落語というのは、歌舞伎や能と並ぶ日本の伝統芸能の1つですが、その中でも我々が最も親しみ易いもの、入りやすいものなのではないでしょうか? 何気なく聞いて、スッとわかる。そういう気軽さも落語の魅力でもありますね。
落語と映画というのも、なかなか魅力的な組み合わせ。落語を映画化した作品もあれば、落語家が登場する作品もあります。
落語を映画化したもので、恐らく最も有名なのは川島雄三監督の『幕末太陽傳』。フランキー堺が絶品の巧さを見せる名作ですね。これは古典落語の『居残り佐平治』と『品川心中』をベースにしているとのこと。新しいところでは、米アカデミー賞の短編アニメーション部門にノミネートされたことで話題になった山村浩ニ監督の『頭山(あたまやま)』も落語の映画化です。また、 怪談物というのも落語の人気演目の1つで、 有名な『真景累ケ淵』『牡丹灯篭』は三遊亭円朝の作。これらは何度も映画化されました。今年、これから劇場公開される中田秀男監督の『怪談』も『真景累ケ淵』が原作となっています。また、6月 23日から公開される降旗康男監督の『憑神』は、浅田次郎の小説が原作ですが、予告編からして「いかにも落語」という雰囲気が漂っていて、これも楽しみにしています。
では落語家が登場する映画はというと、記憶に新しいところではマキノ雅彦(津川雅彦)監督の『寝ずの番』がありました。あと、森田芳光監督の『の・ようなもの』 は若手落語家が主人公である映画の代表格。 岩井俊二監督の『花とアリス』では、落語研究会に在籍する学生が登場しました。その他、村野鍼太郎監督が、実在した異形の落語家:桂馬喬の芸に対する執念を描いた『鬼の詩』なんていうものもあります。これより以前、50・60年代には落語家を描いた映画というのは更に多かったようです。
けれども、90年代・2000年代、落語や落語家を題材として描いた映画というのは数えるほどしかありませんね。決して多くはない。どうしてでしょう? というと、これには幾つかの理由が考えられます。
まず、落語や落語家を描いた作品は海外マーケットで売りにくい。歌舞伎や能、あるいは中国の京劇などは、視覚的な華麗さ・美しさがある。言語が分からなくても、目に見える凄さというのがあります。しかし、落語はその点が乏しい。そのため、海外では理解されるのが難しいでしょうね。
そして、落語は映画として見せるには <動き> に欠けるという点もあります。多少の身振り手振りはあるものの、どうしても高座という舞台の中心から離れることがありません。それほど動かずに、舞台上から話芸で聴衆のイマジネーションを刺激するわけです。
落語は耳で聞くもの。映画は目で見るもの。無論、落語にも目で見て楽しめる部分、あるいは映画にも耳で聞いて楽しめる部分というのはありますが、基本は落語が耳、映画が目で楽しむものですね。そのため、落語や落語家を題材に映画を作るのは案外難しいものだと思います。
更に、時代というのもありますね。50・60年代は映画の黄金期であると同時に、様々な伝統芸能がまだまだ大衆娯楽として活きていた時代です。家で楽しめるのはラジオ。それ以外は映画館であったり、劇場であったり、寄席であったりと、家の外に娯楽があったんですね。しかし、TVが登場して、家の中で楽しむ娯楽が中心になってきた。ここに伝統芸能が衰退したという要因が1つありますが、落語もその波を被った格好になります。その中で、映画の題材にするのは、少し不安があるというのが正直なところではないでしょうか?
それでも、いいものはいい。いいものには力があるから生き残っていきますね。歌舞伎も能も、そして落語もしっかりと生き残っています。往時ほどの勢いはないけれども、やはりいいですよ。
というところで、今回、落語家を主人公にした映画が公開されています。これは一種の冒険ですね。先に上げた諸々の状況がある中で、敢えて今、落語家を描いた映画を撮るというのは勇気のいることでしょう。
ちょっと前置きが長くなりましたが、今回ご紹介するのは『しゃべれども しゃべれども』という作品です。
というストーリー。【舞台は東京の下町。二つ目の若手落語家:今昔亭三つ葉が主人公。古典にこだわり、普段から着物で通すという昔気質の噺家。そんな彼は、今、伸び悩んでいる。そんな彼が、ひょんなことから落語を通じた <話し方教室> を開講することになる。生徒は無愛想な美人:十河五月と、関西弁を学校でバカにされている大阪出身の少年:村林優、ぶっきらぼうでアガリ性のプロ野球解説者:湯河原太一の3人。それぞれに問題を抱えた先生と生徒が織り成す悲喜こもごもの人生模様】
監督はそろそろベテランの域に達してきた感のある平山秀幸。原作は佐藤多佳子の同名小説とのこと。
三つ葉には、これが映画単独初主演となる国分太一。その他、香里奈・森永悠希・松重豊・八千草薫・伊東四朗・占部房子・山本浩司らが共演しています。
『ザ・中学教師』『人間交差点(ヒューマンスクランブル) 雨』といった秀作を放ち、その後、大傑作と言える『愛を乞う人』を発表した頃の平山秀幸には相当な期待をしたものです。しかし、その後の彼は『ターン』『笑う蛙』といった良作を発表しながらも、『OUT』『魔界転生』『レディ・ジョーカー』の大作3連打でつまづいてしまった感があり、私はがっかりしてしまったんですね。好きな監督ですから、いつもいつも期待を胸に劇場に足を運ぶわけです。けれど、帰りに出るのは溜息ばかりといった有様でした。「平山監督、どうしちゃったの?……」と。本作にも期待はしていたんです。けれど不安も大きいという状態で、もう「またダメなんじゃないのかな……」なんていう気持ちも先にありました。
けれど、これがなかなか気持ちの良い佳作に仕上がっていて嬉しい驚きでした。久しぶりに、平山作品を見た帰り道の気持ちが晴れ晴れとしていましたね。
古典落語に執心する若手落語家ということで、本作のメインとして扱われる演目も古典です。『まんじゅうこわい』と『火焔太鼓』。いずれも古典落語の代表格と言える作品。ですから、作中に出てくる風景もどこか懐かしい。これは意図してそうしているんでしょうね。新宿の寄席周辺を映していても、そこにはギラギラした感じがないんです。東京の下町をはじめ、本作に登場する風景には、全て <江戸> の名残りをどこか感じさせる情緒がある。その情緒が人情に繋がって、ドラマをフワッと優しく柔らかいものにしているんですね。落語の、それも上方ではなく江戸の落語が持つ粋さ・軽さというものもあって、ベタベタし過ぎないところも実にいいんです。古き良き時代・文化の残り香があります。この残り香を、伊東四郎と八千草薫という大ベテランがサラリと体現。若い俳優が一所懸命に演技している中で、こういう人たちが心地良い演技で風通しを良くしてくれます。このバランスも実にいいです。自然でね。
それでいて、本作はきっちりと <現在(イマ)の映画作品> に仕上がっている。これがまた嬉しいところです。昔気質であっても、主人公である三つ葉はやっぱり現代に生きている青年で、その周りにいる人たちも皆そう。そこがちゃんと描けているから、違和感なく作品が心にスーッと入ってくるんです。お仕着せがましくもなく、スーっと。そのさりげなさがまた良い。
正直、国分太一の演技はちょっとどこか硬いですね。やはり俳優が落語家を演じているとしか見えない部分があるんです。それでも、一所懸命。相当、稽古したんでしょうね。その頑張りが見える。だから、落語家を演じているにはちょっと硬いけれども、気持ち良い演技で好印象。そして、その演技の硬さを、監督以下スタッフがなんとかカバーしてあげようとしているのがビンビン伝わって来ます。いい部分を膨らませて、硬い部分を柔らかく見えるようにという温かみが随所に見えるんですね。三つ葉が一門会で落語を披露する場面なんて、その最たるものです。そこでも国分太一は、やっぱり頑張っている。難はあるけれども、目に信念が見えるんです。でも、これで演出が単調だったらもうちょっと見ていられないかなと思うんですけど、巧いんですよ。カメラが引きからじっくりと高座に寄っていく。かと思うと、視点をパッパッと切り替える。カメラワークと編集が、この見せ場をグンと盛り上げるんです。明らかにそれまでの三つ葉のマンネリした頭打ちの芸とは違って見える。国分太一が頑張る。皆がそれをサポートする。そういう共同作業が、このシーンをちゃんと見せ場として輝かせているんです。
そして、本作は三つ葉だけの物語じゃない。群像劇でもあり、青春映画でもあり、ラブストーリーでもある。そういう、色んな要素がギュッと詰まっている一本です。特にラブストーリーの部分、これもなかなか粋ですよ。三つ葉と五月の恋模様ですが、それを彩るのはホオズキ・おみくじ・落語。どれも日本ならではのものでしょう? 「ああ、日本映画だ。日本ならではの恋愛話だ」と嬉しくなりました。キスシーンやベッドシーンを見せることなく、しっかりと恋愛を描いている。これは、先に書いた落語の特性を逆手に利用した演出です。落語は目で見せるんじゃない。聞く者のイマジネーションを刺激して創造させて、楽しませる芸です。そこを、この映画は真似ているんですね。映画で落語の特性を表現しているんです。三つ葉の『火焔太鼓』と、五月の『火焔太鼓』。三つ葉は師匠の小三文師匠の十八番であるこの噺にこだわっています。ただ、同じ噺なんですが、三つ葉の『火焔太鼓』は、小三文師匠のそれ、つまり原典とは一箇所だけ違うんです。そして、五月の『火焔太鼓』は三つ葉のものと同じ。ここに恋心がギュッと詰まっている。それが相手に届くという見せ方。目で見せない演出ですね。耳からイメージさせる演出。これはね、頭で考えると無謀としか思えない実験ですよ。でも、成功している。凄い。映画で、この演出をやったというところ、そしてそれが活きているというところ、感動しました。全部書いちゃうとこれはルール違反なんで、ヒントだけ書きますね。噺の中に出てくる数字。これに注目してみて下さい。
本作、見事に日本映画しています。それでも、ちょっと足りない。ほんのちょっとだけ何かもう一押しが足りないというもどかしさ。まだ薄皮に包まれているという部分があります。けれども、豊かな作品であることには違いありません。私が切望していた平山秀幸監督復活の第一歩として、皆さんにおすすめしたい作品です。
それではまた劇場でお逢いしましょう!!
しゃべれども しゃべれども http://www.shaberedomo.com/
みんな、
何とかしたいと思ってる
このままじゃ、だめだから
2007 109分監督:平山秀幸 原作:佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』(新潮社刊) 脚本:奥寺佐渡子 撮影:藤澤順一美術:中山慎 編集:洲崎千恵子 落語監修:柳家三三(落語監修・指導)/古今亭菊志ん(落語監修・指導)
出演:国分太一/香里奈/森永悠希/松重豊/八千草薫/伊東四朗/占部房子/外波山文
2007年6月4日号掲載