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 8番バッターとして、その日初めて本物のバッターボックスに立った一平は、三球三振だった。しかも三球とも、振らなければボールになる、肩の高さよりも上の球だ。だが監督は、思いっ切り振りにいった一平の姿勢を誉めた。確かに見ていると、敵にしろ味方にしろ、入ったばかりに見える小さな子供たちは大抵、向かってくるボールに怖がって、バットを振るどころではなかった。
 2打席目、一平は初球でいきなり死球を喰らった。といっても、背中を掠るようなボールだったので、痛くはない。それよりも、塁に出られることがよほど嬉しいらしく、うきうきした様子で一塁へとスキップ気味に走っていった。
 そして、次のバッターの初球に、なんといきなり二塁に向かって走り出したのである。キャッチャーのミットにボールが届く頃に、しかもほとんどリードもしていない状態から走り出したのだから、どうみても間に合うはずはなかった。相変わらず一塁側のラインの外にいた雪野は、「あぁっ〜!」と思わず絶句した。
 だが……キャッチャーからセカンドに投じられたボールは、お椀のような山なりで、しかもセカンドの手前2メートルあたりで地面に落ちた。二、三度バウンドして、二塁ベースに入ったショートの子にやっとボールが辿りついた時には、一平はとうにそのベースを踏んでいた。と、踏んだはいいが、そのまま走り抜けてしまったわが子に、雪野はまた「あわわっ」と目を覆う。 が、敵もさるもので、そのポテポテ・ボールをショートの子は、とにかくベースに足を踏ん張ったまま動かないものだから、ほんのわずかにベースから逸れたそのボールに手が届かず、さらにボールは小さくバウンドしながらセカンドの後方へ転がってゆく。
 すかさず、わが茶髪監督は「回れ回れ!」の大絶叫。その声に素早く反応したのは、監督の後ろに居並ぶお母さんたちで、キャーキャーと黄色い声がグラウンドの一平に飛ぶ。彼はその意味が分かっているのかいないのか、とにかくセカンドを走り抜けたその勢いを借りて、大きな弧を描きながら、サードへと駆けてゆく。ほんとならショートのカバーに入っているはずの相手の二塁手は、ベースの横で、ぼぉっと戦況を窺う構えだ。当然センターの子が近づいてくるボールを処理するかと思いきや、あれっ? 気がつくと、すでにバウンドもせずコロコロとセンターを抜けてゆくボールを、ショートの子と並んで追い掛けているのだった。
「回れ回れ!」
 茶髪君の絶叫とママたちの喚声はさらに続く。センターではなく、レフトの子がそのボールを大きく回り込んで拾い、サードに向かって投げた時、一平はとっくにサードを回っていた。そして、そのボールがサードの頭上を大きく逸れて鉄棒の向こうに消えてゆく頃、一平は、ホームベースを踏んでいた。
 なんと、1個のデッドボールだけで、いつの間にか1点が入っていた。まぁ、言ってみれば、相手チームのキャッチャーから始まる「連続タイムリー・エラー」で1点奪取というわけだが、後日思い起こせば、あの時期の三軍の試合としては、一平の暴走は必ずしも無茶な試みでもなかった、と雪野は思うのだった。新体制の結成直後の三軍の試合では、はっきり言って、走ればオール・セーフと言っても過言ではない。だが、だからといって無闇に走っていては、いつまで経っても盗塁のタイミングが身につかないから、いずれ腕を上げてきたバッテリーに痛い目に合わされるのだが。
 それでも、野球を始めたばかりの子にとっては、とにかく「走る」ことは「善」なのである。なぜなら、野球の本質は、双六ゲームのようにお互い一個一個ホームというゴールに向かって少しでも先に、少しでも多く駒を進めていく、そこにあるからなのだ。「前へ前へ」という、その基本中の基本の意志を全身で表現する子は、常に「正しい」と見なされるのであった。 というわけで、当然ながら一平のその日の猪突猛進ぶりは、大いに茶髪監督から誉められる結果となった。守備で誉められ、攻撃で誉められ、さらにさらに一平のその日のご機嫌はヒート・アップすることとなったのは言うまでもない。

 試合は結局、22対2で負けた。つまり、2点のうちの1点を、初めて試合に出た一平が奪ったというわけだ。もう1点は、4番を打った子の鋭いピッチャー返しの打球が、やっぱりそのままセンターをコロコロと、どこまでもころがってゆき、結局ホームランとなった。一方、一平のチームは二人のピッチャーが投げたが、二人とも、コントロールがあまりにも悪かった。ほとんど四死球だけでそれだけの点を与えたようなものだ。だが、いずれも初めてマウンドに立った子だったらしい。逆にむしろ、相手のピッチャーがこの時期にしては出来過ぎということだろう。
 もちろん、公式の試合ではとっくにコールド負けだが、練習試合だから、三軍の規定の5回までやったのだった。それにしても、この5回で終了というのも、雪野にはびっくりだった。7回ぐらいまでやるのかな、と思っていたら、5回終了時点で、審判の「集合!」の声。だが、その時点で、すでに試合時間は軽く1時間半以上経過していたので、まぁ、確かにこんなちっちゃな子たちが、この寒い中、立ちっ放しでいるには、この辺がもう限界だろうな、と雪野は腕時計を見て納得した。
 試合終了後、監督が子供たちを集め、試合を振り返っていろいろ話をしていた。その中で、一平の猪突猛進走塁が誉められているのを、数メートル離たところから、雪野は眺めていた。ユニフォーム姿の子供たちに混ざってジれャージを着た一平が、監督の顔を真剣な眼差しで仰ぎ見ながら、家庭では見せたことがないような真一文字に結んだ妙に凛々しい口元で、監督の言葉いちいちに頷きながら立っていた。その様子を見ていると、雪野はなにかちのょっと、胸がキュッとなった。
 だが、そんなちょっとした感慨に浸った後でも、雪野一家は現金なもので、試合が終わるとさっさと家族揃って、家へ帰ってしまった。その後、同じグラウンドで、試合相手のチームとの合同練習が予定されていたのに。要するに、まだこの時点では、雪野は、わが子がまさか正式にチームに入部するとは、思っていなかったのだ。「ま、いい経験をしたね」ぐらいな調子で、試合後の感想を車中でわが子に訊ねてみた。
「面白かったかい?」
「うん!」……と、その屈託ない返事に、雪野はようやく「おや?」と思った。
 その夜、またPTA役員である例のお母さんから、家に電話があった。試合に出てどうだったか、このまま続ける気はないか、と言うのだ。「どうする?」
 妻が雪野にそう聞くので、とりあえず、思いついた質問を妻に返す。「部費はいくらぐらいなの?」
 オウム返しで妻が電話口に訊ねる。
「入会費が3000円で、月謝が1000円だって」
「へぇ、1000円か。安いんだね……。どうする?」今度は一平に雪野が訊く。「やる!」
 ファミ・レスのメニューにさんざん迷った挙句、結局決まらない、という光景をたびたび目にするわが子の、まったく迷いのない即答に、雪野はかなり驚かされた。と同時に、電話の相手への回答は、もはや一つしかなかった。妻はそのあと、電話越しに延々と話をしていた。いざ入部するとなると、ずいぶんこまごまと必要なことがあるようだ。そのいちいちを忙しくメモしながら、でもその妻の立ち居振る舞いが、ちょっと張り切っているようにも見えた。その様子を、ビールを飲みながらぼんやり眺めている雪野は、この夜の決断が、その後わが身に降り注ぐ長い長い悲喜交々のドラマの引き金であることを、もちろんまだ、知る由もない。
 やっと電話を切った後、コタツに入ってきて妻に雪野は言った。
「でも、やっぱり最初は道具とか揃えるのに、それなりにお金かかるだろうな」
「そりや、そうよ。でも、言ってたわよ。子供が野球始めると、週末にどこにもいけなくなるから、結局無駄遣いがなくなるんだって」
「なんだい、それ。喜んでいいんだか、悪いんだか。でもまあ、子供たちと、いよいよ本格的に『野球』という共通の話題ができたわけだ。うん、けっこう、けっこう」
 雪野は一平の肩をポーンと軽く叩くと、あとはなんとなくめでたいような気分で、コタツにもぐって呑気に杯を重ねるばかりだった。