
ところで映画会で上映されていた映画のことだが、ニュース映画が終わるころには俺も眠けに襲われてしまい、あまえいよく覚えていない。鞍馬天狗の映画だったことはたしかで、新撰組とおぼしき白装束の男たちを相手に、大仰な身振りで問答をしている場面などは覚えている。懐かしい京都の町並みを天狗が疾駆し、明らかに糺の森とわかる森の木陰から頭巾姿でぬっと現れる。
映画は横長のシネスコサイズで、風が強くなると水のスクリーンがひととき崩れ、しゃべっている女優の顔が半分断ち切られたりした。
白黒映画のつもりで見ていたのだが、どういうわけか夕暮れの場面では海面が真っ赤にそまった。「杉作」ともったいぶった声が響き(先に書いたように音響が割れていたため、セリフのほとんどは聴き取ることができなかった)、夕空をバックに天狗が覆面を取ると、あらわれた顔は嵐寛十郎の見慣れたそれとは違っていた。しかし、どこかで見たような顔ではある。いろいろな俳優の若い頃の表情を想像しあてはめてみるが、どれもあてはまらない。思いあたったのは、意外なことにその前のニュース映画で大うつしになった前首相の顔立ちである。額の広さや、秀でた鼻梁の先端に向かって顔中の造作が殺到するような目鼻だちなど見れば見るほど似かよっている。
杉作の役は少女が演じており、これなどはよくありそうな趣向だと思われたが、海軍主計を振り出しにずっとエリートコースを歩んできた前首相が映画に出演しているはずはなく、訝しく思われた。また、その天狗と杉作との、ほとんどラブシーンともみまごう交歓のシーンなどもあり、そのあまりの淫らさを見兼ねたのか、上の娘が、俺のわきに身を寄せて座っている妹の手を引いて家のなかへ入ってしまったのも覚えている。
気がつくと、屋根の上に座って映画を見ているのは俺だけになっていた。
音楽がとぎれ、古い映画を上映するときにつきものの蝉しぐれのような音だけをバックに、海の上を白馬が走りさっていく。広い画面の左端から右端へ、幾頭も幾頭も流れるように走っていく。その場面だけがえんえんと続き、そこにエンドタイトルが重なったように覚えているのだが、もはやそこまでいくと、記憶は定かではない。
了
2005年8月1日号掲載
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