黒い服の集団から少し離れ、握ったり閉じたりする自分の手をぼんやりと見ながら、佇んでいるハルチカ。
喪服の女 「あの、すみません。この後はまた待合室のほうへ戻った方がいいんでしょうか?」
気付かずぼんやりしているハルチカ。少し気まずそうに背後で返事を待つ女。
蝉の声。
喪服の女 「あのう、このあとはどこへいったらいいのかしら?」
回り込みハルチカの顔を覗き込むように言う女。
少し驚いた顔で女を見るハルチカ。
ハルチカ 「どこって」
喪服の女 「いえだからこのあとのお浄めは、このままここでやるのか、場所を変えるかってことで」
ハルチカ 「や、俺葬儀屋じゃないんで」
喪服の女 「え? あらごめんなさい……やだわ紺の背広だからわかんなくって。ほんとやあねえごめんなさいねえ」
笑いながら照れ臭そうに去る女。
振り返り歩き出すハルチカ。
ふと目が合った葬儀屋の人間が深々と頭を下げる。
足を止め、含羞んだように笑い、ズボンのポケットに手を入れ俯くハルチカ。その表情。
夏の日差し。木造のボロいアパート庭に朽ちた乗用車その影で腰をかがめ農作業に勤しむハルチカ。よく整理された畑に青々と各種野菜が育っている。
ギャンギャンと犬が吠えている。
無表情に犬を見遣るハルチカ。
怯えて吼え続ける犬。
縁側から土足のまま部屋へ入っていくハルチカ。
室内では下半身の動きを追う。
この部屋の中も全て畑。押し入れ?の中にも土が盛られここにも野菜が作られている。隣の部屋の手前で靴を脱ぐハルチカ。さらに奥へ進み何やらゴソゴソとやっている。
ハルチカ モノローグ 「先週やっとお袋が死んだ。布団の綿を口に詰め込んで器用にも窒息したらしい。事故なのか自殺なのかは解らない。
葬式で久しぶりに、穏やかな顔で目を閉じているお袋の顔を見たとき、強烈に胸が詰まった。
自殺だったらどんなにかいいだろうと思いもしたが、いまは別にどうでもいい。」
縁側から庭へでるハルチカ。大股で迷いのない歩み。左手にはボロボロの座布団が括りつけられ右手に大振りのハンマーを持っている。まっすぐ犬へ近づき、鎖を外し向き合う。事務的に差し出した左手の座布団を犬に噛ませ、頭をハンマーで叩き割るハルチカ。犬の断末魔。土に飛ぶ血。
静かな入道雲、太陽。風にトウモロコシの葉がそよぐ。
空を見上げるハルチカ。腰に手をあてウンとのけ反り充実した表情で大きく息を吸い込む。
傍らの朽ちた車のトランクを開け、包丁とビニール地の分厚いエプロンを取りだすハルチカ。
ある種コックの様な手際の良さで犬の解体をはじめる。(後ろ姿)
ハルチカ モノローグ 「戸田の火葬場に、結局親父は来なかった。ばあちゃんは多少ボケがすすんでたみたい。本当にお袋の若い話しかしなかった。俺も精神病院の患者達に話しかけられたり、汚れた下着や寝巻きを引き取らなくてもよくなったことに、解放感を覚えるのみで、浄めの席では不味い寿司を腹いっぱい喰い、勧められたビールで結構酔ったりもした。」
手を血まみれにしながら犬の解体を黙々と続けるハルチカ。
肉、骨、内臓を分け、骨を隅にある臼へ投げ込んでいく。
切り分けた肉を金属のバットに移し、牛乳を流し込むハルチカ。庭から摘んできたハーブも、いくらか千切って入れる。冷蔵庫にそれを仕舞い、手を洗いよく拭く。茶色い小瓶から灯油に浸かった金属のインゴットを取りだし、まな板の上でキャラメルの半分位の大きさにナイフで切る。金属の断面が、見る間に空気中の水分と反応して曇っていく。
ハルチカ モノローグ 「高三の秋に、お袋は俺の親友だった奴と、わざわざ熱海まで行って心中しようとした。本ばかり読んでたあいつが何でうちのお袋とそんなことになったのか、今となっては解りようもないし、当時でさえ俺は全く気付いてなかった。
ただ、結果としては、あいつ一人が死んで、海水で腹を膨らせただけのお袋は発狂した。」
ピンセットで摘んだ金属と、水の入った紙コップを持って朽ちた車のそばへ寄るハルチカ。地面に紙コップを置き、金属を中に落とすと少し離れる。ポケットから出したアナログのストップウォッチで無表情に時間を計る。唐突に、小さな水柱を立てて紙コップが爆発する。辺りに散らばった破片には青白い炎が小さく燃え、それらを一つひとつ足で踏みつぶして消火していくハルチカ。
ハルチカ モノローグ 「お袋が精神病院に入院した日も、親父は会社を休まなかった。俺の前ではけして仲の悪い夫婦ではなかったし俺は二人とも、それに死んだあいつも、他の人間とは比べようもない程好きだったんだけどな……。確実なことは俺だけがいろんなことに全く気付かずに、受験生やってたってことだけで、大学とか目指したりして。
親父は最後『普通に暮らしたい』って言って出てった。それでも俺の学費や生活費、それにお袋の治療費はちゃんと振り込んできてたし、以来電話でしか話してないけど、昇進して偉くなったみたいで、こないだは再婚がどうこうとかって言ってたっけか。
もしかして町ですれ違っても、俺は親父に気付かないかも知れない。
そういうのってちょっとやだけど、自信ねえな」
後片づけをするハルチカ。一旦部屋へ引き返していく。
裏に停めてあるドゥカティに跨がるハルチカ。タンクにヘルメットを置いてエンジンに火を入れる。メットに顎を預け、バイクを抱きしめるように暫しのアイドリング。
ハルチカ モノローグ 「愛情や友情や親子や夫婦なんて一秒で消えちゃった。ホント思い出せないくらいキレイに。や、もともと無いのにあるものとしなけりゃ生きていきづらいのかも知んない。現実と普通は解んないよ。生活だけは解る。喰って寝て働く。の繰り返しのこと。普通ってなんだよ、リアルってなんだ?
ラブとかフレンドとかって気持ちワリいんだよ。ただ、リアルだけが知りたい。いつも問い掛けて答えが返ってこなくてもそれはそれでかまわないけど。痛みも悲しみも歓迎ですよ。それがほんとにほんものならさ……。それこそ、ひとのかたちしてなくても」
メットを被り、ハンディレシーバーの周波数をチェックするハルチカ。クリアーのミラー加工のサングラスをかけ、少し俯く。
サングラスのレンズの下の方に左右に渡って「ムラカミ ハルチカ」
と黄色いペイントマーカーで書かれてあるのが見える。
ノイズやトラック無線、民家のコードレスフォン等の音声がガチャガチャ入る。イヤホンを付け滑らかに車道へと進入していくバイク。
一瞬見えなくなり次の瞬間爆音とともに車の間をすり抜けていく黄色いモンスターM900。
またすぐに見えなくなる。
タイトル「ギロチン・ロマンス」
静かな音楽で見送る感じ。
2007年9月10日号掲載
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連 載 開 始 に あ た っ て
『水の環』3部作の2作目は、映画の脚本として進行していたものです。