text/キムチ

ジャック・デリダを追悼するということは二つの意味で難しい作業だ。

まず、私は熱心にデリダを追いかけてきた読者ではないという理由がある。デリダは、1990年代以降、政治への発言を積極的にはじめたとされるが、私は現在にいたるその時代の著作をほとんど読んではいない。ふたつめに、では、そもそもそのような読者がデリダを追悼する必要がないではないか、という疑問に対して、それでも、デリダの死は、1960年前後に生まれ、40歳代を迎える一つの世代にとって、ポストモダニズムや、ポスト構造主義や、ニューアカデミズムや、フランス現代思想といった、ある時代的な徴への区切りを意味しているということがある。デリダの死によって、ミッシェル・フーコーや、ロラン・バルトや、ジル・ドゥルーズや、ジャック・ラカンといった、フランス現代思想の主だった役者が舞台から退場したことになる。フランス現代思想というブランドを、80年代のバブル時代に享受した世代として総括することには、確かになにがしかの意味があるだろう。しかし、それをやりとげることも荷の重い作業である。

まず、ひとつめについて。

東浩紀の『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』(新潮社)は、デリダを70年代初めを境とする前期と後期に分けて考察しているが、この区分は、90年代以降のデリダを考慮に入れていない。東がいう後期デリダは、1972年の『散種』や74年の『弔鐘』以降のデリダの文体の変化をもとにした区分であるが、その後期デリダをすら私はほとんど追いかけていない。私がかろうじて読んでいるのは、『グラマトロジーについて』や『エクリチュールと差異』といった極く初期の著作である。後期デリダは、論文的な文体から文学的な文体へと変化し、マニエリスティックな印象で、そして端的に難解になった。デリダについていくことは簡単ではなく、そこから私は早々に脱落したのだ。

ここ数年、日本に於けるデリダの著作の発刊は尋常でない数に上る。その中には、翻訳が遅れていた初期の著作も含まれるが、90年代以降のデリダが政治シーンへと介入し、とりわけ911以降のハーバーマスとの共闘など、デリダの時代への介入を見守る人の多いことをも、それは意味しているのだろう。しかしながら、デリダがなぜ、政治に積極的に介入するようになったのか、そしてその内容がいかなるものであったのかについても、残念ながら私は語る資格を持ち合わしていない。

この90年代以降のデリダについて、The Seduction of Unreason(『非理性の誘惑』 Princeton University Press, 2004)のリチャード・ウォーリンは、ほとんど揶揄するようにこう書いている。

「デリダのよく引用される格言のひとつは、『テキストの外部は存在しない』というものだ。脱構築の強みは、文学・哲学作品の骨の折れる「詳読」にあるということを認めないものは少ない。反対に、その否定しがたい弱みは、歴史や政治や社会といった非・テキスト的な分野を扱う際に、それが効果を欠くという点である。したがって、90年代初期から、脱構築は、多くのより政治参加的なパラダイム−「カルチュラル・スタディーズ」やフーコーに影響を受けた「新・歴史主義」などによって乗り越えられてしまった。

ここ十年以上の間、デリダは、正義や倫理や政治といった問題への幅広い著作によって、この気づかれた弱みを補うための努力を行ってきた。しかしながら、この「政治学」という不慣れな領域への手出しは、現実に「差異」を生み出しただろうか?すべてのことが言われ、行われた後に、人はこう疑う。「政治学」の議論は、単に「現実」の政治の領域に抜け道を見つけ出すためのメタ政治的な口実ではなかったのか、と。」

『非理性の誘惑』のウォーリンの立場は、ポストモダニズムやポスト構造主義の論者たち(そこにはニーチェやハイデガーに源を発したバタイユや、デリダやフーコーらが含まれる)が、「ヒューマニズム」や「民主主義」や「理性」といった18世紀に人類が獲得した普遍的な価値を疑問に付すことによって、この政治的危機の時代に本当に必要とされ守られるべきものを危険にさらすというものだ。

このウォーリンのポスト構造主義に対する批判的立場が、ふたつめの課題を浮かび上がらせることになるだろう。私の周辺の世代が、こうした課題を背負うという虚構につき合う必要があるかどうかは、各々が決めれば良いことである。例えばしかし、ひと世代上に当たるであろう鹿島茂は、内田樹の『街場の現代思想』を評しながらこう書いている。

「時の経過というのは恐ろしいものだ。二〇年前まではあれほど輝いていたフーコー、バルト、ラカン、レヴィストロースといったフランスの現代思想がいまや輝きを失ったばかりか、完全に過去のものとして扱われている。根底的な批判を加え、価値なしと葬ったわけでもなく、時が過ぎたというただそれだけのために、である。いったい、あれはなんだったのか? フランス現代思想は日本にはなんの痕跡も残さなかったのか?

こんな思いにかられている時に「『おじさん』的思考」を以て出現したのが著者である。この人はフランス現代思想を批判的に摂取したばかりか、それを人生知として血肉化することができている、そう感じたのは私だけではあるまい。この「街場の思想家」が学生の「人生相談」に答えるというかたちで自らの思想を語ったのが本書である。」

鹿島茂や内田樹(そしてもちろん、あと幾人かを付け加えることが出来るだろう)と同様に、という自信はないが、私もまた、いったいあれはなんだったのか?そして、それに意味がなかったわけではあるまい、と思う者の一人である。しかし、そのことを確かめる作業は、現代という時代を生き、考え、そしてそれを個々の思索者の著作と突き合わせる作業の中からしか生まれない。デリダの著作は、それに値するものだ。

2004年10月25日号掲載

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【また別の追悼】
涙で文字が読めない(大須賀護法童子)