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世界評論も、新生社も青磁社もふもと社も鎌倉文庫も板垣書店も桜菊書院も、今は出版社名簿から無くなってしまっている。いろいろな歴史を捨象したとしても、むしろ、残っているほうが珍しい。
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ベストセラーと言ってもどのくらいの規模であったか、というと46年(昭和21)でみると、「旋風20年」森正蔵著は毎日新聞記者であった著者が、鱒書房の鱒永善吉社長の依頼によって書いたもので、11月には上巻が店頭に出たと言うほど、一気に書き上げたものであった。21年22年とベストセラーのトップを飾ったのであったが、部数としては上下あわせて25万部であったという。尾崎秀実著「愛情はふる星のごとく」も同様で、12万部超の売れ行きであったという。
世界評論も、新生社も青磁社もふもと社も鎌倉文庫も板垣書店も桜菊書院も、今は出版社名簿から無くなってしまっている。いろいろな歴史を捨象したとしても、むしろ、残っているほうが珍しい。
この年のベストセラー10には、前年のベストセラーの内6点が入っている。その外のベストセラーは次の通りである。
この年、「夏目漱石全集」はベストセラー4位になったが、8月に商標登録問題がおこった。詳しいことは述べられていないが、この年の「夏目漱石全集」の発行元が岩波書店に変わっていることと関わりがあるのであろう。この問題は、出版協会の石井満会長と、夏目伸六、久米正雄氏等が協議して夏目家と和解したが、「著作権法」の改正と「出版権法」の制定に向けて具申書を衆参両院に向けて出されることになった。また、この年「翻訳出版委員会」がもうけられ、GHQによって発行許可された書物はこの委員会によって訳業審査されることになった。訳業審査とは適訳と認められなければ、出版出来ないことになったのである。
この年も、ベストセラーのトップは尾崎秀実である。しかし、もっとも話題になったのはベストセラー二位にランクされた太宰治の『斜陽』であった。太宰はこの年の六月に愛人の山崎富枝と、玉川上水に身を投じて亡くなっていたからである。また、未完の『グッドバイ』の草稿も見つかった。 死後に出版された『人間失格』と『斜陽は』敗戦によってもたらされた貴族の没落を象徴的に作品化しており、斜陽族という言葉を生んだ。太宰の作品は、この年だけで三十冊近く出版された。 また、時代小説禁圧のため、暫くでなかった吉川英治の『新書太閤記』と『親鸞』の二冊がでて、一躍ベストセラー入りしたのも特徴的な現象であった。後年のベストセラー作家石川達三のこの本も、その最初の一冊ではなかったろうか。
永井隆はこの本と『長崎の鐘』という二冊の本を残して、原爆症のために死んでいった長崎医大の学者である。映画にもなるほどのブームを呼んだが、教授であったのかどうか、医局生であったのかどうか、明らかではなかった。ただ、原爆によっての死が大衆に広まることになった最初の本であり、映画であったように思われる。その意味では、政治的側面を排してあまやかな一面がありながら、悲しい物語ではあった。 |
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