森の中の、少し木立の空いた場所へ出た、夕月の光が増してくるにつれ、娘は取り囲む木立の間から誰かが裸身を見ている気がして、身体を隠す衣が欲しいと思い、その気持ちを口に出そうとしたとたん、口から白い糸が出た。
娘は蚕になった。
山の木々の間から夜霧が去ると、娘の身体は布団のように厚い真白の繭に包まれて、朝日に輝いていた。
フスマのような繭の壁を通して差し込む日の光に娘がウトウトと目を覚ましたとき、荒々しく木立を分ける音がして、繭のかたわらに大きな人が立つ影が差した。
あれよと思う間に、娘の身体は大きな人の掌に繭ごとすくいとられ、森の奥へと運ばれていった。
娘が耳にしたものは、巨人が人間技とは思えぬ力で木々をなぎ倒し、潅木を踏みしだいて山奥に入っていく音、そしてやはり人間のものとは思えぬその人の深々とした呼吸の音である。
これは山の神に違いないと娘は信じ、山の神がこうして自分を連れ去るには、それなりのわけがあるのだろうと観念して、目を閉じて巨人の掌に運ばれるにまかせた。
やがて大気のすみきった明るい場所に出た気配がし、娘の繭は巨人の掌から降ろされて柔らかい繭床の上に横たえられた。
山の神の家に寝かされて数日がたち、数ヶ月が過ぎた。娘の身体は繭の中でドロドロに融け、やがてそれが固まって、固い紙を重ねたような羽と、柔らかい腹に変わっていくのが感じられた。繭から出る日が近いのだと思い、殻を破って成虫の姿で外に出たとき、山の神が自分を見るであろうことを考えて、娘は少し恥ずかしく、少し嬉しく思った。
遠くから波の寄せては返す音が聞こえてくる。
蚊帳の中で久実が何かをつぶやき、寝返りを打つのが聞こえた。「そのフタをしめちゃ、いや」と言ったように思う。その蓋を閉めてはいけないというのか。あるいは、その豚を締めちゃ嫌と言ったのかもしれない。
見ると、彼女は掛け布団を隅に蹴とばし、大の字に手足をひろげて、苦しそうにうめいている。
俺は、机を離れて蚊帳の中に這いこみ、熱くほてった久実の身体を抱きよせた。そして、汗ばんだ彼女のこめかみに唇をつけた。
「底がヌケたわ」と彼女がつぶやく。いけない、彼女は遠くへ行きすぎている。
「久実」と声をかけながら、片手で蚊を払った。二、三匹の虫が一緒に入りこんでしまったのだ。
いつのまにか俺の腕の中で、久実は目を見開いていた。そして、俺の胸に顔をうずめた。
2005年4月18日号掲載
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