ケンは奥多摩の急な山道を飛ぶように駆けていた。その速さと身軽さは、天狗と見紛うようだった。
ムサシの電子メールを受け取ったその日。後をジャンヌとサイゾウにまかせて、ケンはパリを発った。ジャンヌには「俺が戻るまで無理するな」と、サイゾウには「駐EU大使館の中西一等書記官を徹底的にマークしてくれ」と言ってきた。
石段を駆け上がるとそこは剣神社だった。いや、剣神社があるはずの場所だった。しかし、ロケット弾でも撃ちこまれたのだろうか、そこには焼け焦げた木の破片が無数に散らばっているだけ。神社は跡形もなくなっていた。
ケンの腹から怒りが込み上げてきた。
(それにしても、こんなことをしたのはどこのどいつだ)
だが、それも一瞬のことだった。奥の森の中にすさまじい殺気を感じたのだ。
森の中では二人の男がすごい形相で睨み合っていた。一人はムサシ。黒のつなぎの戦闘服で、二本の木刀を構えている。もう一人は黄色い中国服の男だ。
中国服の胸には「龍」の文字、そして背中には龍が天に昇る絵が描かれている。
中国服の男は三節棍を手にしている。これは中国武術で使われる武器で、その名の通り、節で三つの部分に別れる棍棒である。節をつなげば2メートルほどの一本の棒になり、それで突くことも打つこともできる。棒の中はくり抜かれて鎖が通してあり、節を外すと鎖が伸びて倍近い長さになる。だから、普通の棒と思って戦うと、伸びてきた棍の直撃を受けてしまう。また、節を外したまま棍の一端を風車のように回して相手に攻撃を加えることもできる。
三節棍の節はつながったままで、中国服の男はそれを槍のように構えている。一方のムサシは大刀、小刀とも下段。睨み合ったままどちらも動かない。ケンもその場に立ちつくして二人の対決を見守った。
(手出しは無用。下手に手を出すとムサシはやられる)ケンは直感した。
時折、鳥の鳴き声がするだけで、あとは全くの静寂。だが、二人の男の気迫だろうか、あたりには異様な重苦しさが立ちこめていた。
ケンが中国服の男の後ろに回った。ムサシがケンに気がつき、目で制止する。(ここは俺にまかせておけ)
中国服の男はその一瞬のスキを見逃さず、一挙に間合いをつめた。
ビユッと三節棍がうなりを上げ、ムサシの右肩に袈裟懸けに振り下ろされた。ガシッ。ムサシは慌てずに右手に持った大刀で受けた。次は三節棍が弧を描いて左肩を狙う。これは半歩引いて左手の小刀で受け止めた。ビユッ、ビユッ、三節棍の左右からの連撃が続く。ムサシはジリジリと下がりながらそれを受け、チャンスを狙った。だが、まだ木刀の間合いに入っていない。10数連打もすると、今度は三節棍がまっすぐ伸びてきた。狙いすましたように、ムサシの顔面を襲った。
ムサシは突きの節を見切ってこれをかわした。と、同時に、小刀で三節棍を押し上げながら、大刀を振り下ろした。一瞬、中国服の男が視界から消え、木刀が空を切った。男は片手で三節棍を持ったまま、もう一方の手を地に着き、バック転で逃れたのだ。
(なんと身軽な奴だ)とムサシは思った。だが、身軽な男との闘いは、サスケやサイゾウとの実戦稽古で慣れている。
2006年9月18日号掲載
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