最も冊数が売れたのは、1995(平成7)年の9億6,756万冊である。稼働人口数が 8,700万人であるから、稼働人口一人当たりの購買冊数は11冊、人口一人あたりでは
7.7冊である。この年は日本人が歴史上で最も本を読んだ年だったに違いない。厚さはわからないが一月半に一冊本を買って、友達に借りたりしたかもしれないから、殆ど毎月本を読んでいたに違いないのである。この年の、新刊一冊あたりの売上冊数の平均は、16,593冊である。新刊点数では、勿論99年の62,000点のほうが多いが読まれた、あるいは売れた本の量では95年が史上で一番なのである。
この年はどんな年だったかというと、年初に阪神淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があり、東京と大阪の知事に青島氏と横山ノック氏がなった年でもある。ベストセラー本では「松本」と「ソフィーの世界」がミリオンセラーになり、反対に雑誌「マルコポーロ」が『ガス室はなかった』で廃刊になった年でもある。世間に、例年にない危機感・緊張感の走った年であったということは出来そうである。であるが、この緊張感が押し上げた分か、翌年から落ちはじめて、売れ行きは遂に99年には2億冊近い落ち込みとなっている。
1980年から85年が、もっとも一冊あたりの売上冊数の多い年である。一冊あたりで、25,000冊を越える。この時の新刊当たりの稼働人口は、2,600〜2,800人である。一人当たりで9冊前後の購買である。この年の新刊点数は28,000点から31,000点である。この頃が最も出版界にとって理想的ないい時代であったと言うことも出来るかも知れない。しかし、返品率で見ると80年の34%から36、37、39%と上がって、85年には39.5%を記録している。このような水準はその後なくなって、大体33〜35%で90年代は過ごしているが、いずれにしろ返品率の上昇は新刊効率の低下を意味してはいるだろう。つまり、新刊を支えたある種の問題意識の限界を意味していると言えよう。
返品率が30%を越えたのは、1956(昭和31)年からである。「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言した翌年からである。これが出版界に解放感をもたらしたかも知れない。
56年=31年から返品率を並べると次の通りである。
33・34・35・35・35・35・35・35(63年=38年)
36・36・37・37・37・37・35・35・33 (72年=47年)
30・28 (74年=49年)
30・33・34・35・33・34 (80年=55 年)
36・36・37・39・39.5 (85年=60 年)
38.5・35・35.1・34.4・33.9 (90=2年)
33.2・33.6・33 .6 ・33.6・35.4 (95年=7年)
以上の39年間のうち、返品率が30%を割ったのは昭和49年1974年の1年のみである。しかしながら、このうち73年(=48年)から92年(=4年)までの20年間は、新刊一冊あたりの販売部数は20,000部を越えているのである。越えているにも係わらず返品率は、28〜39.5%の間を上下して推移しているのである。返品率が高いから本が売れていないのではなく、新刊点数の増加率が高かったせいではないかともおもわれるが、それもハッキリとした結論ではない。
新刊は、56〜90年までの34年間で170%、25,593点増加している。毎年752点平均増加している、年間比率にして2.9 %。これが返品率にプラスに働けば年々返品率は下がるわけだし、マイナスに働けばそれだけ返品率は増えるわけだが、いずれもそうはなっていない。出版人の経験と人知が、そのいずれもセーブしたと言えないことはないかも知れない。
1990年の新刊点数は約40,000点である。これが急速に延びて99年(=11年)には62,600点に増えている。10年間で56%、22,600点の増加で年あたり
2,260点である。年間の伸び率は10%である。元の数字からすれば格別多いわけではないとも言えるが、読者は無限ではないのだということを考えると、はたしてどうだろうか。
試みに稼働人口をベースにして、年間における読書数をみると次のようである。
1955年(=昭和30年)は1.8 冊、60年(昭和35)2.0冊、65年3.2冊、70年4.5冊、75年6.7冊、1980年=昭和55年は8.8冊、85年(昭和60)9.5冊、90年10.7冊、95年11冊でこれが一人当たりとしては最高水準に達している。がしかし、翌年からこの数字は下降を始めて99年=平成11年には9.1冊と80年代の水準に戻っている。
活字媒体としての書籍の、読書量はすくなくともこれ以上は大衆化することはなかったと言っていいかもしれない。出版メディアによって情報をえるというのは、極めてクリエーティブな行為である。インターネットによって代替できる部分ももちろんありえるが、全てではない。文章表現による認識に係わる側面、即ちクリエーティブな側面は出版メディアによらざるを得ない。その意味で、出版メディアによる大衆化には限界がある。
いずれにしても、出版メディアによる情報の大衆化は、95年が最高水準であったというのは、インターネットによって大衆化出来る情報と、出版メディアによってしか大衆化出来ない情報が遂に一つのクロスセクションを迎えたと言うことを意味しているのかも知れない。
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