父は、今際の際にどんな言葉を口にしたのだろう。
聞き取れなかったことが、口惜しくて堪らなかった。
母は、ドクターにお礼を言うのが、はっきりと聞こえたと言った。更には、母にもありがとうと言ってくれたと、言うではないか。悲しみの中、母の顔は誇らしげで、控え目ながら喜びさえ見え隠れしていた。
僕は、母の言葉に打ちのめされていた。
この母を、僕は生まれた時から、怨んでいたような気がしていたが、今はっきりと気づいた。母の腹の中でまだあぶくのような時から、呪っていたのだと。
僕は、泣いた。
父は、本当にそう言ったのかも知れない。実際、些細なことにも、ありがとうと口に出し感謝を表す人だった。だが、それだけだったのだろうか、否、そんなことじゃない何かを、言わなかっただろうか。父はドクターの顔を見ていた訳ではなかった。母の顔を見ている訳でもなかった。見上げた天井に、誰の顔を見ていたのだろうか。
僕の顔は浮かばなかったのだろうか。
僕は、父に対して感謝の意を述べられるようなことは、何一つしていない。だから、ありがとうと言って欲しかった訳ではない。むしろ、困らせてばかりだったのだから、そんなことを期待するはずもなく、ただ、最期に、僕のことを思ってくれてはいなかったのかと、聞いてみたかった。
幾ら考えても詮無いことだとは思いつつ、何度もそこに考えが巡り、そして未だに、聞こえなかったことが、口惜しくてならない。
付き合い始めた頃、彼は一度だけ、僕の性器を明るいところで見せて欲しいと、言った。
躊躇ったが、頼むと言われて断れもせず、皓皓とした灯りの下、僕は足を開き全てをさらけ出した。消えてなくなりたいほど、恥じていた。そんなことを頼む彼も、それに従う自分も、そして、女性器も。
それは自分のジェンダーに対する違和感からばかりではなく、昼間聞いた彼の話しが大きく作用していた。
それは、彼がまだ十代の頃、社員旅行で行った温泉地で、宴会も終わり先輩たちと歓楽街へ繰り出して、酔った勢いもあったのだろう、無理やり連れて行かれたストリップ小屋での話しだった。先輩たちは嫌がる彼を齧り付きの場所に押しやると、よく観音様を拝ませてもらえと囃し立てた。まだ子供だった彼を面白がったのかサービスの積りだったのか、薹が立ったストリッパーが腰をくねらせ踊りながら近づくと、彼の鼻先でご開帳とばかり指で開いて女性器を見せつけた、その醜悪さに思わず嘔吐してしまったと、吐き気がしたのではなく、本当に吐いてしまったのだと、彼は二度言った。つくづく汚いものを見たと言いた気に。夫にすれば過去の面白い話しの積りだったのだろうが、僕は一緒になって笑いながら、何ともいえず、暗い気持ちになっていた。何故なら、否応なく僕にもその醜悪な、女性器が付いているのだから。
2009年7月6日号掲載