「お嬢さん、どちらまで」

 「どこまででもお送りしますよ」

 下卑た声でジャンヌを誘う。

 目もくれず、ジャンヌがそのまま通り過ぎようとすると、二人組の男はなおもつきまとってきた。

 「ねえちゃん。いいだろう、ちょっと付き合ってくれよ」

 縮れ毛の男が手をつかもうとするのを、ジャンヌが振払った。

――こんな人目のある所で腕を見せるわけにはいかないわ――

 小走りでトイレ入口の通路に向かったが、まだ二人組が追ってくる。

 通路の角を曲がるとジャンヌが振り返った。縮れ毛の男が駆け込んできたところに、長い脚が蹴り上げた。股間を直撃された男は「ウッ」とうめき声をあげて前に崩れた。

 続いてがっしりした男が現れた。縮れ毛の男が倒れるのを見て「クソッ」と叫びながらジャンヌに殴りかかってきた。ジャンヌは右腕で男のパンチを受け、左回し蹴りを男の右脇腹に食い込ませた。苦痛で顔が歪み、男がうずくまったところに今度は右脚を大きく上げて、踵を脳天に落とした。ジャンヌ得意の踵落としが決まると、がっしりした男は気を失ってその場に倒れこんだ。

――とんだ道草だわ。でも誰にも見られなかったでしょうね――

 ジャンヌは辺りを注意深く見回しながら空港ロビーを出た。二月のパリの風は冷たかった。

 ブリュッセル旧市街の中心、グランプラスは十二、三世紀の建物に囲まれた美しい広場だ。中世以来この地方の交易の場だったが、現在も近隣から様々な産物が持ち込まれて取り引きされている。

 広場から石畳の細い道を辿ると、そこには観光客相手のレストランが軒を連ねている。どの店も入り口にはオマール海老、舌ビラメ、それにベルギー名物のムール貝などが氷を乗せた台の上に山の様に並べられている。その道を20メートルほど入ったところにレストラン“シェ・ブラバン”があった。

 一番奥の席で、ケンが中西とテーブルをはさんで向き合っていた。外の喧噪とはうってかわって店の中は静かだ。

 「これがドーバー海峡名産のムール貝です」

 中西はテーブルの真中に置かれた大きな鍋から黒くて細長い貝をボールにとり、ケンにすすめた。が、ケンは貝があまり好きではない。

 「はい、いただきます」と言ったきりムール貝には手を付けず、これもベルギー名物のウサギ肉のビール煮を口に運んだ。口中に濃厚な味が広がった。

 「ところで、私の到着をよくご存じでしたね。旅行の日程はどなたにもお知らせしていなかったのですが」中西の目を見ながら、ケンが尋ねた。

 「本庁から連絡がありました。警察庁の本庁です」と言うと、中西は小声になって続けた。

 「実は、私はもともとの外務省の人間ではないのですよ。警察庁からアタッシェとしてEU大使館に派遣されているのです。大使館には私の様な派遣組が通産省、運輸省、防衛庁などからも来ていて、寄合所帯なんですよ」

 中西はワインを一口飲んで、「重大な任務で来られる方だからくれぐれも無礼のないように、とのことでした。それから、私にできることは何でも協力するようにとの指示も受けています」

 これはおかしい、とケンは思った。

 

2004年12月8日号掲載


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