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三浦展の『下流社会 新たな階層集団の出現』(光文社新書)がベストセラーになっている。この本についてはまたあらためて触れることにしよう。しかし堀江貴文が『稼ぐが勝ち』(知恵の森文庫)で語っている世界観も、『下流社会』で語られていることとそう遠くはない。 「八〇年代とその終わりまでのバブル経済の頃は、街の主役の層が目に見えていた感じがします。…しかし、いまはあまり元気にやっている層が見当たりません。」と堀江は述べる。その理由は、大きな割合を占めていた「中流」層が崩壊したことによる。それを『下流社会』の三浦は「中流化の『1955年体制』から、階層化の『2005年体制』へ」と表現しているが、堀江はそもそも「我が家は中流」という意識が幻想だったという。
しかし、堀江はそうした社会になることを必然的だし、暗い未来でもないから、別に構わないと表現している。「上流層、下流層の格差ができたとことで、みんなが不幸になるかといえばそうではありません。」なぜなら、現代は、多種多様な価値観を容認する社会になり、フリーターでも引きこもりでも、つまはじきにされることなく普通に生活できるようになったからだ、と(同62頁)。「一生そういった生活を続ける人がいても、他人がとやかくいう権利はありません」と。 国内が二極化してくると、勝ち組・負け組みがはっきりしてきて、親たちはいっそう一生懸命に叱咤激励して子どもたちのお受験に精を出す。けれども前にも言ったように、東大を現役で合格してキャリア官僚になるなんていうのは旧いビジョンだ。いま親になって育児をしている自分たちの世代の教育方針は多様化してきている。国内の学歴偏重にとらわれず、はやくから海外体験をさせたり、芸術やスポーツや職人としての才能を育てたり、フリースクールに通わせたり。「こうして価値観の多様化が容認されていくと、当然『オレは働かない』というのも一つの選択肢になってくるのです。」(同64頁) 堀江のいう選択肢の広がりが、海外体験をさせたり、フリースクールに通わせたりと、それ自体が選ばれているものの選択肢ではないかというありがちな突っ込みは置いて、結局のところ、堀江はこういう言い方をする。
人間の最終的な目標は成功だろうか? そうだとして、その成功はどのように測られるのか? 「満足したり、認められたり、成功を感じることができる」ことによって? 堀江の価値観の多様化に向けた評価は、「マイサクセス」という言葉への評価とも重なって、微妙である。 |
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