【これまでのあらすじ】
▽ベルギーの首都ブリュッセルで、日本の駐EU大使が誘拐された。内閣調査室の山岡と名乗る男が奥多摩の剣神社を訪れ、結社「神の剣」の飛鳥ケンに事件の解決を求めたが、山岡はその場で急死してしまった。犯人の要求は、日本の国家予算の二割を旧ソ連、東欧の援助に使うように求めるものであった。
▽欧州で消えた「神の剣」のサスケを追うようにベルギーに飛んだケンは、大使館の中西という男に迎えられた。中西と別れた直後、ケンとジャンヌは刺客に襲われ九死に一生をえた。
▽永田町では、官房長官の前橋、警察庁長官の沢井、事務次官の山際、内閣調査室の有泉が大使誘拐について協議していた。絶大な権力を持つ前橋は、総理の畑田に旧ソ連、東欧への借款供与の決裁を求めたが、大蔵省主計局長の牧瀬が反対して同意が難しいことを知る。
だが、この日の前橋はナーバスになっていた。彼は連絡を待っていたのだ。
午前二時丁度に秘密地下室の電話が鳴った。
「前橋ですが」
「マエバシ、わたしだ」
地獄の底から響くような声が聞こえた。
「司教様、お待ちしておりました。司教様には相変わらずご機嫌うるわしゅう」
「余計な挨拶はいい。予算は確保できたのか」
「いや、それが」
総理にさえ尊大な態度をとる前橋が、平身低頭の様子である。
前橋が司教と呼んだ相手は、たどたどしい日本語からして、おそらく日本人ではない。
もちろん、カトリック教会の司教ではない。大きな組織の幹部であることはわかっているが、どこの国籍のどのような人物かは前橋にもわからない。
何しろ彼自身も会ったことがないのだ。
「マエバシ、お前は誰のおかげで今の地位にあるのか言ってみろ」
「はい、司教様のおかげです」
連絡のたびに、司教と呼ばれる男は前橋にこの言葉を繰り返させる。
前橋がこの男と知り合ったのは、警察庁時代にさかのぼる。当時、警察庁長官だった前橋は、退官後、郷里の岐阜から衆院選に打って出るつもりだった。
ところが、手強いライバルが現れた。隣町出身の元大蔵次官が同じ選挙区から出馬するというのだ。元大蔵次官には地元の経済界をはじめ、金融、証券などの業界が後援し、与党でも全面的にバックアップする体制だ。
形勢は圧倒的に不利だった。司教から電話で連絡があったのはその頃だった。司教は前橋に元大蔵次官の抹殺を持ちかけた。もちろん、前橋もはじめはそんな話には乗らなかった。
しかし、司教は巧みだった。前橋に元大蔵次官派の町議の失踪を予告する。
町議は本当に行方不明になった。次は、元大蔵次官派運動員の死亡宣告だ。
数日後、運動員は変死体となって発見された。
前橋は戦慄した。(次は自分がやられるのではないか)
こうしておいて、司教は前橋に持ちかけた。ライバルの元大蔵次官を亡きものにする。前橋には選挙資金を無制限に与える。条件は、日本にいる各国の諜報部員について警察庁が持っている情報全部と前橋ファイルのコピー。
前橋は応じた。応じるしかなかった。そして、元大蔵次官は交通事故で死亡し、前橋は晴れて代議士に当選したのである。
だが、前橋は最初から司教の傀儡である。内閣官房長官になった今も、こうして司教の指示を仰いでいる。
「マエバシ、とにかく海外援助の予算を確保するのだ。そうすればお前にも200億や300億は回してやるぞ。首相になるのにそれだかあれば充分だろう」
「はい、それはもう。しかし、大蔵省の方からストップがかかっているようでして」
「なに、そんなことがどうにもならないでどうする。お前は内閣の実力者だろう」
「いや、大臣だけならば何とかなるんですが、事務レベルとなるとなかなか面倒で」
「反対しているのは事務レベルの誰だ」
「主計局長の牧瀬だと聞いています」
「わかった。そっちの方はまかせておけ」
「駐EU大使の身代金の方はどうなるのでしょうか」
「それは米ドルで1千万を用意しておけ」
司教は一方的に電話を切った。
(自分は権力の頂点を極めることができるかもしれない。いや、できるだろう。だが、それは司教の奴隷になることではないか)
前橋はため息をついた。
翌朝のニュースで、前橋は牧瀬主計局長が何者かに殺害されたことを知った。
2006年8月21日号掲載
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