プルートで朝食を

 急な私用のため、一週間のご無沙汰を頂いた当コラムですが、今回が記念すべき(?)10回目となります。

 映画業界では、夏休み映画も全て出揃い、ちょっと一息といったところでしょう。そんな中で今回ご紹介するのは、『プルートで朝食を』という作品です。

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 本作の公開は、東京では6月に始まっており、既に多くの地域で公開が終了しているといった状況。私の住む大阪では、かなり遅れて8月中旬の公開となりました。

 前評判も大変良く、大きな期待をしていた本作ですが、大阪では僅か2週間の公開(しかも2週目からは上映回数減少……)という不遇ぶりに愕然としたものです。最低でも3週間の全日上映を予想、ひょっとするとロングラン上映も夢ではないと予想していただけに、この扱いは大いに意外であり、余裕を持った観賞スケジュールを立てていた私としては、大慌てで予定を変更し、相当な強行軍で本作を観賞したものです。

 そこまでして観賞した甲斐があった!!

 心の底から快哉を叫びたいという衝動が、観賞から既に数週間を経過した今でも、相当な熱度を保ったまま我が胸中に留まっています。その幸福な衝動を、今、こうして文章としてぶつけることが叶っているということ。これは、映画を愛する者として至福の時と言わずにいられません。

 実は、既に多くの地域で公開が終了している9月上旬というこの時期に、本作を『〜新作映画おすすめレビュー〜』として採り上げて良い物かどうか、少し悩んだものです。しかし、このコラムをお読み頂いている方々と、本作に出会えたことの喜びを、これから初公開される地方や、二番館、あるいはDVDなどを通じて、共有できる可能性は間違いなくある! そう思うに至り、本作をご紹介することを決意したという次第です。

 観賞直後に、私は、自身のHPなどで、本作に対して【もし、映画を実際に抱き締めることが出来るとしたならば、僕の持てる優しさだとか愛だとかいったポジティブな感情の全てを我が両手に込めて、この作品を力いっぱい抱きしめたい。壊れないように、けれどしっかりと抱きしめたい】と繰り返し書きました。これは、私の表現し得る最大級の賛辞であり、その思いは、こうしてこの原稿を書いている今も何ら色褪せることはありません。本作をご紹介できることは、私にとって紛れもない歓びと言えるでしょう。

【政治的転換期という激動の時代を迎えつつあった1960年代後半のアイルランド。とある小さな町に佇む教会の前に、生まれたばかりの赤ん坊が置き去りにされる。ブレイデン家の養子として迎えられたその赤ん坊はパトリックと名付けられるが、成長と共に、男の子らしからぬ行動・言動を示すように。女性物の衣服やお化粧に興味を示すパトリックは、やがて自らをパトリシア・“キトゥン”・ブレイデンと名乗るように。眉目秀麗な青年へと成長した彼は、理解のない田舎町を飛び出し、実の母を探すためにロンドンへと向かうのだった。そして、その旅は、キトゥンを大いに傷つけ、そして癒すという、大いなる自分探しの旅になるのだ……】

というストーリー。

 監督は『モナリザ』『狼の血族』で注目され、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』でヒット・メイカーの仲間入りを果たしたニール・ジョーダン。

 主演は『バットマン・ビギンズ』で悪役:スケアクロウを演じて印象を残した若手注目株のキリアン・マーフィ。その他、ニール・ジョーダン作品の常連であるリーアム・ニーソン、スティーヴン・レイ、ブレンダン・グリーソンらが、実に味わい深い演技で脇から作品をがっちりサポートしている他、ルース・ネッガ、ローレンス・キンランといった若手が瑞々しい演技を披露しています。更に、イアン・ハートが新境地と言える好演を披露しているのも見所の1つ。加えて、ギャヴィン・フライデーやブライアン・フェリーといったミュージシャンが俳優として出演しているのも、ミュージック・ファンにはたまらないところでしょう。

 原作は、パトリック・マッケーブによる同名小説。映画化にあたり、ニール・ジョーダン監督と、パトリック・マッケーブが共同で脚色にあたっています。

 さて、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』で大成功を収めた後のニール・ジョーダンは、日本において意外なほど冷遇されてきたように思います。 ヴェネチア国際映画祭で、 リーアム・ニーソンに主演男優賞をもたらした大作:『マイケル・コリンズ』は、驚くほど小規模での公開でしたし、『ブッチャー・ボーイ』(大傑作!!)『イン・ドリームス/殺意の森』(これは失敗作でした……)はまさかの日本劇場未公開。味のある佳作として好印象だった『ギャンブル・プレイ』も、B級映画の殿堂といったイメージの銀座シネパトスでひっそりとした公開をされたのみで、大きな話題を集めることはありませんでした。この10年では、唯一、『ことの終わり』が単館系で好成績を残したのみで、日本におけるニール・ジョーダンの存在は日を追うごとに薄くなっていったと言えるでしょう。以上のように、ニール・ジョーダンの熱烈なファンとしてはやきもきする日々が長く続いたわけです。

 本作は、そんな鬱積を一挙に取っ払ってくれるだけの大傑作なのです。個人的には、日本では不幸なことに知る人ぞ知るカルト作となってしまった感のある『ブッチャー・ボーイ』と、ニール・ジョーダン作品のベストを争う快心の出来だと受け止めています。

 ここで重要なのは、『ブッチャー・ボーイ』の原作小説も、『プルートで朝食を』と同じパトリック・マッケーブの手による物だという事実。映画作家と小説家としては最高の相性を誇っていると言えるこの2人の出会いは、世界映画界にとっても奇跡的で幸福な邂逅であると断言しましょう。マーティン・スコセッシにロバート・デ・ニーロという俳優と巡り会ったのと同じように、ジェームズ・アイボリー監督にイズマイル・マーチャントというプロデューサーが存在したように、ニール・ジョーダンとパトリック・マッケーブの関係も <黄金コンビ> と言えます。

 陰惨な少年犯罪とそれに付随する暴力を、ブラックなファンタジー性を持って映像化した『ブッチャー・ボーイ』は、一見すると、本作の対極にあるかのようなイメージの相反をもたらしますが、よくよく見ると、なんのなんの! 『ブッチャー・ボーイ』と本作は、作品がもたらす表層的なイメージこそ対極にあるように思えますが、その内包する魂は同種の物。いずれも、一般的(とされる)世間からは疎外・迫害・排斥の対象となる主人公に、アイルランドの激動を背景に据えて綴られるファンタジー色を纏った人間ドラマであるという点は共通しています。

 しかし、本作全体に漂う深い愛情を孕んだ眼差しの優しさ・温かさと言ったら!!

 1960〜80年代にかけてアイルランドを支配した重苦しい政治的背景や、性同一性障害を抱えた主人公、貧困に喘ぐ人々や育児放棄などを盛り込んでいると聞くと、相当に鬱屈した重苦しい作品を連想しますが、本作はそういったヘビーな要素をそのまま描き出す事を巧みに避けています。作品の語り部として、CGで描かれたツガイの小鳥を用意したり、ポップな画面設計や、幻想的な撮影表現、ユーモア溢れる台詞やキャラクターを全編に散りばめることによって、どこかしらファンタジックだったり、ポップだったりという、軽め、あるいは温かな印象を与える作劇を、計算の下に志しているという印象を受けました。また、タイトルにある「プルート」というのは、最近その存在性を巡って大きな話題となった冥王星のことです。言わば、『冥王星で朝食を』というタイトルは、これまたファンタジックな軽味を伴っており、そこに本作が志向するテイストが如実に表れているように思えます。

 ひょっとすると、性同一性障害(トランス・セクシュアル)を抱えたパトリック(パトリシア)というキャラクター設定に、作品を鑑賞する前から生理的な嫌悪感や偏見を感じる方もいらっしゃるでしょう。しかし、本作には濃厚なラブシーンがあるわけでもなく、決していたずらに性的モチーフが散りばめられているわけでもありません。 本作が、 パトリックの姿を通して描いているのは、決してゲイでもオカマといった限定的なセクシュアリティ(そもそも、トランス・セクシュアルの人々は、厳密に言うとゲイでもオカマでもないのです。魂と肉体の逆転が見られる彼らは、精神的に同性愛者ではないからですね)に根ざす感覚・感性ではなく、もっと大きな愛。自分らしさを目指す自己に対する愛と、自分を愛してくれる人々に対する愛を描き、それはラストで更なる広がりをもった人間讃歌に昇華されるのです。

 先入観から本作を観賞することなく避けてしまうこと。それは、その方にとっての損失に他ならないのではないかという疑問を感じたため、敢えてその部分を指摘し、その上でおすすめしたいのです。

 第一稿の脚本を完成させ、主役のオーディションまで行っておきながら、しばらく放置されていたこの企画に対して、キリアン・マーフィは「早く作ってくれないと、あと3年もすれば僕はこの役を演じる事ができなくなってしまう!!」とアピール。その言葉がニール・ジョーダンを動かし、この愛すべき傑作の誕生を促したとのことですが、そのキリアン・マーフィの熱意は、演技という部分にも大きく作用し、本作にとって最も重要な魂を作品に込めることに直結しています。その熱意は、ニール・ジョーダン監督だけでなく、作品に関わる全ての人々に伝播し、最高の形となって有形化されたと言えます。

 音楽(特に70・80年代グラム・ロック)が好きという方にも、是非おすすめしたくなる本作は、 <壮大なるグラム・ロック、サイケデリックのシチュー> と形容される原作のテイストを更に推し進め、【映画×音楽】のコラボレーションとしても見事な結実を見せています。サントラ最高っ!!(そもそも、グラム・ロックにおけるユニセックス性というものは看過できない重要な特色でしょう)

 本作は、私にとって紛れもない宝物。数ある私と映画との幸福な出会いの一頁に、本作との出会いも刻み込まれることとなりました。この宝物を、一人でも多くの方と共有したい! 心の底からそう思わせる珠玉の名編として、今回、敢えて本作をご紹介・おすすめさせて頂きます。

 それでは、また劇場でお逢いしましょう!!

プルートで朝食を

2005/アイルランド=イギリス/カラー/127分/配給:エレファント・ピクチャー

監督:ニール・ジョーダン 原作:パトリック・マッケーブ 脚本: ニール・ジョーダン 撮影:デクラン・クイン 出演: キリアン・マーフィ リーアム・ニーソン ルース・ネッガ

2006年9月11日号掲載

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