日本映画美術界の巨人・木村威夫の長編映画初監督作品。高齢監督と言えば、ポルトガルのマノエル・デ・オリヴェイラ、日本の新藤兼人が更に上を行くが、90歳を超えての長篇初監督は世界最高記録として認められギネス・ブックへの登録認可もなされた。
長門裕之演じる専門学校N・K学院学院長は、名前こそ異なるとは言え、明らかに木村威夫の分身である。無論、学院のモデルとなっているのはにっかつ芸術学院のことだ。よって、本作は、木村威夫の自伝要素が色濃い作品となった。
戦前・戦中・戦後の日本を見つめ続ける木村威夫の視線は、作中に度々登場する樹木の瘤を通して戦争の記憶と生きることの意味を徹底して射抜く。痴呆気味の妻(有馬稲子!!)の世話をする長門裕之の姿は、実生活で妻の南田洋子を手厚く介護する姿ともダブるが、ここで観客は、スクリーンと客席を越境するリアリティが、本作を単なる回顧的メロドラマとしてではなく、日本近代史を俯瞰しつつ現代性を忘れない死生観のドラマとして存在していることに気付くことだろう。
ゆえに、本作は、型通りの薄っぺらな反戦映画に堕することなく、また老境の視座からの一方的かつ後ろ向きな死生観に陥ることもなく、双方の危険性をどちらも見事に回避し得ている。ここに、木村威夫が、映画人として、あるいは教育者として、そしてとどのつまりは人間として、若者たちと連綿な交流を行い、その姿を見つめ続けてきた事実が大きく作用しているに違いない。そこにあるのは <若者という希望> である。しかし、本作では、その希望は真逆に表現される。
本作で、木村威夫は、村上大輔演じる精神的に不安定な教え子をクローズ・アップするのだが、この若者が、戦争への怒り・苛立ち・恐怖・困惑が渾然一体となった懊悩の迷宮に迷い込み、やがて自死に至るという非業な運命を、 <手紙> というクッションを置きつつ寄り添うことで <死に手招きされる若者と生にこだわる老人> という、一見逆説的でありながら、その実、普遍的な人生観を叩きつけて見事である。
とはいえ、本作には、多分に木村威夫的でありながら、些か独りよがりに思える観念劇に埋没気味であるというもどかしさが、さながら重苦しい膜のような存在としてベットリと張り付いてもいる。そこに在る巨大な闇こそ、本作の根幹たるテーマであろうが、その闇に呑み込まれることを回避しながら、直視しようという果敢なる試みが、完全なる成功を遂げたとは言い難い。しかし、ここに在る木村威夫のメッセージは大変貴重なものだ。
アヴァンギャルド性に富んだ木村威夫ワールドに戸惑ったことであろうが、主演の長門裕之、有馬稲子はいずれも名演。二役を演じる宮沢りえの存在感、井上芳雄の熱演、桃井かおりの熟達した助演振りもそれぞれ見ものだ。そんな中、本作が遺作となった観世榮夫(かんぜひでお)が、特攻隊の生き残りである老人を演じて素晴らしい。監督・スタッフ・キャストが一丸となって表現した心。そこに込められた思いを受け止め、向き合って欲しい。
*
日本映画美界の巨匠・木村威夫さんの長編初監督作品『夢のまにまに』に主演した長門裕之さん合同インタビューの模様をお届けします。90歳での劇場用映画長編初監督は史上最高齢記録としてギネス記録として認定されました。長門さんも芸暦70年超の大ベテラン。そんな御二人ががっぷりと組んだ作品。果たしてその舞台裏は?
――― 脚本の段階で仕上がりを予想するのが難しい作品だと感じました。木村監督とイメージをどのように共有されましたか?
長門 台本は全く参考にならなかった(笑)。と言うのも、木村さんは日本映画美術界の大巨匠ですからね。木村さんの頭の中にはビジョンがあるんだろうなあ。かといって、取っ掛かりがないと演じられないから「どうしますか?」と聞いたんです。すると「何もしないで下さい」と言われちゃって。役者にとって「何もしないで下さい」なんて、手足をもがれたようなものだからね。それで木村さんの言う通りに演じたんですよ。だから、この作品に僕の美意識や人生観は全く入っていません。それだけに出来上がりを観たらびっくりしたね。「こうなるのか!」って。
――― 長門さんの奥様である南田洋子さんが、現在認知症を患っておられ、先日その模様がTVドキュメンタリー(『報道発ドキュメンタリ宣言』第1回)として放送されましたね。本作でも、有馬稲子さん演じる妻を認知症が蝕んでいきますが、木村監督は長門さんの状況を御存知でこの役をオファーされたのでしょうか?
長門 いいえ、違います。撮影前は洋子の症状がそんなに悪くなくて、まだわからなかったんです。撮影中(2007年3月頃)に、日々症状が出始めた。だから、有馬さんがどう演じられようと気にならなかったね。けれど、こんなものじゃない。今思うと、もっと厳しい。映画の中の有馬さんは目的意識を持って行動するでしょう? けれど、実際はそうじゃないんだなあ。例えば近所を徘徊したりする。その徘徊には目的意識なんてないんですよね。足が止まらなくなっちゃうんだ。だから、今度TVの「土曜ワイド劇場」で、認知症の妻を持つ夫の役を演じるんだけど、妻役の草村礼子さんには本当の認知症の在り方をしっかり伝授しようと思っています。
――― TVドキュメンタリーを拝見しましたが、南田洋子さん、撮影によく同意されましたね。
長門 小さいカメラでずっと撮ったんです。その前に洋子に「ココとココにカメラがあるよ。撮ってもいい?」って尋ねたんですよ。そしたら「うん」と言ったんです。「うん」って。でも、これはね <了解の「うん」> じゃない。僕が「○○していい?」と尋ねたら、いつも洋子は「うん」と言うんです。これは <信頼の「うん」> なんですよ。お蔭様でとても高い視聴率で、22.9%。これからも続けて撮影していきます。
何年か前にね、洋子が「女優、辞めたい」って言った。「辞めていい?」って。「セリフが覚えられなくなったから」って。それで僕は「いいよ。辞めていいよ」って言ったんです。そしたら洋子ね、とっても喜んでね。本当に嬉しそうだった。解放感というのかなあ。それからしばらくして、急速に認知症が進行していったんだけれど。ドキュメンタリーの洋子、可愛かったでしょう? <元祖スッピン女優> だからね。スッピンで画面に映った美人女優の元祖。今は女優を引退したから <元女優> って言ってるんだけれど、引退前のわりかし最近に出演した大林(宣彦)監督の作品でもキレイですよ。しかし、それだけに悔しいね。認知症というのは、近い将来爆発的に患者数が増えて500万人を突破すると言われているんですよ。これまでに手は打てたはずなんだ。今の医療技術の進歩というのは物凄いですからね。けれど死に直結する病気じゃないから後回しにされてきた。僕はね、洋子に色々苦労をかけてきたからね、今は贖罪だと思ってます。
贖罪、ですか?
長門 そりゃあ贖罪ですよ。うん、贖罪です。
―――今回の役柄は、今の長門さんにしか演じられないリアリティがありました。
長門 今の歳に最もふさわしい役柄をもらえたと思っています。「戦争ってやっぱり嫌なもんだな」とか、認知症の妻とその夫の夫婦愛があって、その一方で過去の戦争にとらわれた現代の若者の姿がある。その若者を救おうとしても救ってやれない男の、人間的な脆さや無力さが描かれていますね。木村監督の中に <今も過去と戦っている> という意識があるんでしょうね。
―――有馬稲子さんが、ずっと思い出せなかったピアノのフレーズを最後に思い出して弾くシーンが印象的でした。
長門 あれは <女性の最大のエネルギーは嫉妬である> ということ。木室(長門演じる主人公)が昔愛した飲み屋の女将。その面影がある現代の画商の女性。この2人を宮沢りえさんが二役で演じているのだけれど、木室はその画商の女性から絵を買いますよね。そして持ち帰って応接間に飾る。そこで、有馬さん演じる妻は夫が内心はしゃいでいることがわかる。それが究極のエネルギーとして現れて、ピアノのフレーズを思い出すんです。その究極のエネルギーというのが嫉妬なんですね。ここはけっこう判りやすい。でも、これを監督の木村さんに尋ねたら「そうじゃないんだけどね」って(笑)。もうあの人の考えていることは判らない。敵わない。あんなシュールな考え方する人、いないですよ。他の監督とは <距離> が違うんですよね。僕も良く知っている今村昌平や黒木和雄は起承転結のある物語を作るけれど、木村さんは起こった現象を美的に表現する。起承転結とは違う。これは僕たちの従来の映画作りとは違うものでしたね。
―――木村監督の自伝要素の強い作品ですが、本人を前に演じられる心境というのは?
長門 いやあ、何も感じませんでした(笑)。あの人は演技指導をする力がないですから。例えば、現場で後ろにあるトロフィーを指差して「何を感じますか? あのトロフィーを見て何を感じますか?」と来る。「何も感じません」(笑)。すると「あの青年が生きていたらこのトロフィーを取ったと思いませんか?」って。「思いません」(笑)。もう、禅問答みたいですよ(笑)。こんなだから、撮影が終わったときにも充足感なんてものがまるでなかった。せっかく46年振りに主演させてもらったのに…… それで「これは期待できないな……」と思っていたら、出来上がりを見てひっくり返った。こないだ、弟の(津川)雅彦から電話が掛かってきてね。「評判イイから俺も行くよ!」って(笑)。
あ、あと、この作品は観世榮夫さんの遺作です。特攻隊の生き残りの役で <生き残ってしまった者の責任> を背負っている役。素晴らしい演技でしたよね、観世さん。
―――木村監督は本作で最高齢での長編映画新人監督としてギネス認定されましたね。
長門 まあ、作品の価値とギネス認定は関係ないですけどね。けど、90歳で長編初監督、新人っていうのは凄いことですよ。監督って物凄いエネルギーのいる仕事なんだよね。本当に大変。木村さんは、いつも現場で最初に大演説をするんだ。「このシーンはこう。こういうシーンでこうなってこうなる。それでこう」って。あのエネルギーは90歳とは思えないよ。
本作では、老人と言われる世代、特に長門さんと有馬さん演じる老夫婦の姿は、生のイメージに溢れています。戦争で理不尽な親しい人との死別なども経験し、今も認知症と戦っているのですが、終盤で長門さんが有馬さんの座った車椅子を押して花見に行くシーンなどは「それでも生きていく」という前向きなイメージです。それに対して、若者である大輔は死のイメージに覆われています。そこに木村監督のメッセージが込められていると感じたのですが、長門さんは現代の若者をどう捉えていますか? また、本作を通じて伝えたいことはありますか?
長門 それは面白い意見だね。まあ、もちろん、この作品にあるのは監督である木村さんのイメージであり、メッセージだから。その上で、僕なりに今の日本の若者に対するメッセージを、と言うと…… 「死んじゃダメだよ」と。「生きなくちゃ」と。とにかく死なないで欲しい。自ら命を絶つなんてことは絶対にしないで欲しいね。死んだら終わりだから。そして、我々、老人という世代がね、 <教える> <伝える> ということをしていかなくちゃいけないね。日本はそういったところが特に遅れている。映画作りでもなんでもそうだけれど、僕らの世代が <架け橋> を作ってあげなくちゃ。システムとして残すということをね。これはしなくちゃいけないと思っています。
*
2008年の映画界は <こども> と <老人力> が大きなキーワードとなっています。『ブタがいた教室』『コドモのコドモ』『ホームレス中学生』『青い鳥』『闇の子供たち』といったこどもたちを巡る作品が大いに話題となる一方で、『蛇にピアス』で70代の蜷川幸雄監督が、『石内尋常高等小学校 花は散れども』の90代の新藤兼人監督が気を吐いています。12月公開の『ぼくのおばあちゃん』では80代のベテラン女優・菅井きんさんが初主演。ドキュメンタリー作品では高齢化社会を見つめる『いのちの作法』という作品が精力的に上映活動を続けています。そんな中、本作『夢のまにまに』も老人力漲る一本。
最後の質問で長門裕之さんから現代の若者に向けてのメッセージをいただきました。「死んじゃダメだよ」。この一言が、重みを持って胸にズシンと響いたものです。そして、「僕らの世代が <架け橋> を作ってあげなくちゃ」という言葉も。ここにあるのは、未来に向けての視線です。この熱き想いが、読者の方々に届くことを切に願います。
夢のまにまに http://yumemani.com/index.html
2007年 日本 106分 配給:パル企画
監督:木村威夫
出演:長門裕之、有馬稲子、井上芳雄、宮沢りえ、永瀬正敏、上原多香子、浅野忠信、桃井かおり、観世榮夫、ほか
【上映スケジュール】
11/29(土)〜 愛知:名演小劇場
11/29(土)〜 大阪:第七藝術劇場
1/10(土)〜 兵庫:神戸アートビレッジセンター(〜1/16まで)
年明け公開 京都:京都シネマ
2/ 7 (土)〜 奈良:橿原シネマアーク(2/20まで)
そのほか、全国順次公開