「あかたんごうだよ。ねえ、あかたんごうだよっていってんの!」
後部座席で三男が何を叫んでいるのかは、しばらくの間、不明だった。連休の中日、二男を幼稚園に送っていく車の中のことである。
「赤ちゃん号ってなあに?」
「あかたんごうだよ。それからあおたんごうに変わるんだよ」
「――あっ、赤信号か!」
「そうだよ。あかたんごうだよ。あかちゃんごうじゃないからね」
ようやくコミュニケートできて、三男は得意気だ。
「ねえ、あかたんごうってどういう意味なの? ねえ、あかたんごうってどういう意味なの? ねえ、あかたんごうって──」
「赤信号は <停まれ>、黄色信号は <注意して渡れ>、青信号は <行っていいよ>」
黄信号の解釈については諸説分かれそうだが、とりあえずわたしはそう答えた。
帽子を被り、鞄を肩から提げて三男の隣に座った二男は、まだ眠いのか、不機嫌なのか、むっつりと窓の外を走る自転車の高校生たちを眺めている。家を出る前には、庭で蟻さんたちに「おはよう!」と呼びかけたりしてご機嫌だったはずだから、会社を休んでわたしが同行することで自動車通園になったために、いつものように自転車で風を切る感覚を味わえないない朝になったことを、怒っているのだ。
「おれはね、高校生になったらギターを弾くの」
ようやく口を開いたとき、わたしたちは高校の校門近くにさしかかっていて、高校生たちの自転車の一群はいっきょに膨れ上がった。道路の脇を二列、三列に並走するので、どの自動車もセンターラインを大きく迂回して追い越していく。
プレイステーションソフト「ウンジャマ・ラミー」がきっかけだったか、二男はここのところずっと、自分がギターを演奏する姿を夢みては、うっとりしている。この子はそれに類した未来像を夢想することが多く、バイクにも乗りたいし、カッコイイ服も着たいし、というふうで、どういうわけか、不良少年志向なのである。
二男を幼稚園のドライブスルーで降ろし、駅前で買い物を済ませたわたしたちは帰途についたが、途中、交差点を渡った瞬間、ふたたび三男が怒鳴った。
「あかたんごうは、とまれなんだよ!」三男のことを、妻は「けっこう、筋道立ったことを喋っている」と指摘するのだが、わたしは、いつまでも赤ちゃんぽいという印象をなかなか改めることができないでいて、この末っ子独特のしつこくくどいスキンシップ攻撃を受けていれば、それもいたしかたないといえる。足首からみつき攻撃、ほっぺたつかみ攻撃、思わぬところから飛び降りての抱きつき攻撃で発揮される腕力は、しかし、もう <赤ちゃん> とは言いがたい。
「ねえ、おれ、大きくなった?」という幼稚園児特有の質問を日に二度か三度繰り返すのは三男も二男も同じだが、「そうだね、大きくなったねえ」と答えれば、「じゃあ計って!」ということになって、実際に計ってみると、この二人の差はだんだん縮まっていくような思いにとらわれる。
今年は三男の入園を見送ることになったのだが、もし入園していれば最大の問題となっていたであろう排便問題は、ゆるやかではあるが、どうやら収拾されつつある。一時は妻の生活を壊滅的な状況に追い込み、廊下に点々とこぼれ落ちた茶色のものを拾って食べたとか食べなかったとか、長男の友人たちが今でも恐ろしそうに口にする伝説的な事件にまで発展したものだが、最近では、わたしの机の下の暗がりや、ソファの後ろ、ベッドの下などに一人うずくまって嗚咽をもらしていることはなくなったし、長男が鼻をひくひくさせるや「ちょっと見せてみろ!」とズボンをめくり、次いで妻を大声を呼ばなければならない事態も、週にほんの数回になり、ましてや、子供たち三人での入浴中、上の二人だけが顔色を変えて飛び出てくるというような事件はほとんど起こらなくなって、手遅れ率はまだ高いながらも、自分からトイレに引きこもるようになった。しかしながら残念なことに <おねしょ> は止まらないので、寝る前に紙のおねしょパンツを履かねばならず、その際に、「おれは赤ちゃんじゃないからね」と呪文のように弁解の言辞を口にしている様子は、まあ、けなげともいえる。ある晩、わたしが買ってきた「スーパーコーラガム」を兄弟は包み紙を散らかしながら次々と口に入れ、父親が夕食を摂っているテーブルのまわりで漫画(『星のカービィ』)を読んだり、生協の配達で1ダース買ったというバナナ豆乳を「バナナの豆ぇ?」と気味悪そうに飲んだりしていたが、そのうち、二男が「うんこ、うんこ!」と駆け出していき、しかしまず台所に行ってなにごとかをしてからのちトイレのドアがバタンと閉まった。
「台所で何をしたのかな、あいつ?」と、わたし。「ああ、そうか。ガムを <ペー> したのか」
「ガムは <ペー> するのよね」妻は、まだガムを飲んでしまうことのほうが多い三男に向かって言った。
「おれもガム、 <ペー> できるよ。いっぱつでね!」三男は胸を張った。(この「いっぱつでね!」というのはこの子の好きなフレーズで、なにかを自分ができるということを言い表すときには欠かせない副詞句なのだ。「おれは一人でうんこできるようになったよ。いっぱつでね!」というふうに使う)
わたしたちの子供がユニークなのは、どういうわけかガムに <飢えて> いることで、父親のお土産は <シュワシュワの> (ソーダ味の)ガムと決まっている。朝の「行って来ます」の返事は「ガム買ってきてね?」に決まっているし、帰ってくると玄関に「ガム買ってきた?」と殺到し、コンビニの袋から一つずつ渡すのを待ちきれずに奪い取っていく姿は、進駐軍に群がる孤児の群れを彷彿とさせる(?)。
いつもながらの慌ただしいある朝のこと、玄関で、わたしは長男が出かけようとしているのをぼんやりと眺めていたのだが、靴を履きおわった彼が、さて、と立ち上がってから、無言でいるこちらを見て「なにか言うことがあるでしょ?」と促したので、思わず、こうつぶやいた。
「――ガム、買ってきてね!」