波乗り歴史数十年の方々と話していて、「サーファー乞食」という言葉を聞いた。新しくてかっこいいサーフィンというスポーツ、カルチャーに、あっという間に夢中になった男の子たちは、日が昇って日が沈むまでとにかく波乗り! ごはん食べてる時間も惜しいと、ハングリー。
そんな彼らを、新しくてかっこいい!と、女の子たちもきゃあきゃあ浜で見物。女の子たちは、男の子たちに差し入れようと、おむすびやサンドイッチ、飲み物を持参している。そして、海から上がってきた男の子たちに、あこがれと誘惑の目を向ける。「なんか、食うもんある?」などと話しかけられようものなら、もうたいへんなかしましい騒ぎ。男の子たちは浜で女の子たちの差し入れをかっこんで、また海に向かう。
一日中遊んで、女の子たちにきゃあきゃあ騒がれ、おまけに飯も食わせてもらって、と、大人たちは眉をひそめて、「サーファー乞食」と呼んだ。
その光景は、なんか古いサーフムービーみたい。
いまはそんなきゃあきゃあな光景は見かけないけれども、それでも冬の寒い日に、折り畳み椅子に座り、毛布にくるまって音楽聞きながら、あるいはビデオを撮影しながら、あるいはコーヒーをいそいそ入れながら、彼氏が自分のもとに帰ってくるのを待っている女の子がいる。あるいは待ちきれずに、近いのに遠いところにいる彼氏と同じ風景を見たいと、自ら海に出ていく女の子もいる。悲しいことだけれども、デートは波次第でキャンセル、低気圧の動向にそわそわして会話も上の空、すべて海優先のつきあいにがまんできなくて、サヨナラしていく女の子たちももちろんいる。
サーファー乞食に優しく施しをした、何十年も前の「待つ少女たち」は、やがては浜で出会った少年の恋人となり、妻となり、夢とあこがれでできている砂糖菓子のような乙女の世界から、大地にしっかり立って暮らしを司り子を育む世界へと脱皮していく。それなのに、大人になりそこねて潮ッ気がまるで抜けない男たちは、あいもかわらず波乗りに夢中なのである。そんな彼らを、女たちは、あるときは許し、あるときは牽制し、あるときは叱りつける。ここでも、しだいに思いがすれ違い、別れを選ぶ女もいないわけではないが。
海のオヤジたちは、ほろ酔い加減の陽気な夜に、「昔はこ〜んなボン・キュッ・ボン!」のダイナマイトバディだったんだと、かつて、浜で待ってた奥さんたちの自慢をする。
2007年6月11日号掲載
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