(承前)

 しばらくすると、ピンポンとインタフォンが鳴った。「はーい?」答えはなかった。少しおいてまた鳴る。「はい?」また沈黙。同じことがそれから二度起こった。「誰かがインタフォンを悪戯してるよ」わたしは妻に報告した。

「うちの子供、全員いる?」

 わたしは耳をすませ、端っこの部屋で二男と三男が何か言っているのをキャッチした。「いるよ」

 妻は玄関に出ていき、しばらくするとO君を連れて入ってきた。「お父さんが出たから怖かったみたい」

 十一時半を過ぎると、下の子から順番に、お腹がすいたと騒ぎ始めた。

「ねえパパ、<ねるねるねるね>(お菓子の名)、食べていいでしょう?」と二男。

「そんなもの食べても、お腹がすいたのは全然直らないでしょ」とわたし。

「じゃあお菓子勝手にとるからね!」と二男は憤然といい、冷蔵庫の上によじのぼったが、お菓子入れの籠は空っぽだった。「なんにも入ってない……」二男の呆然とした声が聞こえてきた。

 しばらくして、わたしは玉ネギ、ピーマン、長ネギ、ニンニクを刻み、チャーハンを作り始めた。「お父さんがご飯を作ってくれるうちはシアワセなんだよ、みんな」妻が啓蒙的に子供たちにいった。

 かなり山盛りの皿を渡したはずだったが、長男はいちはやく食べ終えて、お代わりは?と言った。一方、二男はネギがたくさん入っていて食べられない、とこぼし、早くも食卓からの撤退を開始していた。三男も様子を見て椅子から降りようとしている様子だった。結局、長男は二男のあまりを食べ、

「パパ、肉が全然残ってない!」と文句をいい、そのうち満腹したらしく、途中で「ごちそうさま」と席を立った。

「あいつ、食べるのが早すぎるんじゃないのか」とわたし。「だから食べ終えるのに、満腹感が間に合わないんだよ。犬食いだからだよ」

 そのころまでに三男はすでに二度も「ごちそうさま」をしていたが、また戻ってきて、順調に自分の分を食べつづけており、気分的には二男の残りは自分がもらおうと思っていたらしい。長男が残した二男のチャーハンをわたしがわたしの丼に開けると、はげしい抗議の身ぶりをするのだった。

「だっておまえ、まだ自分のお皿に残ってるじゃないか」わたしも知らずいやしい口ぶりになっている。

 昼食後、ソファにひっくり返って、子供たちが散らかしたままの『ドラゴンボール』を読み返していると、しつこく二男が剣で絡んで顔をつついたりするので、思わず怒鳴りつけてしまった。とたんに大きな口をあけて泣き始める。それで体温が上がったらしく、体が痒くなったからとシャワーを浴びたりしはじめたのを聞きながら、わたしはすっかり寝込んでしまった。ふと眼がさめると、子供たちがガヤガヤしながら、わたしの眠りこけていたわたしの顔の前で、ボタンインコを眺めていた。小学生の女の子(綾香ちゃん)も混じっているのでわたしはやや狼狽し、壁の時計を見ると二時間ほどたっていた。

 綾香ちゃんが「お母さんごっこする?」と言い、子供たちはすぐに行ってしまった。ぼんやりしながら聞いていると、長男たちはテレビの部屋でポケモンカードゲームに興じつづけ、二男たちと綾香ちゃんは子供部屋でハムスターのお家を積み木で作っているようだった。

 三時半を過ぎ、二男たちは綾香ちゃんと外に遊びに行った。わたしはようやく起きあがって、早くも夕飯の米を仕掛けた。休日の午後も半ばを過ぎると、急に何もやっていないという焦りに駆られ、かといって、それからでは何を始めるにも中途半端なので夕飯関係のことを始めてしまうというのが通例になっている。案の定、「晩御飯、何にする?」という言葉をとうとう妻が口にした。串カツがいいな、とわたしは用心深く答え、それから、二男はタマネギの部分をそっくり残して肉だけ食うだろうということに気づいて、

「ダメだな」といった。妻は「うちには必殺仕掛け人みたいな、こんな金串しかない」と両手を五十センチほど広げた。そんな巨大な串ではとても串カツは作れそうにない。うーん、とわたしは唸り、キッチンに行ってレシピ本を出した。

「麻婆豆腐は?」

 妻は、げっという顔をした。「もっとさっぱりしたものがいいんだけど。カツオは?」

「カツオか……」わたしは先週から続けて読んでいる椎名誠の本を思い出しながらつぶやいた。

 五時になり、二男が帰ってきた。妻は長男と二男を連れてスーパーへ行っている間に(三男はいつのまにかテレビの部屋で眠りこけていた)、わたしは洗い物をし、みそ汁を作り、ホウレンソウのおひたしを作った。

 やがて騒がしく皆が帰ってくると、今日はおろし焼き肉だということになっていた。おろし、というところが「さっぱり」を表しているらしい。といっても、大根おろしで食べているのは妻だけで、子供たちは「辛いのがいい!」と唐辛子とニンニクのタレで肉をバンバン際限なく食べるのであった。

「もう絶対に焼き肉屋に連れて行きたくないわね」妻が嘆息した。

「渋谷あたりまで行けば、食べ放題でも結構うまい焼き肉屋があるんだけどね」と、わたし。「しかし、ホットプレートだとゆっくり食べるみたいだな」

「あなたは、後でつきあってあげるからドリルを終わらしちゃいなさい!」と妻は長男に言い、次いで食器を洗いながら二男に怒鳴った。「積み木を片づけなさい!」

「ええーっ、おれひとりで?

「だってお兄ちゃんは積み木してないでしょ?」

「誰も手伝ってくれない。一人で片づけるのイヤだぁ」

「じゃあ、洗い物やってくれる?」

「いいよぉ……」

 しかたなくわたしが二男を手伝ってやり、それから騒々しい入浴タイムになった。「どかーん! ばっがーん!」と二男が長男につっかかっていき、長男が押し返す。三男は兄たちの大声に憧れの目を向けながら、わたしに向かって「うるさいねえ」といった。「さあ、お前は髪の毛と体洗うんだよ」皮膚科でもらったアトピー用石鹸サンプルで二男を洗ってやった。三男は浴槽に入らず玩具で遊んでいる。長男は相手がいなくなっても亢奮がおさまらないらしく、誰もいない浴槽で暴れ回り、「どかーん!」などと言いながら浴室の壁をどんどん叩いている。「こら!」妻がぬっと顔をだした。「マンションの壁はみんなつながってるんだからね!」

 キッチンで煙草を吸っていると、「カタナとジジイ、どっちが長い?」と言いながら、パジャマに着替えた三男が、剣と鞘を掲げながらやってきた。

「ジジイって?」と訊くと、三男は鞘を示した。するとそこにはオーナメントの図柄が成型されており、それがたしかに髭を生やした人間の顔に見えるのだった。

 それから食卓で長男のお勉強タイムが始まったが、二男たちは「牛乳! 牛乳!」と騒々しい。

「たてが先! ちょっと飛ぶ、きたない。カタカナのノ、縦、横横……そっちじゃないな。タテ……ごんべん。はねる、ちゃんと!」

 妻の声はとげとげしく、長男は萎縮している。ちょっとヒステリックなんじゃないの、と長男に同情して、わたしは何度か妻に意見したことがあるのだが、それはそれで、もうどちらもそのキビシサに馴れてしまっているらしい。第三者の入る余地はない。「ね、怒られても、なんだかうれしそうでしょ」後で妻は得意そうに言っていた。

「ママ! 牛乳おかわり! ママ! 牛乳おかわり! ママ! 牛乳おかわり! ママ! 牛乳おかわり! ママ! ママ!」と三男。

 よくこんな騒々しいところで勉強できるものである。

「これなんて読むの? え? なによ、モノゴって! パパ、モノゴって何だか知ってる?」

「ものがたり?」とわたし。

「言っちゃダメだよ!」妻は慌て、長男はにやにやしている。

「おまえ、また分度器なくしたの?」妻はまたわたしを振り返って、「この子、学校の引き出しとか全然片づけしないしさ、分度器とか三角定規とかすぐなくしちゃうんだけど、どう思う、パパ?」

「ダラシナイね」わたしは自分のことを棚にあげて答える。

「もう、もったいないよ!」

 エアコンの前で風呂あがりの汗を乾かしていると、最近置き場所をそこに変えたので、ケージの中のボタンインコが「なんだなんだ?」と近寄ってきた。二男がそれを見て、「うちのボタンインコ、羽がきれいだけど凶暴だよね」と言った。それから、「『くろねこかあさん』、後で読んでね。おれ、うんこしてくるからね」

「ぼくは『でてこい、でてこい』だよ。きょうは二つ読んでね!」と三男。しかし持ってきたのは『なんてよぶの?』と『みんなきた』だった。と思ったら、すぐにそれを持っていってしまい、また別の本を持ってきた。「ぼく、これ読めるよ。読んであげようか」と言うと、表紙の『ずかん・じどうしゃ』という文字を一つずつ右から指で差して、「むかーしの、じどうしゃのくるまの、はなしだ」と読んでみせた。それから、自分の <読み> に触発されて、「むかーしの、むかーしの……おじいちゃんです。ぱぱとおにいちゃんがありました。じどうしゃが来ました。いち、ご、なな、はち……ババババ。オーイこっちだよ……」と訳のわからぬことを言い始めた。

 やがて勉強は終わり、「さっさと歯磨いて本読んで寝なさい!」ということになった。しかし、しばらくして、「どうして、やましたたくやって人の赤白帽がうちにあるの?」という妻の声が子供部屋から飛んできた。

「あ、まちがえちゃった……」と長男のオドオドした声。

 やがて静寂が訪れ、夏休みの初日は終わった。

※   ※

 長男の日記。

七月二十日(火)くもり/晴れ

 今日、友だちとポケモンカードを買いに行くやくそくをしていた。でもお母さんは子どもだけで勝手に行ってはだめだと言った。そして、「まず、きちんと計画立ててから行きなさい」と言った。いろいろみんなで計画を立ててみると全くまとまんなかった。でも、ぜったい夏休み中に行くぞ。

 

(この稿、了)

2004年9月27日号掲載