●2003年10月13日
日記を閉じるに
あたって

text/キムチ → 護法


 

護法は、「俺やキムチのような80年代世代は、何かしら唇寒いような思いをすることなしに政治のことや戦争のことを口にできないという不自由さのなかにあった。その手の不自由さはもうこりごりなのだ」と書いている。

護法と私は、必ずしも同様の思想的出自を持つわけではない。それでも同じ時代の空気の中で、同じような雑誌や本を眺めて学生時代を過ごしてきた。確かにわれわれは表立って政治や戦争の話をしてこなかった。時代は転回し、いまや政治の時代のような様相を呈している。その時代の変化を、護法も私も同様に感じ取っていることは確かだろう。われわれはかくも不自由だったのだ、若き時代の不自由に対し、政治や戦争を語る自由を獲得し、その自由を謳歌しようではないか、と。そのためには、まずもってその政治や戦争を語る言葉を獲得する必要があるのではないか。

政治のことや戦争のことを口にできない、というより、そこで前提されている正義や、公正や、人権や、民主主義といったいわゆる普遍的(啓蒙的)な価値を疑うというスタンスの中でわれわれは(少なくとも私は)われわれの(私の)思想を形成した。それを当時流行したポストモダン思想と呼んでおいても良い。そして私は基本的にそのスタンスを変えていない。反戦の思想をどうポジショニングするかが理解できないというのは、そうした普遍的なスタンスを取ることへの疑いが、世代的な限界として、自分の中にやみがたく存在しているからだ。時代は転回した。私は私の思想(注1)が、いまの時代に通用するとは思っていない。(注2)しかし私は、私の思想を簡単に手放そうとも思わない。年を取るにつれて分かってきたことは、最大の退廃と最悪の敵は、シニシズムだということだ。無抵抗な自分の弱さを自覚するにつれ、体力と気力の衰えを自覚するにつれ、人はシニシズムの誘惑に屈しようとするのだ。必要なことは、粘り強く考えることだ。そして、あるいは、身体をはることだ。その力をわれわれに与えてくれるのは、喜びの感情であるはずだ。

交換日記を閉じるに当たって、簡単にふたつのことを取り上げておきたい。

われわれが、われわれの時代を政治の時代であると感じ取り、戦後民主主義的な思想や、ポストモダン的な思想の言葉が通用しなくなっているのではないかと疑うにいたる時代背景には、直接的にはもちろん2年前の9.11同時多発テロの勃発とそれによって引き起こされたアメリカ合衆国の二つの戦争があるだろう。それらの事件を、われわれはもはや他人事としてすますことはできなくなっている。それはおそらく、冷戦二極構造の傘が剥ぎ取られて、事件に対して、われわれがいずれにせよ直接的にコミットメントしなくてはならなくなったからだろう。われわれ日本人においては、アメリカの傘の下で、安穏と経済成長にうつつを抜かしていることができたのに、突然、国際政治の只中に投げ出されることになったのだ。この間の経緯は、日本という国家が、アメリカ合衆国の準属国であることをあからさまにしている。そこで突きつけられているのは、いずれにせよ、われわれが掲げる日本国憲法をどう評価し、どう具体化するかということだ。

そのことに関して、柄谷行人は「カントとフロイト トランスクリティーク2」(文學界十一月号)で興味深いことを書いている。その中で柄谷は、日本の平和憲法について、それ自体を第二次世界大戦が引き起こした(戦争神経症患者の)反復強迫のように見なしている。平和憲法が幾たびもの改憲論や、この平和憲法を押し付けてきた当のアメリカ自体による再軍備要求(中国での革命と朝鮮戦争時)にも関わらず、まがりなりにも護られてきたのは、宰相吉田茂の詭計によるのでも、いわんや左翼陣営のプロパガンダによるのでもない、と柄谷はいう。元来マルクス主義者は軍備放棄の政策をとらないだろうし、むしろ戦後左翼は平和憲法を保持したというより、それを保守派との対抗のために国内政治において利用したに過ぎない。柄谷によれば、改憲論に抵抗したのは、ほかならぬ日本国民(ネーション)自身の無意識の「超自我」=理性なのだ。

「占領軍、武装解除、そして、法廷(東京裁判)。しかし、フロイトの考えでは、「占領軍」とは、アメリカではなく、総動員体制の下に戦った日本国民の攻撃欲動そのものなのである。日本国民が「罪悪感」をもつとしたら、それはアメリカの策略のためではなく、日本の侵略の犠牲になったアジア諸国民が非難するからでもない。もちろん、「罪悪感」は、そのような「外」なしにはありえないとしても、「内」から来るものなしには持続(反復強迫)しないのである。したがって、この「罪悪感」はもはや攻撃性(加害)の量や質によって加減されたり、弁償によって解消されたりするものではない。それはもはや反省意識としてではなく、超自我としてあるのだから。そして、これは異常な症例ではないし、それから癒える必要もない。」

そして、柄谷はつぎのように論を閉じている。

「このような超自我をもたない「ノーマル」な国家(国民)は数多くある。たとえば、アメリカはヴェトナム戦争のあと一時的に「罪悪感」をもったが、一九九一年の湾岸戦争で「病」から回復した。だが、それによって、アメリカ国民が 「健康」な状態に戻ったといえるだろうか。 それは別の反復強迫――資本と国家が強いる――に従属しているだけである。いずれそのことを徹底的に恥じ悔いなければならない時期が来るに決まっている。国家が主権をふりまわす、あるいはそうできると信じえた「ノーマル」な時代は、すでに終わっている。国家間の「自然状態」を制約する力は、かつてないほどに強まっているのである。何らかの理念によってそうなったのではない。それは、第一次大戦、第二次大戦、冷戦において、攻撃性が未曾有の規模で露出されてきた結果なのである。もちろん、今後にも大戦争があるかもしれない。しかし、そのことは、攻撃性の内面化としての「文化」をますます強めるだけである。」(注3)

国家が外へと向ける攻撃性は、それが過酷で悲惨なものであればあるだけ、国家間でのその実行を抑止する結果を生むだろう。人類は、戦争が引き起こす未曾有の災厄を前に、現代が国家主権を無邪気にふりまわす時代ではなくなっていることを、それでも学習しているのである。日本国民は、自らの攻撃性によって内外に振りまいた戦争の災厄の、その無意識の記憶の中で生み出した平和憲法を、日本国民はたやすく手放す必要はないのである、と柄谷は暗に語っているはずである。たとえそれが、国民(ネーション)の抱く「病」であるとしても。

ふたつめに、続発する残酷な殺人事件の、被害者意識に配慮した、犯人への報復の正当化の意識と、そうした災厄としての犯罪を未然に防ぐためのセキュリティへの意識が、国民の間に高まっているという状況がある。

もはや長々と説明している余裕はないが、こうした国内の感情と、国際的な戦争に対する感情には相関したものがあって、時に短絡している。(別の原稿「ハムラビ法典」で見たとおりだ。)そうした国内外のセキュリティの相関については、例えば東浩紀と大澤真幸の『自由を考える 9.11以降の現代思想』(NHKブックス)の中でも語られている。

それらは、いまや「予防」の問題となっているのだけれど、それは身近なセキュリティ(間違いなく監視カメラは街中に溢れることになるだろう。我々がそれを望むから)から、国家間のセキュリティ(イラク戦争は、テロを未然に防ぐために行われた先制攻撃である)にまで浸透しているのだ。

充分に語る言葉をもっていると感じようが感じまいが、突きつけられた問いにたいして、なにがしかの応答をする必要がわれわれにはあるだろう。それは欧米の友人たちに対してである以上に、アジアの隣人たちに対して。そして不安を感じている、家族と友人たちに対して。グローバル化した世界で、異人は隣人なのである。

(交換日記 了)

 

(注1)思想というのが大仰であれば、「ものの考えかた」で充分だ。

(注2)たとえばアントニオ・ネグリとマイケル・ハートは『帝国』の中で、「私たちは、ポストモダニズムとポストコロニアリズムの理論が、いずれは行き詰まるのではないかと疑っている。なぜならそれらは現代の批判の対象を的確に認識できておらず、要するに今日の本当の敵をとり違えているからである」と書いている(以文社、『<帝国>』、148p)。すなわち真の「敵」であるところの<帝国>は、ポストモダニストが称揚するところの「脱構築」や「差異化」を、自ら自身の力としているからだ。しかしこのことは、われわれの思想が、時代の必然であったことも語っている。だとするなら、戦線の立て直しは、いずれにせよこの流れの中で行われなければならないことになるだろう。

(注3)外に向けられた攻撃性は、内面化して「罪悪感」(良心)を生み、それが超自我=理性を形成する。柄谷のここでのターミノロジーにおいて、「攻撃性」「罪悪感」「良心」「反復強迫」「病」「超自我」「理性」「文化」は一つの系列で相関している。けっしてそれは「罪悪感」=理性(良心)がアプリオリに存在するという意味ではない

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2003/10/06