『こどものじかん』、今まで敬遠していた作品だ。作者は『さくら咲いちゃえ』『青春ビンタ!』など青年誌での学園モノ――つまりエロ・下ネタありの作品も持つ私屋カヲル。本作の存在はアニメで知ったのだが、その内容は小学生が主人公だという。ぼくはそっち方面にはあまり触手、もとい食指が動かない(はずだ)し、こんなのを見ていたら何を言われるか分かったものではない。アニメもコミックもスルー。そして今回、女性の知人に強く勧められて本作を読むこととなった。読み始めて3巻あたりまでは、ラブコメと下ネタを盛り込んだ教師と生徒の成長モノだと思っていた。しかし、そう簡単には済まないことを次第に思い知らされることになる。
主人公・青木大介は着任して3年1組の担当となる。そこで出会ったのは九重りん、鏡黒、宇佐美々の3人の生徒。この3人相手に彼の奮闘の日々が始まるのだが、考えてみれば登場人物が意外に少ない。3人だ。たった3人だと思うだろう。しかしこれがたったなんかではない。3人はそれぞれの思いを抱き、別々の道を歩んでいく。もちろん現実では当然のことではある。青木が3人と関わるほどに、それぞれの世界が驚くほどの勢いで深まっていく。
主人公以外の人物も深く掘り下げて描かれているのが本作のポイントだ。たとえば、一見して手のかからなさそうな宇佐美々。キャラは濃いものの、あまり影のない鏡黒。普通に考えれば、キャラとしても一番魅力的な九重りんにのみ焦点が当たりそうなものだし、この作品のテーマだって教師・青木大介と九重りんの成長と言えるだろう。しかしそれ以上に作者は、それぞれの登場人物の生き方を丁寧に掬い上げようとしている。各人物への視線はとても丁寧で、優しい。これはもはや作者の愛である。愛が溢れ出している。
多くの作品が、プロットや盛り上がりをあまりに重視するために、ドラマティックな展開をさせようとする。そうすれば必然的に誰かが傷つくし、そうでなくても物語としての一貫性はなくなっていくものである。本作もその危うさをはらんでいる。特に6巻の終盤、りんは性に目覚めるにまで至る。保護者のレイジが、ナボコフの『ロリータ』さながらにりんに執着していることが明らかになったうえでのこの場面だ。しかも小学4年生の自慰とはあまりに危険な描写ではないか。一部の読者は離れていくようにも思われる。
ここに至って、私は後期の『彼氏彼女の事情』(津田雅美)を思いだす。『彼氏〜』の当初は、登場人物の魅力的なキャラクターが生き生きと動き回る新鮮な作品だった。しかし後半では一気に深刻でドロドロした内容に方向を変え、まるで昼ドラのような暗い刺激を前面に押し出したものとなっていった。絵は巧くなっていくのに、登場人物の魅力は急速に褪せていってしまう。あのようなことになってほしくないのだ。
“性”は作品を彩るものであるが、しかし物語にとって非常に危うい。これまで、教育のありかたや子どもの発達、そして相互に影響し合うなかでの「育ち」を見事に織り込んできた本作が――たった6巻で何度も息を呑むような面白さを示してきた本作が、些細な毒によって壊れゆく姿だけは絶対に見たくない。どうか、どうか壊れずに書き終えてほしい。これはもはや祈りだ。作者の「愛」が壊れないことを、読者の私はいつしか「祈り」始めている。