『TOKKO−特攻−』

死ぬために戦った特攻隊、
生きるために戦ったアメリカ兵

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 去る8月15日、日本は63回目の終戦記念日を迎えました。毎年、この時期になると、TVでスペシャルドラマが数多く放映されま

す。今年もその例に漏れず、『はだしのゲン』『鬼太郎が見た戦争』などといったスペシャルドラマが放映され、話題を集めました。 普段、私たちは <平和に暮らしている> という幸せに対して、驚くほど鈍感です。63年前にこの日本が戦争で大変な状況になっていたなんて、想像がつきません。リアルタイムで戦争を知らない世代が全国民の75%を占めるこの日本で、平和は <当たり前のこと> になっているのですね。しかし、世界レベルで見るとどうでしょう? 戦争・テロ・革命…… 多くの国で争いが起きています。このコラムを貴方が読んで下さっている今も、どこかの国で、人間同士が戦って命を落としているのです。けれど、先に書いたように、そういったことを、私たちは普段あまり考えません。けれど、この時期になると、平和について、あるいは戦争について思いを巡らせるという方も多いでしょう。そんな中、今年は例年にも増して映画というジャンルが頑張っています。

 というわけで、今回は戦争ドキュメンタリー特集の第3回。『TOKKO−特攻−』という作品をご紹介しますね。

 第1回の『ヒロシマナガサキ』が <原爆>、第2回の『ひめゆり』が <ひめゆり学徒隊> の真実を私たちに教えてくれましたが、今回採り上げる『TOKKO−特攻−』は、タイトルの通り <特攻隊> に焦点を当てています。

 では、なぜ「TOKKO」とアルファベットがタイトルに用いられているのでしょう? 実は、この作品はアメリカと日本の合作映画なのです。監督はリサ・モリモトという日系アメリカ人女性です。そういえば、『ヒロシマナガサキ』のスティーヴン・オカザキ監督も日系アメリカ人でした。彼らは2つの目を持っていると言えるでしょう。 <日本の目> と <アメリカの目> です。それが一つの体に宿った時、それは <人間の目> と言えるものではないでしょうか? 日本映画が日本人としての太平洋戦争観に縛られた映画を作る。それと同様にアメリカ映画界も…… という中で、彼らは敵だの味方だのといった見方でどちらかを擁護するのではなく、フラットな目で見つめることができるのではないでしょうか? そう考えると、『ヒロシマナガサキ』や『TOKKO−特攻-』のような作品が、日系アメリカ人の手によって世に生み出されたという事実は、ごくごく自然な出来事のように思います。そして同時に、心から歓迎すべき流れが生まれてきたと感動します。

 さて、特攻隊というと皆さんはどんなイメージがありますか?

 特攻隊のイメージは、日本とアメリカの間で大きな隔たりがあるのです。

●日本=母国や愛する人を守るための献身的行為として美化・礼讃すべきもの

●アメリカ=狂信的行為であり、理解不能なもの

 どうです? 全く違うでしょう?

 そのイメージの狭間で悩みつつ成長してきた人物が、本作の作り手に2人います。

 1人は、監督のリサ・モリモト。彼女はニューヨークで生まれ育ち、アメリカの学校で太平洋戦争について学びました。 毎年12月7日になると、「日本軍の真珠湾攻撃を巡っていじめられるのではないか?」とビクビクしていたそうです。そんな彼女も、学校での授業の影響が強いのでしょうが、特攻隊に関して、爆弾を抱えて自爆攻撃をする狂信者集団と受け止めていました。

 もう1人は、プロデューサーのリンダ・ホーグランド。彼女は、リサ・モリモトとは対照的に、日本で生まれ育ちました。日本の学校で太平洋戦争について学び、広島・長崎の話題になる度に、級友から無言の非難を浴びているように感じたそうです。そんな彼女は、特攻隊を、母国や愛す津人のために命を散らせた偉人、あるいは犠牲者と受け止めていました。

 そんな女性2人がタッグを組んで本作を作り上げたのです。きっかけは、リサ・モリモトが、亡き叔父の抱えていた真実を知ったことでした。彼女の叔父は、特攻隊の生き残りだったのです。当時の体験や心情を、誰にも話すことなくこの世からいなくなった叔父に対して、大きな関心を抱いた彼女は、その足跡を求めて日本を訪れ、更に特攻隊に対する関心を深めていったそうです。その後、親族や特攻隊の生存者にインタビューを重ね、本作として結実したのでした。

 本作は、9.11アメリカ同時多発テロの映像で幕を明けます。世界貿易センタービルやペンタゴンにハイジャックした飛行機で突っ込むという作戦は、まさに特攻隊そのものでしたね。現代(2001年9月9日)を手がかりに、過去(太平洋戦争時)に繋げるという構成は、リンダ・ホーグランドによるものだそうです。

 実を言うと、本作の大半部分は、我々日本人にとって、さほど目新しい発見があるわけではありません。日本人の多くが既に知っている史実の羅列とも言えます。しかし、本作はアメリカでも公開されるでしょう。アメリカ人の観客にとっては、初めて知る事実が多くあるのではないでしょうか? 本作の意義はそこにもあります。

 では、本作が日本人にとって退屈な作品であるかというと、決してそうではありません。

 特攻隊や米国海軍の生存者による証言部分など、大変見応えがあります。
特に、駆逐艦:ドレックスラーの乗組員生存者が語った一言が心に残っています。

【こっちは生きるために戦っているのに、日本兵は死ぬ気で突っ込んでくるんだ……】

 これは恐怖でしょう。捨て身となって掛かって来る敵というのは、想像を絶する恐怖の対象に違い有りません(そういえば、フランス映画で、日本の特攻精神をカリカチュアしてみせた『カミカゼ』という映画がありました)

 しかし、特攻作戦で命を散らせた日本兵の全てが、望んで爆弾を抱えて敵に突っ込んでいったのでしょうか? 中には心の底から「御国のために!」
と思い、あの世に旅立っていった方もいらっしゃるのでしょうが、そうではない人もいたはずです。本作のキャッチコピーを目にした時、私は「コレだ!」と思いました。心が震えました。

【生きたかったよ 死にたくはなかったよ】

 本作は、日本的特攻精神礼讃映画でも、アメリカ的特攻精神卑下映画でもありません。偏っていないのです。偏見や思い込みに躍らされること無く、 <人間の目> で太平洋戦争を見つめた、真に真摯な作品です。

 こういった作品が <戦争を知らない世代> から生まれて来るようになったという事実は、日本映画界・アメリカ映画界がどうこうではなく、世界的に素晴らしい動きではないでしょうか? この流れが、点ではなく線として続き、更に拡大していくことを切に望みます。

 それではまた、劇場でお逢いしましょう!!


P.S.本作をご紹介するにあたって、本作を日本で配給されているシネカノン様よりプレスシートのご提供を頂きました。心から感謝致します。

TOKKO -特攻- http://www.cqn.co.jp/tokko/

「忘れたいこと」を話してくれてありがとう

2007 WINGS OF DEFEAT アメリカ/日本

監督:リサ・モリモト 製作:リサ・モリモト/リンダ・ホーグランド 製作総指揮:寺尾のぞみ/ジョシュア・レヴィン 構成:リンダ・ホーグランド 撮影:フランシスコ・アリワラス 編集:マヤ・スターク 音楽:松岡碧郎

東京:渋谷シネ・ラ・セットにて上映中渋谷シネアミューズにて8月31日まで上映(10:30と12:20の2回)
大阪:十三第七藝術劇場にて8月24日まで上映(16:45の1回のみ)
両劇場とも、上映期間延長の場合あり。詳しくは公式HPにてご確認下さい。連日大盛況とのことですので、ご鑑賞の際はお早めにお出かけ下さい。

2007年8月20日号掲載

< 陸に上った軍艦(2007/8/27) | ひめゆり(2007/8/13) >

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