OBOG訪問
OLDBOY, OLDGIRL

B訪問は、多数を積極的に訪問する学生とまったくやらない学生に二分される。どうしてもそこへ、という人は何人ものOBに会っていた。だからといって有利にはならないと思うが。娘は10月頃から連絡をとって、都合8名ほどに会っていた。個人情報保護法があるので、大学の就職課では住所しか教えてくれない。手紙を出してメールで返事をもらうなど手間がかかった。私も、就職した友人の娘などからメールをもらったりして情報を集めた。メールは会わなくてもやりとりができるから、やはり便利である。

 OB訪問は1月あたりまで時間をとって続いて。先方は仕事があるので、なかなか時間がもらえずに夜まで待たされることもあった。前回書いたメディアコミュニケーション研究所では、2年生のときから、OBを招いて会社の話を聞ける会というのに出ていたので、それも入れれば都合20名ほどの話を聞いたことになるか。

 結果からすると、OB訪問した会社へは2次面接あたりで皆落ちてしまい、縁はなかった。OB訪問はあまり関係ないといえばないが、これも会社によるだろう。

一番乗り
FIRST ATTACK

年間採用をしている会社もあるが、新卒採用で日本で一番早いのは日本テレビ。とくにアナウンサーは3年生の8月頃のセミナーでほぼ決まってしまうという。セミナー後に何回も面接があるが、セミナーで、だいたいこの子と目をつけてしまうらしい。娘も練習台として日本テレビのスタッフ職系へ応募。ES通過後、WEBで筆記だったか、それを通過して1次面接は11月の中旬だったと思う。これが一番早い、たった3分間のベルトコンベアー面接だった。これで何がわかるのだろう(笑)。TV業界人ならではの勘、それとも容姿? 1次面接落ちだったが、まあ、練習にはなった。テレビ局は他にテレビ朝日を受けたが、ES、筆記後の面接へは進めなかった。

 日本テレビに制作希望でESを出したゼミの友人、法学部H君は、みごと6次選考を突破(4次あたりは3泊の合宿選考で、制作の実技試験もあったらしい)、1月末あたりに他局を辞退するなら内定を出すと電話がかかってきた。友人の中ではもちろん一番乗り。フジの選考も進んでいたが、一晩考えて、受けると返事したそうだ。H君は貧しい国などを旅行していて、カンボジアでドキュメンタリーを撮っていた。この9月にはルワンダでも撮影をしてきたそうだ。K大の学祭で私も見たが、才能ある映像と思ったので、納得できる内定だった。もちろん縁故などなし。3年の1月試験前に内定し、他をほとんど受けずに内定したので、シュウカツの苦労はほぼなかったという珍しいケースだ。良い番組を撮ってほしいと今後かげながら応援したい。

いよいよ本番へ!
JAN, FEB, MAR

10月頃になると、東京ドームやビッグサイトで合同セミナーというものが開催される。12月までは結構多く、日時を指定される個別セミナーなどもあった。娘も出かけていって感触をつかんだようだが、それほど大きな収穫はなく、今思えば授業の合間にわざわざ行くほどのことはない。どうしてもという会社だけを押さえるのでよかったように思う。

 後期試験も1月半ば過ぎに終わり、いよいよ本番へ突入。

 まずESで応募。メーカーでは長くて1500字。メディア系は当然もっと字数が多くA4判で数枚など。形式もいろいろで、好きな写真を貼る、絵も可、まったく自由、各社工夫をこらしている。おかしな質問もあって、ヘンな会社もあるねと言い合った。ある人気メーカーでは、アナウンサー応募でもないのに「あなたらしい全身スナップ写真を3枚」という疑問で面倒な要求があり、これは私が撮影したが、服を考えたりして時間がかかった。

 夫の親しい友人が銀行の重役で、お願いすれば確実に内定がとれたが、娘は金融だけはイヤと言う。他が全部ダメだったら、金融は採用多数だから最後に自力で受けると娘は言い、最後まで金融系はイヤがっていた。そんなわけで、いっさい縁故はなしで受けていくことになった。

 娘の志望は出版系だったが、30〜1000倍という競争率を突破するのは無理だろうと諦め、金融系以外はあまり業界にこだわらず、80社ぐらいにESを出した。ESを通過、筆記、面接に進めたのはそのうち20社ぐらいか。従業員数1000人以上の大手がほとんどだったが、中小企業も10社ぐらい受けた。 100名以下の小出版社にも応募したが、筆記、面接日が重なると変更できずに諦めたところもあった(出版以外は、1次面接あたりまでは頼めば変更できた)。

 夫の友人によれば、某大手銀行では文学部女子の総合職採用はしないらしいが、ホームページにはそんなことは一言も書いていない。別な業界でも、総合職じゃないけどいいの?と2次面接まで来て言った会社があったそうだ。 地方出身の子だと、やはり総合職でないと、ギリギリの東京一人暮らし生活をするか、貯金や援助がないと無理だろう。その点、娘は東京在住なので、お給料が安くても選択肢は広がっていた。

 休みなしで2週間も会社を回るなど、2、3月はキツイ日程だった。幸い、風邪もひかずのりきった。

2007年12月17日号掲載

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