三好銀、もう何年も前にモーニングで『三好さんとこの日曜日』という作品を連載していた方だという。そんな方が昨年コミックビームにふと現れ、何編かの作品を載せていった。その作品群は、少し前に『海辺へ行く道 夏』という名で単行本となった。
不思議な面持ちをした作品である。雑誌で読んだときには、他のアクの強い連載陣の中で“奇妙な絵だな”とくらいにしか思わなかった。たとえば『高岡刃物商店』では、なまくらの包丁を売りつける男が、町の主婦をうまく丸め込んでトンズラする話だ。それ以上、特に何があるというわけでもない。だから何だと言いたくなるほどのインパクトの薄さだ。しかし、それが一冊の本となると、とたんに違った表情を見せてくる。夏の熱い風が吹いている、どこか海辺の町。そこで起きる出来事が、静かに、本当に音もなく堆積していく。すこし不思議なことが、大したことではないかのように過ぎていく。それに加えて舞台となる町には、その海辺に切り立った崖が所々に点在していて、その先の海と空が途方もない広さをもってそこに存在している。
この作品群を単行本として初めて読んだとき、奇妙な感覚、違和感を抱いたのだが、それはなぜか一瞬でかき消えてしまった。インパクトのない作品。それでも、どうしても何か引っかかり続ける。言葉にすることが難しい、というより、言葉以前の「空気感」にも似たところで何かが漂っている。そんな印象のまま、しばらく書棚に置いていたのだった。
そして先日、年度末のごたごたも一段落着いた頃に知人から「何かマンガを紹介して」と乞われ、いくつかの作品の一つにこれを選んでみた。ちなみに紹介した他作品は、『バカ姉弟』(安達哲)、『よつばと!』(あずまきよひこ)、『甘えんじゃねえよ』(ルネッサンス吉田)、そして本人が表紙だけで何かを嗅ぎ取ったらしい『だまって泣いているのです』(内田かおる)。ストーリーよりも雰囲気をと思って選んだのだ。彼は、ぼくが何もコメントすることなく、本作『海辺へ行く道 夏』を一番に挙げたのだった。今考えれば突っ込み所満載のセレクトだったが、ぼくはそこで“自分の選択は正しかった”と妙に納得してしまった。この作品を選んでよかった、と。
ストーリーというだけでは到底集約しきれない、濃密な空気。ぼくはそのために、この作品に引っかかっていたのかもしれない。あれから何度も本作品を読んだ。濃厚な熱気と違和感は今でも続いている。それなのにどこか、読むことに心地よさがある。生理的な嫌悪感の代わりに、そこに息づく人々の不気味さ、なまめかしさをとても感じる。細い線で構成された世界は、蜃気楼のように消えてしまうようにも思えるのだが、一方で、特に建物は妙な堅牢さをもってたたずんでいる。
本作品を詩的だというのは簡単だ。しかしもう一度この作品に立ち返ってみると、そこにはこの作品の持つ、独自の魅力が「夏の熱気」をはらんで充満している。また、本作品を無味無臭だと言い切るのも簡単だろう。でも改めて本作に立ち戻れば、登場する人々、そしてそこにただ存在している風景と空間の、静かだからこそ見えてくる息づかいが感じられるはずである。この美しい世界を、ぜひ一度体験していただきたいと思う。