車はスピードを上げた。もう100キロを超えているが、後の車はぴったりと付いてくる。道路事情の良いヨーロッパでも一般道でこれ以上のスピードは無理だ。二台の車は30メートル程の車間距離のままブリュッセル市内から郊外に出た。

 ヨーロッパ連合(EU)の本部が置かれているブリュッセルはベルギーの首都でもある。首都といっても人口はわずか130万人。車でものの20分も走れば美しい緑の中だ。

 駐EU日本大使夫妻は、王宮でのパーティの帰途であった。居並ぶ紳士と着飾った淑女たち。シャンデリアの輝くダイニングルーム。素晴らしく豪華なディナーに華やかな舞踏会。日本人外交官にはありがちなことだが、大使もヨーロッパ流のパーティにはあまり馴染めない。ボールルームの片隅で所在なく立ったまま時を過ごしていた。

 だが、大使よりひとまわり以上若い夫人はヨーロッパ人たちにも人気が上々であった。次から次へと誘われるダンスに応じ、笑顔を振りまいていた。大使夫人は車のシートに身を沈め、パーティの余韻に酔っていた。

 車は森を通り過ぎて、閑静な住宅地を走っている。午前1時を過ぎ、辺りは静まりかえり、出会う車も無い。ただ一台、ヘッドライトを上向きにしてブリュッセルからずっと付けてくる車以外は。

 大使夫人が後ろを振り向いた。

 「どうしたのかしら、あの車。ずっと追いかけてきているみたい」と、つぶやくように言ったが、大使は目を閉じたままだ。少しでも早くベッドに入りたいのだろう。疲れた顔をして夫人の言葉には答えなかった。

 家並がとぎれ、また森の中に入ると、突然対向車が現れた。ライトを点けずに走ってきて、大使の車をみとめるとセンターラインを越え、いきなりヘッドライトを上向きに照らした。

 「ああっ」と、運転手が慌ててブレーキを踏んで急停止した。対向車と後ろから付けてきた車が大使の車を挟んで止まり、黒い服にサングラスの男たちが次々に飛び出してきた。

 男たちは大使の車を取り囲んだかと思うと「プシ」とウインドを開けていた大使の運転手に発砲した。弾丸は額を貫き、運転手はその場で動かなくなった。

 大使夫妻は驚きのあまり言葉も出なかった。二人の男が運転席のドアを開け、死んだ運転手を押しのけてハンドルを握った。

 そのまま車を発進させ、200メートル程進むと、大型のトレーラーが停車していた。大使夫妻を乗せた車は、そのまま呑み込まれるようにトレーラーの荷台に収まった。トレーラーはすぐに走り出し、闇の中へ消えて行った。それきり大使の行方は知れなかった。

2004年8月23日号掲載


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text / 鈴 木 武 史

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●「神の剣」掲載にあたって●