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   缶コーヒーを飲みながら走って準急電車に飛び乗り、血相変えてアパートのベルを鳴らすと、
 ――入って。
 と、すずねの声がした。
 手応えも何もなくドアが開く。見ると、ダイニングの先の六畳の真ん中にすずねが正座していた。向かい合って、同じぐらいの年頃の女の子が座っていた。すずねは、唇を突き出してほほをふくらませ、困ったような顔をしている。膝の上に置かれた手でしきりにグーとパーを交互につくりながら、
「ほんとごめん、無理言って」
 と、要を見て言った。要は、息を切らして心配してかけつけたわりには、大したこともなさそうだったので、上がり框に腰かけて後ろ手をつき、土間に足を投げ出し、不機嫌を装った口調で不満をもらした。
「あーあ。なんなんだよ、いったい」
「ほんと、ごめん」
 すずねはまた繰り返した。

   要が振り向くと、彼女はこちらまで歩いてきて、DKと和室の間の板戸に体をもたせかけた。部屋着なのか、ベージュのスウェットスーツを身につけていたが、そのトレーナーのノーブラであることなんぞに目が向いてしまって、要はどきまぎしながら、「ところで、彼女は?」と聞いた。
 とたんに、すずねは、びくっとして、戸に体をぶつけて大きな音をさせながら、だっと要が座っているところまで飛んできて、膝をついた。
「<彼女> って……誰のことよ?」
 すずねの肩ごしに部屋をみやる要に、
「<彼女> って、どこにいるの? 今いるの?」
 と、たたみかけるように聞いた。
 すずねを押しやるようにして立ち上がり、続き間の和室をのぞくと、予想どおり、そこには誰もいないのだった。昨夜のままの状態だった。

 

 

 

 DKに戻って三畳の洋間のドアをあけると、ベッドだけがしつらえられていて、少し乱れた掛け布団に、主がそこで寝た気配だけがあった。さっき見た女の子はどこにもない。しかし、きわめて強い思念がそこに漂っており、要は、立ちくらみをこらえて、激しい頭痛の前兆のようなものがこめかみに走るのを感じた。だが、一瞬顔をしかめ、思わず閉じた眼を開くと、思念は夢のように消え去っている。
「やっぱり、だれか見えたのね。カナ君」
「あ、ああ――高遠と向かい合って座ってる女の子がいた」
 驚くほど素直に、要ははっきりと見たものを伝えた。
「薄い水色の半袖のブラウス。長い髪の毛を一つにしばっていた」
 そして強い <思い> ――そう、 <後悔> の念の気配が、よどんだ水の匂いのように、浮游していたのだ、と心の中で続けた。
「そう。そうだったの」すずねは考え込んでいる。「私には、彼女が見えなかった」
「…………」
「それで、私、ちょっとヤバイこと、しなきゃなんないらしいの」
 すずねは、要に寄り添うように立ち上がった。
「ヤバイことって?」要は呆けたように訊く。
「――ドロボウ、かな」
 秘密めかして、すずねは片目をつぶった。

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