前回ご紹介した『街のあかり』で、本コラムも連載30回を迎えたそうです。「迎えたそうです」なんて、まるで他人事のように聞こえますが、私自身が編集長のコメントを読んで初めて気が付いたという体たらくでして……もう30回ですか。期間にして1年3ヶ月。早いものですね。これからも <映画館で映画を見る愉しみ> にこだわって選りすぐりの新作映画をご紹介していきますね。これからも宜しくお願いします。
【ボストン郊外の住宅街:ウッドワード・コートが舞台。有能なビジネスマンである夫と、3歳の娘と共に暮らす専業主夫のサラ・ピアースは、近所の主婦たちの交流の場である公園で、周囲の会話に耳を傾けつつ、その醜悪さに辟易している。夫との夜の生活や、街の噂話。下世話な話題に気乗りしないサラは、なぜ自分がここにいるのかと漠然としたやるせなさに押しつぶされそうになっていた。そこに、主婦たちが目下の憧れとしているブラッド・アダムソンが子どもを連れて公園にやってくる。ドキュメンタリー作家である妻を持ち、自身は司法試験に向けて勉強をしながら主夫業をこなしている彼は、甘いルックスの持ち主。近所の主婦は、彼を <プロム・キング> と呼び、熱い視線を注いでいるのだ。ブラッドの登場で、にわかにざわつく公園。サラはちょっとしたイタズラ心を胸にブラッドに近づいていく。しかし、この出会いが大いなる悲劇の始まりとなることを2人はまだ知らなかった。その一方で、性犯罪者のロニー・マゴーヴィーが、刑期を終えて街に戻ってくる。ロニーに対して強烈な不安感・不快感を持つ住民たちの中には、自警団を結成し、嫌がらせともとれる排斥運動を展開。街はにわかに不穏な空気に包まれていく。皆、平穏な幸せを望んでいるだけなのに……】
というストーリー。監督は『イン・ザ・ベッドルーム』で衝撃のデビューを飾ったトッド・フィールド。本作は、彼の長編2作目にして、実に5年ぶりとなる待望の新作となります。
人間の生理に根ざした物語を描かせると天下一品といえる監督が3人います。
いずれも、インディペンデント映画界出身の監督ばかりですが、彼らの作品には、通底する要素があるように思えて仕方ありません。この3人を、<スリー・トッド> と呼びましょう。本作をお気に召したという方ならば、この3人の監督の作品を追いかけてみて下さい。きっとご満足頂けるはずです。
出演は、ケイト・ウィンスレット、パトリック・ウィルソン、ジェニファー・コネリー、ジャッキー・アール・ヘイリー、ノア・エメリッヒ、グレッグ・エデルマン、フィリス・サマーヴィル、セイディー・ゴールドスタイン、トリニ・アルヴァラードといった面々。脚色を担当したトム・ペロッタもチラリと出演しています。
本作は群像劇。群像劇とは、複数のキャラクターのエピソードを巧みに編み込みながら一つの作品を形成するというもので、昨年亡くなったロバート・アルトマン監督がその第一人者とされていました。幾つもの人物・エピソードを交錯させながら、やがてそれらがまとまりつつ、しっかりとした着地をしてみせた瞬間、我々観客は大いなる充足感に包まれるのです。しかし、この群像劇というのは、相当な演出力がないとグダグダになってしまいがち。一見、バラバラのエピソードを並べ、それをまとめあげていくわけですが、下手をすると、観客を振り回した挙句に、途中で飽きられてしまう怖れがあります。しかし、本作のトッド・フィールドは、本作を実に見事な第一級の群像劇に仕立て上げました。
本作は決して陽性の物語ではありません。見ていて、気分がドンドン重くなってきます。人間の心の澱が、どんどん目に見える形となって表れてくるんですね。欲望・差別・性犯罪・浮気・噂話・嫉妬・性癖などなど、人間の業が次第に溢れ返っていきます。重い、暗い、痛い。もう見ていてつらいほどです。しかし、スクリーンから目を逸らすことができないんですね。これが演出力。巧みな演出の持つ魔力です。
タイトルの『リトル・チルドレン』とは、 <大人になれない子どもたち> のこと。大人になる痛み、子どものままでいたいという思い。フィクションでありながら、現実感覚に根ざした物語であるからこそ、観客の居心地の悪さを誘発するわけですが、ここで、トッド・フィールドは一つの仕掛けを施しています。それはナレーションの挿入です。本作では、冒頭から終幕に至るまで、男性の声によるナレーションが散りばめられているのですが、この声は、作中に登場する誰の声でもない。言うなれば、これは <神の声> なのかも知れません。その <誰の声でもないナレーション> を挿入することによって、本作は一種の寓話性を持ちます。リアルだけれども、どこか浮遊感を持った味わいを加えることで、観客を安心させる効果があるんですね。これだけ、人間の醜悪な部分をこれでもかと見せ付けられながら、それでも最後まで見届けてしまうのは、このナレーションの挿入による効果に他ならないでしょう。この <誰の声でもないナレーション> は、ラース・フォン・トリアーの傑作:『ドッグヴィル』でも用いられた手法です。あの作品も、救いようのない作品でしたが、やはり全編を彩るナレーションが、作品に寓話的な味わいをもたらしていました。これから本作をご覧になられる方は、このナレーションに着目してみて下さいね。
さて、演出・脚色が見事な本作ですが、俳優陣の熱演も大いなる見どころとなっています。ケイト・ウィンスレット、ジェニファー・コネリーというアカデミー賞の常連はもちろんのこと、最近メキメキと頭角を表してきたパトリック・ウィルソンも実に的確な演技。しかし、それ以上に目を見張ったのは、本作で久々に脚光を浴びたジャッキー・アール・ヘイリーの大熱演でしょう。『がんばれ!ベアーズ』『イナゴの日』で一躍天才子役として注目されたのが 1970年代。以後、幾つかの映画に出演しますが、スランプに呑まれ、1992年の『ネメシス』を最後に俳優業をセミ・リタイアしていました。2006年に本作と『オール・ザ・キングスメン』の2作に出演し、14年ぶりのカムバックを果たしたわけですが、その感はピザの宅配など、様々な職業を転々としていたと聞きます。ここにちょっと心温まる裏話があるので、ご紹介しましょう。彼の『オール・ザ・キングスメン』への出演は、主演のショーン・ペンが「ジャッキー・アール・ヘイリーがいるじゃないか! 彼はどうだろう?」と監督に進言し、実現したというのです。その『オール・ザ・キングスメン』には、ケイト・ウィンスレットも出演していて、その縁がまた本作に繋がったというわけです。人と人が結ぶ縁。そんな温かいエピソードが、醜悪な人間模様を描いた本作の裏にはあるのです。どうです? いい話でしょう?
ここまで、本作のことを、「重い、暗い、痛い」などと書きましたが、ラストのまとめ方で、ガラリと印象が変わります。そこがまた本策の素晴らしいところ。劇場を後にする際は、じんわりと温かな気持ちが心を満たしてくれるはずです。「人間って、嫌だなあ。でも、人間っていいなあ」 そんな気持ちを噛み締めながら、色々なことを考えさせてくれるに違い有りません。
心からおすすめしたい一本です。
また、劇場でお逢いしましょう!!
リトル・チルドレン http://www.little-children.net/
心の中で、大人と子供が揺れている。
幸せ探しの物語。
LITTLE CHILDREN
2006 137分 アメリカ監督:トッド・フィールド 原作:トム・ペロッタ 脚本:トッド・フィールド/トム・ペロッタ 撮影:アントニオ・カルヴァッシュ 編集:レオ・トロンベッタ 出演:ケイト・ウィンスレット/パトリック・ウィルソン/ジェニファー・コネリー/ジャッキー・アール・ヘイリー/ノア・エメリッヒ/グレッグ・エデルマン/フィリス・サマーヴィル/セイディー・ゴールドスタイン/タイ・シンプキンス
2007年7月30日号掲載