秒速5センチメートル

【映画を鑑賞した後、映画館から一歩外に踏み出すと、目の前に広がる世界が、映画を見る前と比べて光り輝いて見える】

 そんな経験、ないですか? 私には、年に数度こういった幸福な映画との出会いがあります。そんな時、私は心の底から「ああ、映画っていいなあ」と満ち足りた気分にさせられるのです。だからこそ、映画館通いがやめられないんですね。

 少し前だと、北野武監督の『キッズ・リターン』や、阪本順治監督の『顔』。最近だと、細田守監督の『時をかける少女』や、李相日監督の『フラガール』といった作品が、私を勇気付け、温かく、そして優しく包み込んでくれたものです。こういった作品は、長く心の中で輝き続けます。鑑賞してから相当の年月が経過しても、決して色褪せることはありません。

 嬉しい事に、つい先日、また珠玉の映画との出会いがありました。今回は、その素晴らしい作品を御紹介しましょう。

オフィシャルサイトへ

『秒速5センチメートル』という僅か60分の中篇アニメーション映画。公開開始からしばらく経っていますが、都市部を中心に現在も上映中であり、更にこれから上映される地域も多いようですので、思い切って御紹介させて頂くことにしました。

 監督は新海誠。『ほしのこえ』という短編アニメーションで大きな注目を浴びた新進気鋭のアニメーション作家です。この『ほしのこえ』を、新海誠はなんと独力で、たった一台のMacを使って作り上げたといいます。ハイクオリティのフルデジタルアニメーションが、これ以上ないと言える最小の製作環境で生み出されたことにまず驚きますが、その出来栄えは、その驚きを賞賛の声に変えるだけの完成度の高さを誇っていました。続いて、新海誠は製作規模を拡大した長編アニメーション映画:『雲のむこう、約束の場所』
を発表。押井守・大友克洋・庵野秀明ら、<ジャパニメーション>という言葉を生み出した大物アニメーション作家に続く新世代の筆頭としてその名を轟かせたものです。

 しかし、私個人としては、『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』ともに、完全にノリきることができず、そのもどかしさに戸惑いを覚えたものです。新海誠作品最大の魅力と言える詩情は、なるほど豊かな情感を湛え、胸に迫るものがありましたが、上記した2作品はいずれもSF要素が強く、詩情との噛み合せがどうもしっくりいっていないように思えたのです。新海誠には、ロボットやロケットだとかいった科学要素のない『彼女と彼女の猫』という素晴らしい短編作品(『ほしのこえ』DVD収録)があり、そちらの方が彼の作家性を見事に発露し得るのではと、常々考えていたものでした。

 今回鑑賞した『秒速5センチメートル』は、SF要素のない現実感覚に根ざした青春・恋愛作品で、3つの掌編(『桜花抄』『コスモナウト』『秒速5センチメートル』)から成る連作アニメーションとなっています。いずれも、遠野貴樹という男の子を軸とした物語で、時間軸に添って並べられており、『桜花抄』で中学生だった貴樹は、『コスモナウト』では高校生、『秒速5センチメートル』では社会人となっています。

 この連作仕立てを、「1本の長編映画として仕上げれば良かったんじゃないの?」という意見もあるようですが、私はそうは思いません。確かに、各挿話の合間にある断層は、時間軸を隔てるためにも機能しており、そこだけに注視すれば、わざわざ連作形式にしなくても済むと感じるのですが、よく観ると、3つの掌編は、それぞれ視座が異なるのです。『桜花抄』は、中学生の貴樹と明里という少女の遠距離恋愛を <貴樹の視点> から、『コスモナウト』は、高校生の貴樹に恋する花苗のドラマを <花苗の視点> から、そして『秒速5センチメートル』では、都会生活の中で疲れ果て、虚無感に覆われている貴樹の姿を <客観的視点> から描いているんですね。この視座の移ろいを、1本の長編の中で展開するのは不自然ですし、だからこそ掌編連作によるストーリーテリングという形式を選択したのでしょう。そして、その視点の移ろいは本作にとって重要なものであると考え、私は大いに肯定したいのです。

 それにしても、画が美しい! 「アニメーションなら、実景より美しいものを作り出せると思うんです」と、新海監督はインタビューで発言していますが、 その言葉通りの美しさが全編を彩っています。そして、その美しい画面に乗せられた心締め付けられる詩情。清らかで、切なくて、狂おしくて……、という、幼くて青い、だからこそ純粋な恋心が観る者の胸を締め付けます。甘く楽しいだけでもない、苦くて苦しいだけでもない。恋というものが、人間の感情の全てを孕んだ多面体であることがよくわかります。そういった、苦楽が渾然一体となった感情の曖昧さですね、それが心に染み入る美しい画と共に綴られます。冒頭、桜の花びらが舞い散る光景が映し出され、私など、そこで早くも心を鷲掴みにされてしまったものです。文字通りの桜色の花弁。その淡い色彩を目にするだけで、心の中でポッと花が咲くような感覚ですね。その感覚はやはり <恋> なのだと、そう思うのです。どうやら私は、このファーストシーンで、早くも本作に恋をしてしまったようです。思うに、桜の花弁というのはロマンチック溢れる形状をしていますね。自然が作り出した天然のハートマーク。これから、恋の物語が描かれるんだという予兆を感じさせる見事な導入部です。

 どのエピソードをとっても完成度が高く、そして、それらを一つの連作集として俯瞰してみてもまとまりがあります。しかし、世間では各掌編毎に区切って評価しようという方が多いように思います。その中で、どうも、第三話がいまいち中途半端に過ぎるという声が多いように思うんです。私としてはどのエピソードも堪らなく心に響きましたし、特に、否定的な意見がチラホラ出ている第三話の演出など、これ以上ないほど繊細で、それまでの二篇をこの第三話でひとまとまりにさせる接着剤としても優れた語り口がみられ、これは最上の仕上がりだと大いに称揚したい次第です。第三話はもうギリギリですよ。これ以上、ワンカットも足してはいけないし、引いてもいけないというギリギリのところで完成しているのです。山崎まさよしの名曲:『One More Time One More Chance』にのせて綴られる細かいショットを集積させた回想シーンから、最後の最後に呈示される貴樹の表情の一瞬の変化。ここは、第三話の肝でもあるのですが、同時にこの部分は連作集としての肝でもあります。これから本作をご覧になられる方には、この部分で全ての感覚をスクリーンに注いで、本作の魂を感じ取って頂きたいと思います。

 本作を鑑賞し終え、映画館の外に出た時のあの清々しさは筆舌に尽くし難いものがあります。是非、皆さんに体感して頂きたく、本作を心の底からおすすめしましょう。

 それでは、また劇場でお逢いしましょう!

秒速5センチメートル http://5cm.yahoo.co.jp/

どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。

60分/日本/監督・原作・脚本:新海誠/美術:丹治匠/ 馬島亮子/音楽:天門/キャラクターデザイン・作画監督:西村貴世/声の出演:水橋研二 近藤好美 尾上綾華 花村怜美

2007年4月16日号掲載

< ブラックブック(2007/4/30) | 京鹿子娘二人道成寺(2007/4/2)>

▲このページの先頭へ


w r i t e r  p r o f i l e
turn back to home | 電藝って? | サイトマップ | ビビエス