ゴールデン・ウィーク真っ只中にこの原稿を書いている。
【ゴールデン・ウィーク】という言葉は映画界から生まれた和製英語である。1951年に当時の大映専務・松山英夫が名付けた。正月・盆に並ぶ映画界のかきいれ時ということから【黄金週間】と呼ばれ、ほどなく【ゴールデン・ウィーク】という言葉が定着したのである(続けて、11月第1週を【シルバー・ウィーク】と名付けたが、こちらは定着しなかったという)
さて、今年のゴールデン・ウィークも、大作・話題作が数多く公開されている。本来なら、公開前に特集を組んで御紹介するべきであったが、叶わなかったことをお許しいただきたい。
超大作『レッドクリフ Part.II ―未来への最終決戦―』、定番アニメ最新作『名探偵コナン/漆黒の追跡者(チェイサー)』、大ヒットシリーズ第2弾『クローズZERO II』あたりが興行を引っ張っているが、これらは全てシリーズ物。では、オリジナル作品で頑張っている作品はないのかというと、決してそんなことはない。筆者のおすすめ作品を幾つか挙げておこう。前回御紹介した『ミルク』、コーエン兄弟最新作『バーン・アフター・リーディング』、ジェット・リー&アンディ・ラウ&金城武共演の歴史アクション『ウォーロード/男たちの誓い』、戦乱の世を舞台として絢爛豪華なアクション・ファンタジー『GOEMON』、19歳のハナ・マフマルバフが世界に突き刺す『子供の情景』、若き巨匠ジャ・ジャンクーが現代中国を炙り出す『四川のうた』、カンヌ・ヴェネチア・ベルリンの世界3大映画祭を制覇したエミール・クストリッツァ最新作『ウエディング・ベルを鳴らせ!』、ジャーナリスト土井敏邦がパレスチナ・イスラエルを現地で見つめ続けた記録『沈黙を破る』と、いずれも見て損のない出来栄え。筆者は未見(これから鑑賞予定)だが、御大クリント・イーストウッドが監督&主演した『グラン・トリノ』と、アカデミー賞を制覇した『スラムドッグ$ミリオネア』も見逃せない。
といったところで、今回の本題に入ろう。
今回は、数あるGW映画の中でも、筆者が特におすすめしたいとびきりの作品を御紹介したい。韓国映画『チェイサー』である。
タイトルの「チェイサー」は「追撃者」の意。無店舗型風俗店=デリバリー・ヘルス(略称デリヘル)を経営する元刑事が相次ぐデリヘル嬢失踪について調べる内、やがて世にもおぞましい猟奇殺人事件がその全貌を露にしていくというクライム・サスペンスだ。
『チェイサー』モデルは実在の猟奇連続殺人事件
本作のモデルとなったのは、韓国最大の連続殺人事件として知られるユ・ヨンチョル(柳英哲)事件。警察官がユ・ヨンチョルに飛びかかった被害者家族を蹴り飛ばした映像が、日本でも大々的に報道されたので、覚えている方も多いだろう。
ユ・ヨンチョルは、2003年9月から2004年7月までの約10ヶ月間で、デリヘル嬢や資産家夫婦など21人を殺害した。逮捕後に「100人殺そうと思っていた。早く捕まり過ぎた」と発言するなど、全く反省の色を見せず、そのため、韓国メディアは“殺人機械”という異名を付けた。調査が進むにつれ、カニバリズム(内臓を食べていた)や、生きたままの被害者解体・被害者死亡後の執拗な死体損壊など、酸鼻極まる猟奇的な事実が次々と判明し、世間に多大なショックを与えた。
同時に明るみに出たのは、警察のズサンな捜査である。資産家夫婦殺害に関しては熱心に捜査したものの迷宮入りと思われていた。こちらは致し方なしとしても、デリヘル嬢失踪を巡る捜査には大いに問題がある。ユ・ヨンチョル逮捕後、「被害者の失踪に関して、職業上な問題があるためか、失踪申告が提出されていなかった。申告が無ければ捜査のしようがない」としていたが、ほどなく、既に3件の失踪届を受け付けていたことが判明した。韓国の警察は、デリヘル嬢という職業に対する偏見により、手抜きをしていたわけである。また、ユ・ヨンチョルの身柄を確保したのは警察官ではなく、自店のデリヘル嬢失踪について独自に調査を進めていた店主と店員であった。更に、逮捕後も警察はユ・ヨンチョルのソウル警察庁舎からの脱走という大失態をしでかしてしまう。12時間後に再逮捕したものの、警察のふがいなさには、国民から非難の嵐。加えて、7月の逮捕は1件のデリヘル嬢監禁暴行によるものであり、まさかこれほどの事件とは予想できなかった。ユ・ヨンチョルが21人に及ぶ連続殺人の犯人であることは、全て彼の自白によるものである。つまり、自白がなければ数々の事件は解決していなかった公算が高いのだ。『チェイサー』は、ユ・ヨンチョル事件の実録ではなく、事実を脚色したフィクションになっているが、警察に対する不信感・怒りが創作の原動力となっている。
イラクでの外国人人質殺害事件もきっかけのひとつ
また、ナ・ホンジン監督は、2004年にイラクで起きた日本人・中国人・韓国人・アメリカ人拉致殺害事件も、本作製作の根源にあると語っている。交渉が成功した人は解放されたものの、そうでなかった人たちは無残に殺害されてしまったという事件だ。この殺害映像は世界中に出回り、多くの人々が本物の殺害場面を目の当たりにしたという。その映像を見たナ・ホンジンは強烈なショックを受けた。普段、新聞やニュースで報道される死に対して、我々が鈍感になっているという事実をまざまざと思い知ったとのことだ。このことが、ユ・ヨンチョル事件で明るみに出たデリヘル嬢に対する職業差別が生んだ人命軽視という事実に結びつき、本作は生まれた。
しかし、映画化は難航した。ナ・ホンジンは、本作が長編初監督作品。一般的には無名の存在である。その上、実在の猟奇殺人事件の映画化という【重い+暗い+つらい】という興行的不安抱えた企画に対してどこの映画製作会社もNOを突き付けたという。ようやく一社が乗り、製作に漕ぎ着けたが、予算は決して潤沢なものではなく、主演のキム・ユンソクやハ・ジョンウを始め、それなりに名の知れたキャストを揃えたものの、爆発的な集客力を持つ大スターではなかった。夜のシーンが多いため、スタッフやキャストは昼夜逆転の生活となり、タイトな撮影日数の兼ね合いから、睡眠さえ満足にとれない日もあったという。
このように、過酷な状況の中で製作された作品だが、その苦労は見事に報われることとなった。公開されるや否や、劇場には人々が詰め掛け、連日満員の大盛況。最終的に韓国本国で507万人を動員し、大鐘賞(韓国アカデミー賞)6部門&大韓民国映画大賞 7部門を受賞。国外でもカンヌ国際映画祭に出品されるなど、興行・批評の両面で大成功を収めている。日本の映画賞でも高い評価を受けるに違いない。紛れも無い大傑作に仕上がっている。
『殺人の追憶』の二番煎じではない!
猟奇連続殺人事件に材をとった韓国映画だと、ポン・ジュノ監督の傑作『殺人の追憶』がまず思い出される。未解決のまま時効を迎えた華城(ファジョン)連続殺人事件を下敷きにした作品だ。そのため、『チェイサー』を、殺人の追憶』の二番煎じと感じるかも知れない。その点に関しては、まずはっきりと否定しておこう。『殺人の追憶』は1980年代軍事政権化にあった韓国の時代性と、田舎の刑事と都会の刑事のコンビが示す格差を描いていた。だが、『チェイサー』は2000年代が舞台であり、テーマも異なる。
“坂道”に始まり“雨”に終わる社会派エンタテインメント
『チェイサー』は“坂道”に始まり“雨”に終わる映画だ。
【郊外の閑静な住宅街だ。デリヘルの元締めをしているジュンホ(キム・ユンソク)は元刑事。相次ぐ従業員の失踪に頭を苛立っているジュンホだが、ミジン(ソ・ヨンヒ)を客の下に送り出した直後に、その客の不審な点に気付く。慌ててミジンに電話するが繋がらない。その客こそ猟奇殺人犯ヨンミン(ハ・ジョンウ)だったのだ。ヨンミンはジュンホの追跡によって逮捕されるが……】
というストーリー。
ヨンミンが犯行を繰り返す邸宅は、山を切り拓いて造られた坂道だらけのマンウォン洞という街にある。画一的に整備されてはいるものの、いかにも人工的である傾斜だらけのこの街並みから、観る者の脳裏に“開発”という言葉が浮かび上がって来る。この街は、急速な近代化を経た韓国社会を如実に示しているのだ。
この坂道だらけの街で、ジュンホのヨンミン追跡劇が繰り広げられる。追うジュンホと逃げるヨンミン。交互に映し出される走る男たち。卓越した編集が手に汗を握らせる。緊張が途切れることはない。そればかりか、サスペンスがどんどん高まっていく。“走る”という行為を、これほど映画的に処理してみせた演出の力たるや! 犯罪を巡る追跡劇を描きつつ、その背景にある風景に社会を語らせる構造は、黒沢明監督による名作『野良犬』(1949)を彷彿とさせる。
ユ・ヨンチョルをモデルにしたヨンミンの凶行が直接的に描かれる。思わず目を背けたくなる凄惨さだが、ナ・ホンジン監督は、敢えて“痛み”を感じるような描写を心がけたという。とはいえ、実際の事件にあって人肉食や生体解剖は採り入れられていない。本作のテーマは、“痛み”。そして、そこから生まれる“怒りと悲しみ”だ。ナ・ホンジンは、事実に固執して本作がゲテモノに堕することを避け、テーマにとって不必要なものをきっちりと省いている。また、ジュンホを元刑事という設定にしたのも利いている。事実に対して、作品にとって必要な取捨選択を行うこと。そして、効果的な脚色を施すこと。この2点が本作成功の鍵であるが、どちらも見事に成功している。
ヨンミンが身柄を警察に拘束されるのは映画の中盤。ここからは、警察の愚かしさが淡々としたタッチで描かれる。それまでのノワール風サスペンス・アクション超が一転し、社会派映画としての顔が前面に出てくるのだ。しかし、サスペンスが途切れることはない。社会性と娯楽性の両立がここに見られる。テーマを見失うことなく、同時に観客を楽しませることも忘れないあたり、並大抵の演出力ではない。
ハリウッド映画では有り得ない痛み
ただし、本作は救いようのない作品である。安易なハッピー・エンドに落とし込むことをよしとしない姿勢に作家魂を見た。そのため、映画にスッキリした後味を求めたい向きにはおすすめできない。とは言え、ここにある現実を直視し、考え、自分自身を見つめるきっかけになる作品であることは間違いのない事実だ。意義ある作品だと断言する。
終盤、ミジンがジュンホに電話をかける。ジュンホは出られず、ミジンは留守番電話にメッセージを吹き込むのだが、その内容が胸を締め付けてたまらない。ハリウッド映画を“夢”とするならば、ここにあるのは“現実”だ。甘い夢に酔いしれることがダメとは言わない。ただし、現実を直視することは必要だ。そして、現実の痛みを知ることで、甘い夢をより楽しむことができるというものである。
本作には、一点の妥協も容赦もない。そんな中“雨”が際立った効果を上げている。この雨は涙だ。嗚呼、天が泣いている。安易に台詞に頼ることをせず、映像に語らせている。上手い。
本年度指折りの一品、『チェイサー』。決して見逃さないでいただきたい。
チェイサー http://www.chaser-movie.com/
・2008年 第45回大鐘賞(韓国アカデミー賞)6部門受賞(最優秀作品賞、監督賞、企画賞、撮影賞、主演男優賞、BMW人気賞)
・2008年 第7回大韓民国映画大賞 7部門受賞(最優秀作品賞、監督賞、新人監督賞、主演男優賞、脚本賞、照明賞、編集賞)
・2008年 第64回カンヌ国際映画祭 ミッドナイト・スクリーニング部門 特別招待作品
・ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2009 ゆうばりファンタランド大賞(観客賞)受賞
2008年 韓国 125分 R-15指定作品 配給:クロックワークス+アスミック・エース
監督・脚本:ナ・ホンジン
出演:キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、ソ・ヨンヒ、キム・ユジョン、チョン・インギ ほか
【上映スケジュール】
5/1(金)〜 上映中
東京:シネマスクエアとうきゅう、シネマート六本木、ユナイテッド・シネマ豊洲、
ユナイテッド・シネマとしまえん、109シネマズグランベリー モール
大阪:テアトル梅田、シネマート心斎橋、布施ラインシネマ、ユナイテッド・シネマ岸和田
京都:京都シネマ
兵庫:109シネマズHAT神戸
滋賀:ユナイテッド・シネマ大津
そのほか、全国ロードショー