「それに大使館がつかんだ情報によると、どうやら誘拐されたのは駐EU大使がはじめてでは無いようなのです。日本企業の欧州駐在員が次々と誘拐されていて、誘拐された日本人の数は、すでに百人を超えているという噂もあります」

 山岡の話によると、日本人駐在員が或る日突然居なくなり、誘拐の現場を見た者はいない。誘拐されるのは常に二人以上で、二、三日すると会社に身代金の要求がある。金額は一人につき五億円程で、米ドル払い。スイスの匿名口座に振り込むと人質のうち一人だけが解放される。

 その後、一週間ほどすると残りの人質も解放される。その時には、匿名口座はすでに閉じられて、もはや捜査の手がかりはない。

 「そうですか。でもそういう事件は新聞やテレビでは何も報道されていませんね」

 「はい、事件は全く公表されていません。家族や会社は被害を極秘にしています。現地の警察も発表していません」山岡の声が早くなった。

 「実は身代金を払わなかったことが過去に一度だけあるのです。今年のはじめに、丸興商事のアムステルダム支店長と支店次長が誘拐されたときには、現地の警察の指示もあって、身代金を払いませんでした。

 「それでどうなりました」

 「ひどく悲惨なことになりました」山岡は顔をしかめた。

 「殺されたのですか」

 「いや、殺されはしませんでした。しかしもっと悲惨な結果になりました。被害者は痴呆化し、体も廃人になって、アムステルダムの路上で発見されたのです」

 ケンはじっと山岡の顔を見た。

 考えてみれば、見せしめにするには、殺すよりこの方が効果的だ。それだけで日本人社会に充分過ぎる恐怖を味合わせることができる。殺せばマスコミも騒ぐだろうが、生きて帰れば形の上では事件は解決だ。それに、痴呆化、廃人化は被害者のプライバシーの問題もあるから誰も触れようとしないだろう。

 「今度の大使誘拐事件も、どうやら一連の日本人誘拐の延長線上にあるように思えるのです」

 そう言って山岡はジャンヌの方を見た。ジャンヌは茶室の隅に座っている。目を閉じ、背筋を伸ばして身動きひとつしない。が、小声で話す山岡の言葉を、一言ももらさず聞いているに違いない。

 ケンは頭にヨーロッパの地図を浮かべた。内閣調査室から派遣された調査員が消息を断った場所はベルギーのブリュッセルとアントワープ、デンマークのコペンハーゲン、それにポーランドのワルシャワ。地理的な関係は特に無さそうにみえる。だが日本企業の駐在員が誘拐されたと噂される場所は、ベネルクス三国とデンマーク、あとは旧東欧に集中している。これは単なる偶然ではないだろう。

 

2004年9月20日号掲載


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