「それは現実だ」彼は自信ありげにいう。「でなければ、たぶん、現実を夢が敷衍したんだろう。彼女にはよく起こることじゃないか? 逆の場合だって――」敷衍され、繰り返される彼女の現実。円窓から見える、ベッドの中で絶叫する彼女。彼女の女らしい部分にくちづける僕の唇(僕は彼女と性交することができない、彼女の躯はそれに堪えられない)。彼女はもう長い間病気だ。寝たり起きたりの生活が続いているため、少し長く起き上がっていると眩暈におそわれる。麻にはいつも薄めたワインを飲み、ほんのりと頬を染める。

「どこにいて彼女を見ていたんだ?

 その死体の傍らに彼女が素裸でたっていたということ、指先を赤く濡らして長い間立っていたということを、どうして証明する気なんだ?」

 俺は何も証明なんかしないさ、証明しなくたって、俺がここにいることに関して彼女は何も文句をいわないし、第一いま話したことは彼女が俺に話してくれたことなんだからな。

 彼はそういった。彼はアンチョビの罐詰を開け、口髯を濡らしてビールを飲んでいた。「お前の口の中でにちゃにちゃいっているアンチョビも、にちゃにちゃと食べるのに使っているフォークも、ビールが入っているグラスも、お前のものじゃないものに、なぜ触る?」

「まず最初にだな、彼女のものは俺のものだ。それだけは憶えておけよ」最初に現れた時、彼は彼女の背後からいった(僕はそれを思い出している)。彼の、染みのように不規則に褪せたジーンズのジャケットを、僕は眺めていた。彼女も彼も靴を履いたまま狭い土間に立っていた。彼女は薄いピンクのカッターシャツを着ていた。

「だれだ、そいつ?」僕は彼女に訊いた。それから、少し視線を上げて彼に訊いた。「だれだ、お前?」

 あたしを脅迫しているの。 脅迫、何を。 人を殺したって。 何でまた。さあ。わからないわ。

「俺は見たんだよ」

 何を見たんだ。 自分の夢か何か、こいつシャブでも打ってるんじゃない。どこで会ったんだ。

「あとをつけてきたのさ」

 なぜ追い払わないんだ。 だって。 警察、呼ぼうか。

「呼べないよ、彼女は」

 彼女は黙っている。僕には、彼女が彼を追い払えなかった理由の見当が、いまだにつかない。夢の責任。ここには、実際彼女の夢が横溢している。彼女の夢。彼の夢。僕の夢。
 

2008年3月3日号掲載