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その昔、僕の最初の男が責めた。おまえは、俺に父親を求めるのか、と。
僕は言われるまで気づかずにいた。だが、言われて初めてそうだったのだと自覚した。ただ、そこいら辺の無邪気なファーザーコンプレックスの少女とは、その求めるものが違っていることにも気づかされてしまった。その男だけではなかった。何度男と付き合っても、望みは叶えられなかった。土台無理なことくらい分からない訳ではなかったが、父を求めて止まなかった。そして、その時々の男に、そのことを甘く、厳しく指摘された。今も、僕が父を重ね合わせようとして、仕損なった男が同衾している。優しさや、特に、時折立てる歯軋りの音はよく似ていたが、当然のことながら夫もやはり似而非だった。
「また、お義父さんの夢を見たのか?」
嗚咽を堪えながら、頷いた。
それまでパジャマの上から尻をまさぐっていた夫の指が、遠慮がちに裾から忍び込んできて、陥没した未熟な乳首に添えられた。夫の愛撫は、その性格と同じく限りなく優しい。
労るように肌の上を辷る柔らかなタッチは、幼い頃父の膝に抱かれ頭を撫でられたときの感覚を彷彿とさせ、夫の指先に甘く切なく当時の父を追懐していた。
父の顔を脳裏に浮かべ、父の声を鼓膜の奥に響かせると、柔らかく落ち込んでいた乳首が徐々に凝って、夫の指先に密着した。その感覚に、ぞわりと肌が粟立ち、ますます乳首が硬く尖った。
僕は、パパと呟きそうになり、代わりに密かに震える息を零した。
夫にパジャマのボタンを外されながら、ぼんやりと父が死んだ夜のことを想い出していた。
長年の闘病で、痩せ細りすっかり小さくなってしまった父の体が、三年を経て尚鮮明に浮かんだ。
父は、肺を患っていた。
X線を撮るたびに、白抜きに映る肺の影は面積を拡げ、終いには数分の一しか機能しなくなっていた。そんな状態だから酸素吸入器を常用していたが、フローメーターの中のフロートが酸素に吹き上げられふるふると震え、その天井にくっ付きそうなのを視る度に、不安に胸が軋んだ。それは、これ以上の酸素は供給できないということだった。それだけの量を吸入しているにも係わらず、父は苦しそうに肩で息をしていて、そんな父を看なければならないのは実に忍びなかった。
その晩、僕は何故かなかなか腰を上げられず、病室に留まっていた。
その頃には、近しい人に会わせておくようにと言われるような状態になっていたので、昼間は僕が、夜は仕事から帰った母が、病室で付き添っていた。当時、僕は夜の仕事から足を洗い、何とか真っ当な仕事についていたのだが、弱った父を独りにすることなどできず、勤めを休んで看病に通っていた。
朝、豆腐と少しの挽肉と、野菜とを柔らかく煮込んで持っていった。食事など殆ど喉を通らなくなっていた父だったが、とにかく何か作ってあげたかった。昼食にスプーンで掬って口に運ぶと、拙い料理を何度も美味しいと言いながら食べてくれたので、ドクターの見立てなど忘れて、これなら快方に向かうのではとさえ思えてきた。
「たくさん食べたから、ご褒美あげるね。」
抱きしめると、父の頬にキスを落とした。伸びた髭が、唇を擽った。父の微笑みに、僕は満面の笑みを浮かべると、子供の頃父がしてくれたように頬ずりをして、痛い、痛いと言ってまた笑った。
窓から射し込む月明かりに、胸の頂が尖っているのが照らされていた。脱がされて、背中の下で丸まったパジャマが、すこし鬱陶しい。夫の唇が、小さく凝る乳首を含んで、舌先で舐った。左手は飽くまでも優しく、もう片方の凝りを撫で摩っている。優しくて、単調な愛撫は、倦んでしまう。
僕は、彼の肩を抱いた。体が密着され、少し伸びた顎ひげの剃り跡が乳房をザラザラと刺激して、快が増してきた。更に密着するようにと、夫の首に手を廻すと擦りつけた。
臨終の日と、子供の頃との、父との頬ずりを交互に想い出しながら、僕は濡れていた。
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