「ところで総理。7月の京都サミットでは発展途上国援助の問題が主要な議題になりますが、わが国としては前年度実績三倍増。特に旧ソ連、東欧を中心に、無利息、返済期限なしの借款供与を提案することで決まりですね」
「いや、いま大蔵大臣とも話したのだがね。金額のあまりの大きさに異論が出ておるんだよ」
「これは、いまさら何をおっしゃいます。発展途上国援助の増額は畑田内閣の基本方針だったではないですか。この前の閣議でも確認したでしょうが」
「ああ、確かにそうだが、財源の問題もあってな。将来の目標としてはともかく、すぐに実施するのは難かしそうなのだよ」
前橋はソファーから身を乗り出してきた。
「総理、そんなことを言っているからだめなんです。今度のEU大使誘拐事件だって、日本の援助が足りないことが原因ですよ。それに、経済界ではアジアの時代だなんて言って騒いでいますが、旧ソ連や東欧の潜在力はそれ以上ですよ。インフラもある程度は整っているし、教育レベルも高い。ここにカネを注ぎ込めば、日本企業にとって大きな市場になることは自明ですよ」
畑田は疲れていた。前橋の議論にこれ以上つきあわされては堪らない。
「わかった、前橋君。私は君の考えに賛成なのだが、財政を預かる大蔵大臣としてはそう簡単に同意できないそうだ。それに、事務レベルでの反発はもっと強いとのことだ」
「そうですか。それでは大蔵大臣を更迭してもらいましょう。閣議の決定を実施できないようでは大臣の資格は無い。後任には私を任命していただきたい」
前橋は断固として後には引かない勢いだ。
「待ってくれ前橋君。国会会期中に、しかも、まだ来年度予算が通っていないこの時期に、何の理由もなく大蔵大臣を代えるわけにはいかんだろう」
「理由はありますよ。大蔵大臣が閣議の決定に従わないことです。これは充分解任の理由になる」
「まあ、そう急がんでくれ。政界には政界のルールがあるんだから。
畑田は内心いらだっていた。総理の座に少しでも長く居座るためには、資金を集めてくる前橋は便利な男だ。だからうまく使いこなすつもりで、官房長官に抜擢した。
ところがどうだ。今では、この暗い顔をした男が総理の自分に命令するような口調ではないか。そんなことが許されてよいのだろうか。
しかし、今この男を怒らせるのはまずい。資金をストップされては内閣の存続に影響する。それに、この前橋には何やら得体の知れないところがある。あまり刺激しない方が身のためだ。
「まあ、前橋君、君の意見はよくわかっているし、私も基本的には同じ考えだ。君の大蔵大臣就任についても、適当な時期がきれば考えよう」
「そうですか。それでは、是非そうしていただきたい」
前橋の口調がだんだん乱暴になる。
「それから、援助増額に反対しているかという大蔵省の事務方。それは何と言う男ですか」
「主計局長の牧瀬とかいう男だそうだ。なかなかの論客で、大蔵大臣もたじたじだと言っていたよ」
「牧瀬主計局員ですか。わかりました」
そう言って自分の顔を見た前橋の目に、畑田総理は無気味なものをかんじた。
2005年4月18日号掲載
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