本来、ゾンビは、 中央アメリカのハイチで、ブードゥー教の秘術によって死者を蘇らせ、労働力として使役していたという伝説に基づくものである。では、現在の “意志なくノロノロと動き、本能の従うままに生きた人間を襲ってはその肉を喰らう”というイメージを決定的なものとしたのは誰かと言うと、間違いなくジョージ・A・ロメロ監督だ。
ジョージ・A・ロメロは『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/ゾンビの誕生』(1968)で自身初のゾンビ映画を発表。無表情に緩慢な動きでフラフラと彷徨いつつ、人間を襲うゾンビ像は一部で熱狂的な支持を得、ドライブイン・シアターで始まった公開も口コミによるヒットを受けて拡大。続編が製作されることとなった。以後『ゾンビ』(1978)、『死霊のえじき』(1985)、『ランド・オブ・ザ・デッド』(2005)と作を重ね、本作が5作目となる。
70・80年代のスプラッター・ブーム&レンタルビデオ・ブームの間に、世界中で雨後のタケノコの如くロメロ・ゾンビの亜流作品が生み出されては、そのほとんどが人々の記憶に残ることなく消えていった。
そういった状況を尻目に、ロメロが40年以上に渡って現役の最前線でゾンビ映画を撮り続けていることは、彼がホンモノの映画作家であることを如実に示している。ロメロが手掛けるゾンビ映画には、物質文明や人種差別、戦争に対するアンチテーゼあり、総じて人間批判という一貫したテーマが存在しているのだ。ただ単に血とハラワタに彩られた“ゲテモノ”であったなら、これほど息の長いシリーズになろうはずがない。
最新作である本作でも、やはりロメロ節は健在。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/ゾンビの誕生』の製作背景にベトナム戦争があったように、今回は9.11.アメリカ同時多発テロ以後を描いている。また、ラジオ(『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/ゾンビの誕生』)→テレビ(『ゾンビ』)と、メディアの移ろいを常に作品に採り入れてきたロメロは、この度、インターネットに注目。誰しもが情報の発信者たり得る現代を描いている。このように、時代に寄り添った映画作りはロメロの信条でもあるのだ。
これまでの4作は連作と呼ぶべき一直線上に連なったストーリーであったが、本作は1作目と同じく“ゾンビの発生”から幕を開ける。そういった部分では、シリーズと言うより、番外編、あるいは姉妹編と捉えた方が良いだろう。
最も目を引くのは、カメラの視座だ。本作は、全編が『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『クローバーフィールド』『REC』でも用いられる“P.O.V.(ポイント・オブ・ビュー)”と呼ばれる主観映像による語りで綴られる。ゾンビ発生の瞬間を捉えたテレビ・カメラの映像で幕を開け、続いて自主映画を製作している学生たちのカメラが目となっているのだ。ここで、カメラの目は擬似的に観客の視線と同化するのである。
撮ったばかりの映像を、インターネットを通じて即座に世界に向けて発信できる現代。文明は発達し、人間の生活は変わる。しかし、状況が変わっても、人間そのものは変わらない。日頃抑制しているエゴと欲が、ゾンビ襲来という緊急事態を受けてドッと表出する。「真に恐ろしいのは人間なのではないか? 人間は愚かだ。何と愚かなのだろう!!」というロメロの諦観と達観の入り混じった描写が深い余韻を残す。
もちろん、エンターテインメントのホラー映画として、ショック描写・残酷描写もふんだんに盛り込まれており、スプラッター映画ファンなら狂喜すること間違いなしだ。御大ロメロが存分に持ち味を発揮した秀作である。
尚、ロメロは現在、本作の続編を撮影中。本作を鑑賞しつつ、新作を待ちたい。
ダイアリー・オブ・ザ・デッド http://www.diaryofthedead.jp/
原題:『DIARY OF THE DEAD』
2008年 アメリカ R-15指定作品 95分 配給:プレシディオ
監督・脚本:ジョージ・A・ロメロ
出演:ミシェル・モーガン、ジョシュ・クローズ、エイミー・ラロンド、ジョー・ディニコル、ほか
【上映スケジュール】
11/15(土)〜 東京:TOHOシネマズ六本木ヒルズ、銀座シネパトス
11/29(土)〜 大阪:敷島シネポップ
京都:新京極シネラリーベ
兵庫:三宮シネフェニックス
そのほか、全国順次公開
| Happyダーツ > >>