『美利河(ピリカ)』とはアイヌ語で、美しいという意味だそうだ。
舗装されていない細い砂利道に車ごと揺られながらゆっくりと走る。時折、サイドミラーに葉のついたみずみずしい小枝がバサバサとぶつかり、何か得体の知れない好奇心と不安の交錯した不思議な感覚に拍車がかかる。
しばらくすると急に視界がパノラマのように開けた。複雑だがそれでいて単純なけもの道を長時間走っていたせいか、半催眠状態の頭の神経がヒヤリとなる。
ログハウス調の小さな山小屋と、そこにつづく長い石畳。
車を降りて、りゅうりゅうと流れる川のせせらぎと濃厚な緑の匂いに歩みが止まった。自然、というよりも、世の喧噪から隔絶された異空間。雲が低く、肌に絡みつくような湿っぽい感じが、遠い異世界に足を踏み入れたという錯覚をかもしだしてくれる。
少ない荷物をぶらさげて小屋に入り、素朴というよりも原始的な暮らしの調度品のすえた匂いと、どこか懐かしいさをおぼえる柔らかい空気に、『お待ちしておりました』と迎えられる。
老夫婦に案内され客室に入る。はだか電球に布団が一組。他になにもない。現実につながるテレビやラヂオがない。サラサラと心地よい川のせせらぎと、鳥の単発的な高い鳴き声。薄い脆そうな窓硝子から、養殖池でイワナを網で捕るさきの老父が見える。
無為に原始の秀麗に揺られてみようか。申し訳程度の遮蔽物のむこうに湯気が昇り、完熟トマトの御婦人とおじいさん。浴具片手に石畳をペタペタ歩き、散策路のある林では凛とした老女が山菜狩りをしている。艶やかに、舞うような足と腰の動きに息をのんだ。軽やかに動いているが、それは扁額に納められた静止画のように見える。そのままそこに納めておこう。
一ヶ月分の驚きを三時間程で体感するのは、思い出し笑いの後の、甘い痺れのようなものが躯をくすぐったくさせるようだ。白濁した湯に浸かりながら、その心地よさは重みを増してゆく。(そういえば洗い場に蛇の抜け殻があったっけ……?)
山菜とイワナの切り絵のような盛りつけの夕飯を食べて、味の薄さに舌が渇き持参したバーボンをひとくち。温かいはだか電球の明りに、グラスの酒が妖しく光る。漆黒の空に星はなく、川のせせらぎだけが時間と空間を埋めているようだ。
妖しい酒とせせらぎに躯をひたひたと満たされ、いらないものに忙殺される日常の虚しさと、満ちていた潮が引いてゆくような途方のない淋しさ。妖しいエッセンスが一滴、また一滴と、酒の生ぬるさがてらてらと光っては揺らめいている。明日になれば東へと走らなければいけないがエイッ!とひとくち。南に下がって日本海へと流れてみよう。
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