ちょうど夏休みに入った日だったので、救急車やパトカーの出動で大騒ぎになったところを子供たちに見られなくてすんだのは幸いでした。娘はきっと悲しむでしょうが、園長先生は神様のところへ行かれたのよと言い聞かせるつもりです。もしサイレンの音が鳴り響き人々が慌ただしくかけ回る様を見てしまったら、娘のことですから、何があったのかをはっきり知るまでは私を質問ぜめにしたことでしょう。
そのような娘の性格は、ときどき私を辟易させます。いえ、半分は親馬鹿で娘の利発さに感心しているのですが、不思議に思ったことや疑問に思ったことがあると、納得がいくまで周りの大人に説明を求めます。おとぎ話やたとえ話でごまかされるのが一番きらいで、お日様はなぜいつもユリについてくるのと問うので、面倒になってそれはユリちゃんのことが好きだからじゃないのといい加減に答えたときなど、太陽と地球との距離の説明を主人がするまでまるでヒステリーのように怒ってしまって、じゃあお日様はユリしか好きじゃないのか、みんなのことは好きじゃないのかと大変でした。
主人に似たのでしょうか、とても自分の子供とは思えないことがあります。お稽古ごとの先で、百合子さんは才能がおありになるとほめられるたびに、なぜか私は恥ずかしくなってしまいます。自分が小さいころそのようなほめられ方をされたことがなかったからでしょうか。習っていたのもピアノとお琴ぐらいで、どちらも何とか人並みという程度でしたし、長じてからのお茶やお花や書道も花嫁修行の域を出るものではありませんでした。
この先東京の先生につける気はおありでしょうかと、ピアノの先生やバレエの先生に言われても困るばかりです。百合子はパパみたいにお医者様になるのといまは言っています。その前はオリンピックの選手になるのだとか田添のおば様みたいにシャチョウになるのだとか言っていました。しょっちゅう将来の夢は変わりますがピアニストやバレリーナになりたいとはまだ申したことはありません。
主人はもう目を細めんばかりにして、自分と同じ医者になると言う娘にご満悦です。先輩方のおたくではお子さんにあとをつがせるのに大変苦労なさっているご様子ですが、もしかしたら百合子なら一流の医者になれるかもしれんなと、たった5歳の娘にどうやら大層な将来の期待をしているようです。お義父様もお義母様も、この子は賢い、あなたのおかげだと私までほめてくださいます。そんなとき、私は少しばかり憂鬱になるのです。
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