ヒロシマナガサキ

 この号がメールマガジンとして配信されるのは8月6日夜となります。当コラムは隔週連載のため、本来でしたら来週の更新となるところですが、今回、どうしてもご紹介したい作品があり、編集長にお願いをして、急遽連続掲載として頂きました。

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 毎年、この季節になると、TVでは太平洋戦争を意識したスペシャルドラマや映画・ドキュメンタリー番組が放映されます。映画館でも、太平洋戦争をテーマとした新作が登場したり、過去の作品を集めた特別上映が行われたりします。今年は、沖縄での <ひめゆり学徒> に焦点を当てた『ひめゆり』、特攻隊に焦点を当てた『TOKKO -特攻-』、広島・長崎への原子爆弾投下(以下、「原爆」とします)に焦点を当てた『ヒロシマナガサキ』といった作品が、同時期に相次いで公開されています。いずれもドキュメンタリー映画というところが重要な意味合いを持っているという気がしますね。リアルで戦争を知らない世代が、ドキュメンタリーという形で過去を取材し、未来に繋げていこうという動きが、これら3作品に共通しています。その姿勢を、私は大いにリスペクトしたいところです。

 今回はその中から『ヒロシマナガサキ』をご紹介しましょう。

 1945年8月6日。今から62年前のこの日、広島に原爆が投下され、未曾有の大惨事となりました。広島への原爆投下による死者は、この年だけで約15万人。直接被爆者は約36万人と推定されています。

 1945年8月9日。広島が壊滅状態にある最中、更に長崎にも原爆が投下され、死者約7万人。直接被爆者は約28万人と推定されています。

 原爆の爆発によって生じるエネルギーは、広島に投下された原爆で12.5キロトン。対して、長崎に投下された原爆では22キロトン。長崎に投下された原爆の方が約2倍の威力を持っていたことになります。にも関らず、長崎の原爆投下による被害が広島のそれと比べて小規模なものとなったのは、広島が市街地中心部上空での爆発であったのに対して、長崎では市街地から離れた北部山中での爆発となったからでした。しかし、被害が少なかったと言っても、それは比較論に過ぎません。僅か二度の爆撃で、合計64万人もの直接被爆者と、22万人もの死者(45年中死亡者)を生んだわけです。さらに、この被害は一過性のものではなく、原爆症と呼ばれる後遺症によって、現在も尚苦しんでおられる方々がいらっしゃいます。本日(2007年8月6日)行われた広島平和記念式典では、この1年間で亡くなったり、死亡が確認されたりした5221人の名簿が慰霊碑に奉納され、死没者数は累計で25万3008人となったそうです。

 8月6日:広島、8月9日:長崎。この2つの原爆投下が決定打となり、1945年8月15日に日本は全面降伏することとなるわけです。この敗戦は、当時の日本国民の大部分にとって相当な悲しみをもたらしたと聞きます。「日本は神の国だ」「負けるはずがない」。心からそう信じていた時代。言わば、全日本国民がマインドコントロール下にあったわけですね。

 本作はアメリカ映画。タイム・ワーナー傘下のテレビ局:HBOが製作しています。監督は日系3世のスティーブン・オカザキ。1952年ロサンゼルス生まれですから、太平洋戦争終結後の生まれです。『公式命令9066/日本人強制収容所』(1984:原題『UNFINISHED BUSINESS』)でアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞に、『The Mushroom Club』(2005:日本未公開・未放映)で短編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされ、『収容所の長い日々/日系人と結婚した白人女性』(1990:『DAYS OF WAITING』。多くの媒体では『待ちわびる日々』というタイトルで紹介されている)で短編ドキュメンタリー映画賞を受賞した、世界を代表するドキュメンタリストです。自身の出自から、日系人や日本に焦点を当てた作品を多く発表する一方で、HIV患者やヘロイン中毒者を採り上げた作品を発表するなど、映画・TV界で活躍しています。

 そんなスティーヴン・オカザキ監督が『ヒロシマナガサキ』を手掛ける契機となったのは、中沢啓二の名作マンガ:『はだしのゲン』との出会いだったと言います。英訳版を読み、大きく心を揺さぶられた彼は、1981年に初めて広島を訪れ、被爆者の取材を通じて処女作である『生存者たち』(原題:『SURVIVOURS』)を発表。以後も、原爆被害に対する探究心は衰えることなく、広島・長崎の被爆者へのインタビューを続けました。『ヒロシマナガサキ』のために、彼は500人に及ぶ被爆者へのインタビューを試みたそうです。500人。これは大変な人数です。とても一朝一夕で撮れるものではありません。劇中では14人の被爆者が登場し、証言していますが、その陰には、更に多くのインタビューの積み重ねがあるわけです。実に25年もの歳月を経て結実した渾身の1作と言えるでしょう。

 14人の被爆者が語る当時の広島・長崎の状況や戦後の被爆者差別・原爆後遺症の実態は、正に我々の想像を遥かに超えるものばかり。彼らの証言には、その時、その場所で、原爆の猛威を肌で感じたからこその力があります。

これを伝えていくために生かされているんだよって……思いました。 
――居森清子:広島被爆者。当時11歳。620人の在校生中、只1人の生存者

広島市内は、それまで爆撃というものが一回もなかったんです。アメリカの戦闘機が頭の上を飛んでいても「あ、飛行機が飛んでるわ」というくらいで。
心と体の両方に傷を背負いながら生きている苦しみは、私たちでもう充分です。
(原爆投下直後の状況)赤ん坊を背負っているお母さんがいたんです。でもね、よく見るとね、その赤ん坊の首が……首から上が……ないんですよ。  

――下平作江:長崎被爆者。
原爆投下から妹と共に生き残ったが、
妹がすぐに自殺してしまったという

(当時、原爆症はもちろん誰も診たことのない病気であった。その病人を診察しながら)何万人と入っとった患者の中から、あっちでもこっちでもどんどん死に始める。医者が診て何の病気か分かんないんですよ、誰も。一番医者にとって怖いのは、自分が診ている病気が何であるかが分からないのが一番コワイ。

――肥田舜太郎:当時広島陸軍病院軍医。
爆発後、すぐに生存者の治療を開始

神や仏がいるのなら、なんでこんな…… 私が住んでいた街は日本で一番カトリック信者が多かったんですよ。
被爆者差別も凄かった。何度も自殺しようと思ったけど、ほら、カトリックでは自殺は禁じられているから。

――深堀悟:長崎被爆者。カトリック信者

私たちが作った食べ物を日本軍が全部持っていく。私たちが作ったのに、私たちの食べるものが無かった。
(広島原爆投下による死者を指して)あれはまるでコンロで黒焦げになった魚……

――金判連=キム・パニョン:飢餓を逃れるために
朝鮮半島から家族と共に日本に渡ってきた直後に被爆。
原爆被害者であると同時に、日本の朝鮮半島侵略被害者でもある

医師や看護婦が病室に近づいてくる度に、みんな、大人も子どもも「殺せーーー!」って嘆願するんです。痛いから。治療が。

――山口仙二:長崎被爆者。原爆投下から40日後に意識回復

 また、本作には、14人の被爆者の他に4人のアメリカ人男性が登場します。彼らは、いずれも広島・長崎への原爆投下に直接関与した人物です。

広島原爆投下直後の機内の様子を指して)喜んでいる者は誰もいなかったね。爆発を目にして初めて自分達がどういうことをしたのかがわかってしまったよ。ただ、戦争はこれで終る。そう思ったね。

――モリス・ジェプソン:兵器検査技師

我々はパンドラの箱を開けてしまった。

――ローレンス・ジョンストン:科学者。
長崎原爆:ファットマンの起爆装置の開発者

何人かが集まると必ずバカなヤツがこういう。「イラクに原爆落としゃいいんだ!」とね。核兵器が何なのかまるで分かっちゃいない。わかっていたら言えないことだ。

――セオドア・バン・カーク:エノラ・ゲイ航空士

これの他にも、本作には、実際に原爆投下による大惨事を <体験> したからこそと言える、被爆者・アメリカ人の証言が数多く収録されています。彼らの言葉の一つ一つには、真実だからこその重みがあるんです。

 更に、本作には、貴重な証言の他、映画ならではの力も備えています。彼らの証言は、書籍でも大きな影響力をもち、それを読む人々に伝わることだろうと思います。しかし、本作は映画です。映画だからこそ、映像だからこそ伝え得るものがなければ、製作される意味がありません。そういった映像の力も、本作はきっちりと備えています。

 広島の原爆投下直後の惨状を描いた絵や写真は正に地獄絵図ですし、アメリカ国内で長らく一般公開禁止とされていた被爆者の実態とその治療風景を収めた映像がスクリーンに映し出された時、私は何とも悲壮な気分になってしまいました。正直なところ、気持ちが悪い。失礼だけれども、思わず「ウゲッ……」と吐き気を覚えてしまったのです。目を背けたくてたまらない。しかし、同時に「ここで目を逸らしてはいけない」という思いが湧き上がりもしました。証言者として登場する被爆者の何名かには、原爆の爪痕が目に見えて刻み込まれています。服を着ていても隠せない傷痕の残る方々が、カメラの前でその姿を晒すということ。ここには大きな願いが込められているに違い有りません。作中、長崎被爆者である谷口稜曄氏が、カメラの前で服を脱ぎます。彼の体には、全身に原爆による火傷の跡がケロイドとなって残っていますが、左胸から腹部にかけてが特にひどく、ところどころ肋骨が露出しているという有様で、大変ショッキングな瞬間です。「不用意に大きな咳をすると肋骨が折れてしまうんです」という状態の中、

【傷をさらけ出しながら話さなければならないというのは、再び私のような被爆者を作り出さないため】

と語る谷口氏の思いと行動を、私たちは感謝と共に受け止め、未来への糧としなければなりませんね。彼らの言葉・姿は私たちにとって大きな財産なのです。「目を背けたいけれども、背けてはいけない」という思いが湧き上がり、最後までスクリーンを見つめ続けました。

 しかし、現代日本に生きる私たち日本人の多くが、広島・長崎への原爆投下について詳しくありません。終戦記念日すら知らないという若者も多いようです。本作の冒頭でも、日本の若者が如何にこの日付に対して無知であるかを示すインタビュー映像が用意されており、思わず恥ずかしくなってしまいました。1945年の8月6日・9日・15日という、現在の日本の平和を築くにあたって最も重要な日付が <学校での勉強上の記号> としてしか受け止められていないのではないか? <歴史上の出来事> <過去> としてしか受け止められていないのではないか? そう思いました。<テストに出るから覚える> <その日、一体どういった事が起きたのか詳しくは知らない>  そうして、その日付を、勉強として頭に入れ、しばらくしたら忘れてしまう。それではいけないのです。晩今日でも記号でもなく、この日付に対して、それぞれの思いを抱いて欲しいと、そう思います。

 私たちの今の生活は、二度の原爆投下と敗戦という歴史的事実の上に築かれたものです。平和を享受することと、平和ボケすることは違います。意識的に現在の平和を守っていくこと。それがこれからの日本の未来にとって最も重要なことではないでしょうか? 1945年8月15日を以って、太平洋戦争は終結したとされていますが、それはあくまで形式上の話。谷口氏の肋骨が今でも剥き出しであるのと同じように、本質的には終ってなどいません。戦争によって生まれた傷痕は決して癒えることがないのです。それを忘れてはいけません。

 私がこうして映画コラムを執筆していられるのも、62年前の敗戦があったればこそのことです。太平洋戦争で日本が勝利していれば、今頃私はどこかの国で「御国のために!」と戦争に従事しているかもしれない、いや、とっくに戦死しているかもしれません。そう考えると、現在の日本はなんと平和なことでしょう。今、戦後生まれの人口は全国民の75%。新たに日本が戦争を起こしたり、参加したりということがない限り、近い将来、この数字は100%となるでしょう。私たちは、そうしなければなりません。日本国憲法第九条にある【戦争放棄】を遵守していくこと。それは戦前・戦中・戦後生まれを問わず、現代日本に生きる我々の責務でもあります。世界中で唯一の被爆国である日本だからこそ、【ノーモア】という形で世界に反戦・反核を訴えていけるのです。

 現在、『トランスフォーマー』が大ヒット公開中の日本映画界。大迫力の映像と音響を存分に堪能できる一大エンターテイメント作品です。劇場鑑賞の醍醐味を存分に味わわせてくれる作品としておすすめしますが、その一方で、『ヒロシマナガサキ』のような作品の存在も知って頂きたいと、そう思った次第。

 それでは、また劇場でお逢いしましょう!!

P.S.『ヒロシマナガサキ』は、本日8月6日に全米でテレビ放送されました。この動きが世界的な反核・反戦に繋がる事を祈ります。

 今回、『ヒロシマナガサキ』を採り上げるにあたって、快く文字資料提供を下さった配給会社:株式会社シグロ様と、急な掲載を快諾して下さったウエブ電藝の吉田編集長に心から感謝致します。

 尚、『ひめゆり』『TOKKO -特攻-』も、近々当コラムにてご紹介しようと考えています。どうぞお付き合い下さいませ。

ヒロシマナガサキ http://www.zaziefilms.com/hiroshimanagasaki/

2007
 WHITE LIGHT/BLACK RAIN:
 THE DESTRUCTION OF HIROSHIMA AND NAGASAKI
86分 アメリカ製作・監督・編集:スティーヴン・オカザキ 撮影監督:川崎尚文 :スティーヴン・オカザキ

東京:岩波ホールにて9月下旬まで全日公開中
大阪:テアトル梅田にて8月10日まで全日公開11日〜モーニングショー、十三第七藝術劇場にて8月11日〜9月7日まで1日1〜2回の変則上映(要確認)
その他、全国公開中 or 公開予定
詳しくは公式HPにてご確認下さい

2007年8月6日号掲載

< ひめゆり(2007/8/13) | リトルチルドレン(2007/7/30) >

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