『ロボコップ』『トータル・リコール』『氷の微笑』『ショーガール』『スターシップ・トゥルーパーズ』『インビジブル』と、6本の大作をハリウッドで監督したのがオランダ出身のポール・ヴァーホーヴェン監督。過剰な暴力・残酷描写と濃厚な性描写が持ち味である彼は、ハリウッドでの映画作りにおいてもその作家性を炸裂させ、高尚な批評家の嘲笑と、フランクな映画マニアの喝采の両方を獲得してきました。彼の作品に迸る残酷性と好色性は、<変態性> という言葉に転化され、認知されてきたものです。その一方で、裏アカデミー賞=最低映画賞と言われるゴールデン・ラズベリー賞(通称:ラジー賞)を『ショーガール』で総なめにした'96年、それまでどの受賞者・候補者もこの賞を不名誉・不愉快なものとして授賞式に現れたことのなかったにも関らず、ヴァーホーヴェンは自ら登壇してトロフィーを受け取り、会場を大いに沸かせたといったユーモア精神溢れるエピソードの持ち主でもあります。
そんなポール・ヴァーホーヴェンですが、ハリウッドでの映画作りでかなりの消耗を経験したらしく、「もうハリウッドはたくさんだ!」としてオランダへ帰還。ハリウッドでの活躍は、彼に富と世界的知名度をもたらしましたが、その一方で限界を見ていたのも事実。特徴とされる <変態性> は真の評価を下されることなく、下世話・下品なものとして受け止められていたきらいがあります。ハリウッドは、彼のイメージを良くも悪くも固定してしまったわけですね。思うように自由に撮ることができないヴァーホーヴェンは、さながら檻の中の野獣でした。ハリウッドという飼い主によって、制約という檻に閉じ込められた彼は、その檻の中で縮こまっていたのです。ヴァーホーヴェンの母国への帰還は疲弊の果ての帰郷でもあったのです。しかし、その創作意欲は衰えることを知らず、彼は早速念願の企画にとりかかることを決意。 実に23年振りのオランダ映画として発表したのが、 今回ご紹介する『ブラックブック』なのです。
ヴァーホーヴェンにとって30年来念願の企画である本作は、ナチス占領下のオランダを背景に、レジスタンス運動に身を投じていく1人の女性の波乱の半生を描いた堂々たる歴史大作。1977年に『女王陛下の戦士』(日本劇場未公開)でオランダ・レジスタンスを既に一度描いている彼ですが、その製作準備の最中に本作の構想を練り始めて以来、温めていた企画だといいます。正に渾身の1本と言えるでしょう。オランダ・ドイツ・イギリス・ベルギーの4カ国合作により、25億円というオランダ映画史上最高の製作費を投じて作り上げた本作は、本国での興行記録を塗り替えた他、批評家・観客の絶賛を博し、華々しい凱旋帰国を飾ったわけです。
【1944年9月、ナチス・ドイツ占領下のオランダではユダヤ人迫害が激化。ユダヤ人の美人歌手:ラヘルは、ナチスの魔の手から逃れるため、一家で南部への逃亡を図るも、ドイツ軍に発見されてしまう。奇跡的にも彼女は逃亡に成功するが、仲間は残らず虐殺されてしまい、彼女は天涯孤独の身に。直後、レジスタンスに救われた彼女は、名前をエリスと変えて彼らの活動に参加していく。復讐のために……】
というのが本作のストーリー。
ラヘルには目下売り出し中のカリス・ファン・ハウテンが抜擢され、その他、トム・ホフマン、セバスチャン・コッホ、デレク・デ・リント、ハリナ・ライン、ドルフ・デ・ヴリーズ、ピーター・ブロック、ディアーナ・ドーベルマン、クリスチャン・ベルケルといったオランダ・ドイツ映画界の実力派がこぞって出演しています。
これは紛れもない傑作! 144分という長丁場であり、テーマも内容も暗く重い作品ですが、片時もスクリーンから目を離すことはありませんでした。全編に漲るサスペンスに手に汗を握りっぱなしで、終始ハラハラドキドキの連続。堂々たる戦争大作であり、偉大な女性映画であり、そして超A級の娯楽映画でもあります。随所にヴァーホーヴェンらしさが迸っており、残酷描写・官能描写も彼ならではの直裁的変態性を有していながら、ハリウッド時代に見られたやりすぎ感は皆無。例えば、ラヘルがユダヤ人であることを隠すために陰毛までブロンドに染め上げる場面を、ヴァーホーヴェンはセリフで説明することなく実際に観客にその目で見せてしまいます。また、銃弾によって無惨に破壊された男の頭部を執拗にクローズアップして見せます。いずれも、並の監督ならばサラリと見せてしまおうとする部分。それをヴァーホーヴェンはこれでもかと言わんばかりにカメラに収め、敢えて克明に見せるんですね。そこにリアリズムがある。ハリウッド時代に見られた過剰の果ての戯画化・誇張は本作では全く見られません。読んだり聞いたりすれば、露悪的に過ぎると感じるこれらの描写も、実際に作品をご覧になれば、その全てが必要不可欠なものであるということが御分かりになるでしょう。
ここで重要なのが、<目で見せる> ということ。私が最も敬愛する映画評論家の1人である淀川長治氏(故人)は言いました。
【サイレントの昔、映画は <目で見せるもの>、<目で見てわかるもの> でした。これが映画の真髄です】
本作は正にこの言葉通りに全てを目で見せてくれます。ヒッチコック作品を連想させる極上のサスペンスも、ヒロインの身を焼き尽くすような狂おしい恋愛の過程も、悲惨なオランダの状態も、全てが観客の視覚を通して語られていくのです。徹底的に見せること。まず、前提としてこの命題があり、その狙いに即して巧みな演出がなされているといった印象を受けます。目で見てハラハラ、目で見てドキドキ。セリフで説明しさせることなく、音楽に感情操作をさせることもなく、徹頭徹尾、本作は目で見せるのです。その結果、本作は「これぞ映画!」と快哉を叫ぶにふさわしい堂々たる作品に仕上がったのです。
先に、本作はヴェーホーヴェン宿願の企画であったと書きました。ユダヤ人であるスティーブン・スピルバーグが『シンドラーのリスト』を、ポーランド出身のロマン・ポランスキーが『戦場のピアニスト』を、ドイツ出身のオリバー・ヒルシュビーゲルが『ヒトラー〜最期の12日間』を、同じくドイツ出身のマルク・ローテムントが『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』をそれぞれ発表したその背景には、間違いなく使命感や宿命を感じますが、本作のポール・ヴァーホーヴェンにとっても同じことが言えるでしょう。幼少時にナチスによるオランダ占領を目の当たりにしたヴァーホーヴェン。後に彼のトレードマークとして認知されるようになる残酷描写は、幼少時の戦争体験に支えられていると、長年に渡って囁かれてきました。彼はそのことを否定せず、本作を撮ることによって、その宿命と向き合い、映画監督として見事な結実を見せたというわけです。大いなる賞賛をもって彼を称え、広く本作をおすすめしたい。そう思わずにいられません。東京・大阪での公開は残り僅かとなっていますが、これから公開される地域もまだまだあるようです。是非、貴方のその目で、本作を味わって頂きたいものです。
それではまた劇場でお逢いしましょう!!
P.S.
4月27日にモバイル映画マガジン:『CINEMA VITA』が創刊されました。そちらで、私は「ニューシネマレビュー」と題して新作映画評を執筆しております。当コラムは長文、そちらのレビューは短文となっております。劇場鑑賞のご参考にして頂ければ幸いです。登録・購読は無料となっておりますのでご安心下さい。
ブラックブック http://www.blackbook.jp/
この愛は裏切りから始まる
ZWARTBOEK/BLACK BOOK 2006/144分/オランダ=ドイツ=イギリス=ベルギー 監督:ポール・ヴァーホーヴェン 原案:ジェラルド・ソエトマン 脚本:ジェラルド・ソエトマン/ポール・ヴァーホーヴェン 撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ 音楽:アン・ダッドリー 出演:カリス・ファン・ハウテン/トム・ホフマン/セバスチャン・コッホ
2007年4月30日号掲載