車はすでにベルギーを過ぎ、ルクセンブルクの領内に入っていた。ハイウエイを降り、曲がりくねった人気のない道を進む。辺りは真っ暗で、車のライト以外何の光も見えない。中西は、ふと後ろの車を気にするようにバックミラーを見るが、すぐ前方に目を向ける。後ろからつけるメルセデスはヘッドライトを消していた。
急な坂道を下り、谷川にかかった橋を渡ると、今度はきつい上り坂だ。BMWは坂の途中で細い道を右に折れた。そこは車一台がやっと通れるだけの幅で、両側には鬱蒼とした森が広がっている。おそらく、地図には載っていない道だろう。
急勾配を十五分ほど上り詰めると、森がとぎれて平地になっている。その一番奥まったところに中世の古城が堂々とした構えを見せていた。
* * *
城は高い城壁で囲まれていて、正面に大きな木の門が見える。BMWが前までくると、門がゆっくりと左右に開く。中西は車を進め、門をくぐった。そこは石畳の中庭で、車が百台くらい駐車できるスペースがあった。中庭ではこうこうとかがり火が焚かれ、天をも焦がす勢いだ。
建物の入り口は左手にあった。その両側には衛兵だろうか、中世の騎士のような恰好をした男が二人、長槍を持ってケンと中西に目を向けていた。
「着きました」
中西は車を停め、静かに言った。
「これは驚いた。まるで中世ですね。こんな城を維持しているなんて、よほどのお金持ちなんでしょうね」
ケンはわざと驚いたふりをしてみせた。だが、中西はもう何も答えない。
その表情は緊張で引きつっていた。
衛兵には目もくれず、十段ほどの石段をのぼって、中西が建物の中に入る。
ケンが続く。入ったところは、玄関ホールで、左右に長い廊下、正面は石造りの階段になっていた。
入り口では、修道僧のような黒い服を着た老人が燭台を持って二人を迎えた。老人は一言もしゃべらず、身振りでケンと中西を招いた。
老人は階段を上り、上がりきったところで、今度は廊下を進む。廊下の壁には大きな肖像画がいくつも掛けられていた。この城の歴代の主か、あるいはこの地方の領主だろうか、ケンには見知らぬ顔ばかりだった。
「へぇ、素晴らしい絵ですね。それもこんなに何枚も」と、ケンが素っ頓狂な声を上げた。
老人も中西も無言のままだ。
廊下のつきあたりの右に木の扉があり、扉を開けると廊下を幅広くしたような長い部屋になっていた。そこを突っ切って、反対側の木の扉を開けた。
――いよいよだな――
ケンは気を引き締めた。
扉を開けると、そこは舞踏会でも開けるような大広間で、ケンの足元から奥に向かって幅三メートルほどの赤い絨毯がひかれている。そして、その左右には、総勢百人ほどだろうか、中世の騎士の装束に身を包んだ男達が立ち並んでいる。だが、手にしているサブマシンガンが、中世でないことを示している。
老人はそこまで案内して姿を消した。中西は、棋士の装束を着た男達の間を、絨毯を踏んで進んだ。ケンが続く。大広間の照明はところどころに置かれている燭台だけで、薄暗い明かりが気味の悪さを増している。広間の奥は一段高くなっていて、壁面には巨大な『双頭の鷲』が金色の光を放っていた。ブリュッセルの大使館に届けられた脅迫状に印刷してあったものと同じ紋章だ。そしてその前には玉座のように宝石をちりばめた椅子が置かれ、金髪の若い男が座していた。
男の前まで進むと、中西は片膝を床につき、流暢な英語で言った。
「司教様、飛鳥ケンをお連れしました」
“司教”と呼ばれた男は軽くうなずいた。
「ご苦労。そこに控えておれ」と、これも英語だった。男にしては細く透き通った声だ。
中西が広間の横に控えると、司教はケンに向かって、「アスカ君。よくきた。私がハンザ同盟西欧第三地区の司教、パーペンだ」
男は笑みを浮かべながら言った。
男は金の刺繍を織り込んだ緑のマントをまとっていた。男の体は首から足首まで、すっぽりとマントで覆われていて、まるで中世の王侯のようだ。マントには“双頭の鷲”が織り込まれていた。
「ハンザ同盟」
ケンが聞き返した。
ハンザ同盟とは、中世ドイツの都市同盟のことだ。リューベック、ハンブルクなどを中心に貿易によって栄えたが、それは何百年も前のこと。それがなぜ現代に。
――目の前のパーペンという男は冗談を言っているのだろうか――
パーペンが答える。
「いや、突然のことで君には何のことかわからないだろう。中世ドイツのハンザ同盟は、現代のヨーロッパに復活したのだ。正式には第二ハンザ同盟という。そして、私が西欧第三地区、つまりオランダ、ベルギー、ルクセンブルクを統括する長なのだよ」
ケンが無言でいると、パーペンが続けた。
「復活したハンザ同盟の狙いは貿易をすることではない。もちろん、カネは大いに設けるが、それだけではない。我々の目標は世界を支配することだ」
2007年10月22日号掲載
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