは/どこらあたりを飛んでいるのか」(「in a cage」)。「もし洪水が来そうだと感じたら/村のみんなに知らせるのだと/おばちゃんは幼いぼくに言い残した」のに、いまの父にそんな「力はない」。だから父は、「食べては吐くを繰り返す少女」に「小さな声でいう」。「必ず洪水は来るけれど/それを拒んではいけない と」(「洪水」)。ある夏の朝には、「二歳になったばかりの娘が/布団の上にちょこんと座り/ひとりでなにやら言葉らしいものを/いっしんに呟いていた」。「その子は誰と遊んでいたのか」(「船出の朝」)。時には呼びかけられもする。「ものを考えるにはいい場所」の総合病院のロビーで、父は「受付など通っていないはずなのに/ふいに/自分の名が呼ばれるの聞く」(「深い海の淵で」)。
 そして父は、考える。自分がこの星にこうして暮らしているのは、幾千幾万もに枝分かれした可能性の、たったひとつの成り行きで、たまたま偶然にこうしているだけのことだったのではないか。だから、私の曖昧な境界のすぐ向こうには、失われた人、出会いそこなった人、忘れてしまわれた人たちが、涼しげな顔をして、ひょこりと姿を現しているのではないか。だからこそ、父は、こう君に説くのだ。まるで自分に言い聞かせるように。

  一条のひかり

  ときおり君は
  あの時ああしていれば と呟くことがある
  だが 本当にその時そうしていたら
    いまの君はきっと
    いまの君とは違ったものになっていた
    かもしれないじゃあないか
  だとすると
  ああしていればといま呟いている君も
  ここにはいないわけで──

  ぱちぱちと火花をあげる線香花火
   火花はいくつにも枝分かれして輝く
  枝分かれしたいくつもの可能性のひかり
   それらは一瞬だけ輝いては消えていき
   決して遠くまで届くことはない
  だけどぼくたちの時間は
   届いたところからしか始まらない
   違うか?

  君が何か取るとき
   君はそれ以外の無数の何かを取らない
   取られなかった無数の何かが
   君の周りを占めている
  それがつまり
   君の空だ

  ぼくにしても 君にしても
  そんな空を
   一条のひかりとなって飛んでいる
    のでは
     ないだろうか

 あるいはまた、「公園のベンチに寝ころんで/木立の葉群れからちらちらとこぼれてくる/ひかりを見」ながら父は考える。「生い茂る葉/これが言の葉だとして/向こうの空には/見えない理が張り巡らされ──/理とはもしかして/<言割り>のことなのだろうか などと」。「子どものころはカスミ網を張った」そして「視えない網に/知らず鳥は絡め取られる」(「リーヴズ」)。一条のひかりとなって飛んでいるぼくたちを、絡め取る「リーヴズ」。父を、そしてぼくたちを絡め取るのは、異郷の結界なのか、あるいはこの世の性なのか。