©2007 SAKATA Masako / 映画『花はどこへいった』より
2003年春、本作の監督でである坂田雅子は、最愛の夫グレッグ・ディビスを肝臓癌で亡くした。入院から半月ほどで、急速に病状が悪化し、あっという間のことであったという。
直後、友人から「グレッグの死は枯葉剤が原因ではないか?」と指摘があった。グレッグは、ベトナム戦争に米軍兵士として派遣された経験があり、その際に、枯葉剤を全身に浴びていたのだ。
その後、プロの写真家として活動を始めたグレッグは、京都で坂田雅子と知り合い、結婚。その時から、グレッグは「枯葉剤を浴びたから、子どもは作らない」と口にしていたという。しかし、その死に枯葉剤が影響しているとは気付かず、ただただ悲しみの渦中に在った彼女は、その友人の言葉を受け、ベトナム戦争や枯葉剤について調べる内に枯葉剤についての映画の製作を決意。アメリカ・メイン州のフィルム・ワークショップでドキュメンタリー映画制作についての基礎を学んだ後、2004年から2006年にかけてベトナムと米国を行き来し、取材を重ねた。その結果、2007年に本作を完成させた。
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うーむ……。そういった事情を知ってしまうと、作品について否定的な意見を述べることが躊躇われてしまう。坂田監督の姿勢や熱意・行動力に素直に感じ入ってしまうからだ。しかし、事情はどうあれ、あくまで作品は作品である。
はっきり言ってしまうと、本作はドキュメンタリー映画として弱い。行儀の良過ぎる部分があり、主眼がどこに定められているのか判然としないのだ。そのため、夫の死についても、枯葉材についても、ベトナム戦争についても、踏み込みが足りず、浅い部分で留まってしまったという思いを強く抱いたものである。そのため、どこか政府広報CMを想起させるような表層での停滞を感じてしまい、これには少々戸惑った。
本作制作の動機は <夫の死> である。そのため、本作は <私映画> として出発している。そのことがいけないとは決して言わない。優れた <私映画> は、特にドキュメンタリー映画の分野で多く見られるのもまた事実であるからだ。本作の場合は、私事である <夫の死> という出発点から、 <枯葉剤> や <ベトナム戦争> に視点が広がっていく。そのミニマムからグローバルへと視点が拡大する中で、現在もなお、戦争の悲劇が続いていることが示されていくのだ。枯葉剤の影響によって、バトナム各地で奇形児や先天性障害児が生まれているという事実は、真っ向から捉えた映像の説得力も手伝って胸に迫る。文字や数字では得ることのできない映像の力が存分に発揮されているからだ。
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しかし、本作は、まとめの部分で再び夫の死に立ち返る。あくまで坂田監督は、本作を亡き夫への鎮魂歌として差し出しているように見えるのだ。そして、そこで、 <私映画> という始点から視界の広がりを見せていた部分が、その終点で再度 <私映画> に立ち返ることによって、閉じてしまったように感じたのである。
しかし、だからといって一口に「ダメ」と決め付けてしまってはいけない。本作には、恐らく坂田監督の意図を超えた瞬間が数多く捉えられているのだ。 本作は、ただ単に反戦を訴える作品ではない。本作には、枯葉剤の影響で生まれてきた子どもたちや、その親たちの姿を通した <現状の提示> がある。終戦から何十年も経過した現在でも、彼らは苦しんでいる。今日を苦しんでいる。今日のこと以外は考えられない。明日が今日になれば、また今日を苦しむ。それだけの毎日。ベトナム戦争が、彼らの自由を今も奪い続けているという現状が、ここではしっかりと捉えられている。そういった地獄の日々を支えているのは、親が子を想う愛情の力に他ならない。思わず目頭が熱くなるのを感じた。
©2007 SAKATA Masako / 映画『花はどこへいった』より |
そういった中で、1人の母親が、重い障害を抱えた息子を抱きしめながら放つ一言に、<真実> を見つけた。「(ベトナム戦争の)責任? どっちが悪いとかじゃないと思う。だって戦争だったんだもの……」 この一言は重い。そして、尊い。この「だって戦争だったんだもの」という部分を、反戦運動は見落としてしまいがちである。現在(いま)を苦しんでいる人々に、「戦争を巡る責任の所在=過去の追及」や、「これから戦争を起こさないという決意=未来へ向けた努力」に費やす力はない。「現在をどう生きるか」で精一杯なのだ。
人種・言語・文化・宗教など、世界を分かつものは多い。しかし、親と子の愛情は万国共通のものだ。本作が示した親と子の姿を対岸の火事として看過することなく、「まず、現在(いま)をどうするか・なにができるのか」を考えてみることは重要なことだ。本作は、そのきっかけを多くの人に与えるだろう。完成度という部分で手放しの賞賛はできないが、本作が存在する意義は大きい。
花はどこへいった http://www.cine.co.jp/hana-doko/
日本 71分 配給:シグロ