そんないかにもその場しのぎの民宿だが、経営者たちも他に家を建てて持っているわけではない。この民宿の一階に、一家五人でちゃんと生活しているのが不思議だ。経営者の家族とは、いつも膳を上げ下げしてくれる色の黒いオバさんと、風呂が沸いたと階段の下から声をかけるだけの痩せたオジさん、そしてこの夫婦の娘二人と、めったに顔を見ることのないお婆さんの五人だ。
このうちオジさんオバさんとは、ここに着いた日に座って話もしているし、方言は強いが日常の会話に差しつかえるということはない。しかし、それぞれ中学校と小学校に通っているこの娘二人が互いに交わしている会話となると、われわれの耳にはほとんど聞き取ることができないのだ。階下で伊達政宗のテレビドラマを見ている音もするし、下の娘がときおり中森明菜の歌などを口ずさんでいるのを耳にすることもあるが、そんなことでもなければ、この二人は全く異文化の人間ではないかと思い違いをしてしまいそうになるぐらいである。
小学校の下の娘は活発だが、背の高い上の娘は(実は彼女は長女ではなく、その上にすでに嫁に行った娘がもう一人いるのだが)、額を広く出すようにして毛止めで髪をあげ、目を伏せがちにいつも黙りこんでいる。廊下ですれちがうときには、身を縮めるように脇をすりぬけていく。久実を連れてきていることを過剰に気にしているようである。
この次女を見ていて、折口信夫の『死者の書』にチラリと出てくる娘の話を思い出した。ここにその本を持ってきているわけではないので、記憶違いがあるかも知れないが、思い出して書いてみることにしよう。どこやらの家のヲトメが、多くの男に言い寄るのを煩わしがって、身をよけようとしているうちに、いつのまにか山の林の中に分け入ってしまった、身をよけているうちに山に入ってしまったということは、つまり、家から山に到る道の両側に男がズラリと並んで立って、娘に言葉をかけてきた。男たちはみな裸で、手に手に陰茎を握りしめ、扱きたてながら言い寄ってくるのだからたまらない。息せききって山の中に逃げ込んだときには、娘たちは男たちに衣服をすっかり剥ぎ取られていた。
そうしてそこでウトウトまどろんでいるうちに夜となり、娘は家路と思われる道をあちこち歩いてみたが見つからない。なにしろ裸であるから、イバラの刺や木の梢でひっかかれて娘の白い肌は傷だらけである。
2005年4月11日号掲載
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