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 そういう不思議な現象に出会ったときに、といって特別自分に霊が見えるというわけではないのだけれど、と前置きした上で語ったことによれば、つまり彼女には、 <何をどうすべきか> がわかるのだという。
「私って、ほんとに情けないぐらい、不思議なもの見たり聞いたりしたことないのよ。だけど、なぜか <霊感の強い友達> <見えちゃう> 人と友だちになったり知り合ったりして、霊が見えるとか悪い気配がするなんて話を聞くことになるの」
 小学生のころ、俗に言う <霊感の強い友達> がいたのだという。そのころ登下校で通る交差点が <魔の交差点> などと呼ばれて、地元の噂になっていたのだが、見通しのよいわりに事故が絶えず、先立つこと二年前に起きた轢き逃げ事故が原因ではないかとまことしやかにささやかれていた。友達はその場所を通ることを極度に恐れており、ある日、ついに、透明なひとが立ってる!と叫んだまま気を失ってしまった。すずねの眼には <透明なひと> は見えなかったが、風に吹かれて街路樹が立てる葉音が妙に耳に残った。

   すずねの家の周辺は、そのころ福岡のベッドタウンとして開発されはじめたところで、その交差点も、ニュータウン内の道路として整備された道で、立派な歩道がついていた。二年前の轢き逃げ事故というのは、結局犯人がつかまらず、その交差点で事故が起こるたびに、亡くなった老人の霊が祟っているのだなどとあちこちで囁かれるのだが、話にはだんだん尾ひれがついて、しまいには、老人は一人暮らしで家族に見棄てられていたのだの、莫大な遺産があっただの、家族が怪しいだの、まるで現実とかけ離れた噂さえ生まれていた。
 すずねには人の姿も見えなかったし、霊の気配も感じられなかったが、 <やるべきこと> は、わかった。鎮めなければならないのは、怨念を持った霊などではなく、すでに舗装の下に深く埋もれてしまった上古の神木だった。
「鎮めるって、何をどうしたの?」要は話をさえぎって訊ねた。「だって、もうそこには道しかないんだろ」

 

 

 

「……笑わない?」とすずね。
「ああ」
「私ね、夜、交差点の角の公園にこっそり楠の苗を植えたの。私のおじいちゃんに頼んで手に入れてもらってね」
 前にも聞いたことがあったが、すずねの祖父は山林地主で資産家らしい。
 要は、まだ納得できなかった。
「どうして、そうしようと思ったわけ?」「それがわからないの。でも、たぶん効いたんだと思う。友達も、もうそこ通るの、怖がらなくなったし。彼女、私の話聞いて、なんだかやっと納得がいったって感じだったわ。すずちゃん、よくわかったねって」
 要の脳裏に、風吹きわたる丘陵地帯をどこまでも続く緑の森、そしてそこで暮らす古代の人々の姿が一瞬浮かび、そして消えた。
 いくつかそんな話を聞かされて、要は、話している本人が、まったく霊や金縛りには敏感じゃないの、と断言するのが不思議でならなかった。内面の声は、お前のおぞけだつような体験を全部吐き出してしまえ、そんなことを話せる相手はこれまでいなかったはずだぞとせっついていたが、やはり、ためらわれた。 気がつくと、話しながらも、すずねのほうがせっせと口に物を運んで皿を空にしては、飲み物の追加を頼んでいる。
「あ、ごめん。私ばっかり、食べたり飲んだり。カナ君なら、とにかく引っ越し手伝ってもらっても大丈夫って思ったものだから。働かせちゃってごめんね。食べて、食べて」
 しおらしげなことを言うが、まん丸い目に見つめられると、要はどきどきして、空腹感など感じなかった。
 気づくと、午前零時をとっくに過ぎていた。
 あっさり店先でさよならを告げようとするすずねと離れがたく、思わずお茶に誘ったものの、酔って眠気を催していた彼女は、名曲喫茶のコーヒーテーブルを前に掌を返したような沈黙にひたり、しばらくすると帰って寝ると宣言したので、いよいよ送っていくしかなかった。だいぶ前に飲んだ後、腕組んで深夜の散歩をしたことを思い出したが、家の前の路地まで車で送ると、きっぱりとさよならを言い渡され、うなだれて見送りながら、ショートパンツの後ろ姿に欲情したりして、きょうは何度か抱きしめるチャンスがあったのではなかったか、と帰宅してベッドに入ってからも反省する始末で、さんざんな懊悩の夜を過ごしたせいか、翌朝早々にすずねからの電話を受けたときには、アパートの異変のことについては忘れていた。
「ね、ごめん。今すぐ来て。頼む。お願い」と切迫した声である。
「……ま、待って。まだ目が」
「カナ君。つべこべ言わずに、さっさと来て」
「……高遠さあ。どしたの」
 電話台にもたれかかるようにして、痛む筋肉と戦いながらやっと立っている要の応対は、自然、不機嫌になる。
「わりいけど、あとでまた電話してみてくんない?」
 情けない声を出す要の後ろから、朝っぱらから迫力のある声で、
「はっ。なに、すかしたこと言ってんのよ。ねぼけてんじゃないよ」
 朝の目覚めもすっきりと、肉体労働派OL――地方の国立大建築科を卒業して工務店に就職し、現場手仕事主義を標榜している――である姉の出雲が、階段を一段飛ばしで下りながら、からからと笑う。
「あー、わかった。わかったから。すぐ行く」
 姉の声に後押しされるように、要は、それ以上の抵抗をあきらめ、そのへんにあったものに着替えるとすぐ飛び出した。

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