「もしもし」

「…………きゃ…め…………」

「え?」

「………ジリリリリリ…きゃ…め……だ…」

  プツ  プーー  プーー  プーー  プーー

「きれちゃった…」

 私は受話器を置いて、タイチの方を振り向いた。でも、タイチはそこにいなかった。私は驚いて、交番のドアを開けて周りを見渡した。タイチが、よたよたと30メートル位先を走っていた。私は人を避けながら、タイチを追いかけた。タイチはちょこちょこと、よたよたと走っている。どうしてか、中々追いつけない。私は夢中になってタイチを追いかけ、狭い路地の行き止まりで、やっとタイチを捕まえた。

「何で急に走るのよー」

「うー」

 タイチが、青いポリバケツを指差した。黒いビニール袋が入った、生ゴミ用のポリバケツ。

「うー」

 タイチは、それに近付いて、ふたを開けようと手を伸ばした。

「ちょっと、やめなよ」

 バケツが、ガタガタ、と音を立てて、タイチの上に覆いかぶさった。バケツのふたが落ちて、ガランと音を立てた。私は悲鳴をあげて、タイチの方へかけよった。タイチはキャタキャタと笑いながら、私の方を真っ直ぐに見て、バケツの中を指差した。

 バケツの中に、今日、私が古着屋さんでもらった石と、全く同じ形の大きな内臓が入っていた。内臓には、赤黒い血液の塊のようなものが、周りにべたべたと付いている。生ゴミの腐った匂いがする。私は吐きそうになりながら、タイチの手を引いてバケツから離れようとした。

「うー」

 タイチが、私のスカートを引っ張って、バケツをもう一度指差した。内臓が、ビクンと波打て、バケツがガタガタと音を立てる。

「いや!」

 私はタイチの手を振り払い、バケツから目をそらした。

「…んと…なきゃめだよ」

「…え?」

「ちゃんと見なきゃ駄目だよ」

 タイチがまっすぐに私を覗きこんだ。バケツがガタガタ大きく動き、内臓がビクビク波打つ。

「ちゃんと見なきゃ駄目だよ、おかあさん」

 私は驚いてタイチを見た。タイチは、嬉しそうにキャタキャタ笑う。

  ガタン

 電車が大きく揺れて、私は目を覚ました。あぁ、何て嫌な夢だったんだろう。変な体勢で寝てしまったのか、右肩と首筋がつったように痛んだ。私はゆっくりと首をまわして、袖をまくって時計を見た。8時17分。

  ―――次はー……… ………  お降りの際は、足元にご注意下さい―――

 車内アナウンスが、私が降りるはずの駅を二つ過ぎたことを告げた。私は心底うんざりして、ゆっくりと立ち上がった。電車が止まって、目の前のドアが音を立てて開いた。今、夢で見たのと同じ駅が、目の前に広がる。後ろの人が、ドアの真ん中で立ち止まった私にぶつかってきた。私は慌てて電車を降りて、向かいのホームへ歩き始めた。後から、子供の笑い声が聞こえてくる。驚いて振り向くと、ベビーカーの中の子供が、嬉しそうに笑っていた。

2007年2月5日号掲載
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