●2003年10月6日
厚顔無恥に抗して
text/護法
→ キムチ
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古谷実のマンガ『ヒミズ』は、一人の中学生がゆっくりと自分自身を世界から排除していく過程を静かに描ききった秀作である。主人公は衝動的に父を殺し、自首することも自殺もできず、「ゴミ以下の自分の命でも、一度くらいは社会のために使ってみたい」と言い訳し、自分と同じような殺人者を見つけだして殺すことに倒錯した使命感を抱いて街をさすらう。その主人公が物語の最初の方でこんなことを口にする。「一応、この世でいちばんずーずーしい事は人の命を奪うことだろう?」そのあとのセリフは「オレはずーずーしい奴が大っキライなんだ。そんな奴、目の前にいたら本当にブッ殺してやる!」と続く。この矛盾した論理が、その後少年が落ちこむことになる地獄を示唆しているとともに、俺たち自身が抱えている闇の深さを垣間見せてくれる。
なぜ戦争に反対するのか。理由のひとつは、正義のために人を殺すことを是とすることの「ずーずーしさ」に耐えられないからだ。フセインの息子のウダイ氏だったかクサイ氏だったかの隠れ家を米軍が急襲して殺害したことが報道されたとき、おぞましさを覚えなかっただろうか。もちろん、これまでもアメリカは陰日向で敵国の要人を殺してきたが、今回のように軍事裁判にも何のルールにも諮ることなく、公開処刑のように特定の個人を殺害し、それを戦果として誇ってみせるというのは異常な事態だと思う。
戦争をおおっぴらに肯定する人は、まるで自分が厚顔無恥にふるまうことの権利でも与えられているかのようにふるまう。たいていの戦争肯定論者は、同じ口ぶりのもとで、弱者に対する差別や性暴力や売春を肯定する。お前たちも、本音はこう思ってるんだろう? 建前や偽善はやめにして、本音を語ろうじゃないか。この手の言葉は、人の魂を腐らせる。俺自身が十分に腐った人間だということを認めた上で、こうした言葉に抗う言葉を発していきたい。
とりあえず言いたいことは、とにかく自由に議論しようということだ。若い人はそうでもないだろうが、俺やキムチのような80年代世代は、何かしら唇寒いような思いをすることなしに政治のことや戦争のことを口にできないという不自由さのなかにあった。その手の不自由さはもうこりごりなのだ。うまく書けなかったので誤解を招いたかもしれないが、別に人のことを批判したり脅したりすることが趣旨ではない。血相をかえて反戦デモに殺到しようなどと言っているのでもない。(俺自身、そんなことは何もしていない。)有事法制が成立した以上、これからの反戦の立場は、デモに行くとかどうとかよりも、具体的に生活のなかで戦争協力を求められたときに抵抗できるのかどうか、という点で試されてくることだろう。夏休みは終っても、秋の夜長を楽しくすごすために、そのための戦術をじっくり考えていきたいと思う。
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