スーッと、心に染み入ってくる優しさと感動がある。劇的なものなんて何一つない。絵空事なんていらない。血の通った人間がいて、その周りに人間がいて、そしてさらにその周りをより多くの人間が取り巻いている。それが社会というものだ。そこには、それぞれのドラマがある。一人一人違った人生がある。そう、社会とは、そんな一人一人のドラマの集合体なのだ。
心の底から平和だと思えるひとときを過ごしても、すぐ近くを歩いている人は、その時、抱えきれない問題につぶされそうになっているかもしれない。一見、何の変哲もないように見えて、社会は、世界は、悲喜こもごものドラマに満ち満ちている。そこに人間がいるからだ。
本作は、ある1組の夫婦を中心に、彼らと、彼らを取り巻くドラマを描いている。いや、描いているんじゃない。ただ見つめているのだ。橋口亮輔という、日本映画界が誇る人間ドラマの名匠が、映画を通して、人間を見つめているのだ。それはきっと、痛みと苦しさを伴なう作業だ。けれど、橋口亮輔は逃げずに見つめ続けた。
彼がこれまでに発表した長編映画は、『二十歳の微熱』『渚のシンドバッド』『ハッシュ!』の3作品。そのいずれもが、 <ゲイ> である自身の目を通して見つめられたドラマであった。その3作品は、いずれも秀作であった。しかも、作を重ねる毎に、よりその素晴らしさを増していた。しかし、「次で同じことをやっていては厳しいかもなあ……」と感じた。「次は、外に一歩出てみようよ、橋口さん」、そう思っていた。嬉しいことに、彼はその一歩を自ずと踏み出した。
きっと苦しかっただろう。囲いの外は未知なる世界だ。己は裸同然の状態。周囲は未知の脅威が満ち溢れている。それも社会だ。世界だ。けれど、橋口亮輔は引っ込まなかった。うつ病になった。怖かった。けれど、人間を見つめ続け、映画にかじりつき続けた。そして、本作が完成した。橋口亮輔は、ここで父となり、母となった。苦しんで、傷ついて、そうしながら、本作を産んだのだ。これほど豊かに、これほど温かく、そしてこれほど優しく人間を見つめた映画、ほかに知らない。
この感動は、劇場で味わってこそだ。場内に入り、やがて照明が落ちる。ほどなく映写が始まる。その後、貴方は140分、闇の中で光を放つスクリーンを見つめ続ける。この時、貴方は、橋口亮輔が見つめたものと同じ視線になる。その間、様々な感情が揺さぶられることだろう。そして、上映が終わり、明るいロビーへ足を踏み出した瞬間、貴方は観賞前より満ち足りた気分になっていることに気付くはずだ。その充実感を、是非味わって頂きたい。1人でも多くの人に、本作を観て欲しいと願う。だって、これは貴方の宝物になる映画なのだから。
ぐるりのこと。 http://www.gururinokoto.jp/
6/7〜 東京:シネマライズ、シネスイッチ銀座