text/引地 正
さまざまな思想が戦後のあり方をめぐって対峙し、また一方の方向を強いようとするものの強権の介入をもみながら、それらの対立が生み出した空間が確かにあった。
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1月、千円札発行。3月、旧制第一高等学校最後の卒業式がおこなわれ、同時に新制大学・短期大学がスタートした。 この年は、年初から出版不況がいわれ事実、多数の新興出版社が倒産し雑誌の休廃刊は511に及んだが、年間を通じてみると6月に朝鮮戦争が始まり、それにともなう特需が異様な好景気をもたらした年でもあった。 一方、同じ6月にはD・H・ロレンス著、伊藤整訳小田書店発行の『チャタレイ夫人の恋人』が押収発禁され、9月にはわいせつ文書頒布容疑で起訴。あくる7月にはマッカーサー書簡によるレットパージがはじまり、GHQは新聞協会代表にたいして共産党員とその同調者の追放を勧告、ついで同党機関紙「アカハタ」を停刊にした。 同じ7月、東京通信工業、日本初のテープレコーダーを発売。映画「長崎の鐘」が公開された。10月、中国人民義勇軍、朝鮮戦争に参入。 12月、地方公務員法公布、地方公務員・公立学校教員の政治活動・争議行為等を禁じた。 この年のベストセラーを見ると、暗いと言えば暗いが、明るいと言えば明るい。さまざまな思想が戦後のあり方をめぐって対峙し、また一方の方向を強いようとするものの強権の介入をもみながら、それらの対立が生み出した空間も確かにあって、その中に多くの人々はいたのだったかもしれないと思えるのである。
細雪 |
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谷崎潤一郎 |
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中央公論社 |
潜行三千里 |
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辻 政信 |
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毎日新聞社 |
風と共に去りぬ |
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ミッチェル |
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三笠書房 |
きけわだつみのこえ |
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東大出版部 |
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東大出版部 |
チャタレイ夫人の恋人 |
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D.H.ロレンス |
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小山書店 |
裸者と死者 |
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N.メイラー |
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改造社 |
宮本武蔵 |
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吉川 英治 |
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六興出版社 |
十五対一 |
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辻 政信 |
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酣燈社 |
帰郷 |
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大仏 次郎 |
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六興出版社 |
文学入門 |
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桑原 武夫 |
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岩波書店 |
○『細雪』谷崎潤一郎
谷崎の『細雪』は、戦中から書きはじめられ戦後に完成された作品である。この年谷崎は既に64歳であったが、この大阪船場の旧家の美しい三姉妹の行方を書いたあえやかさは他を持って代えがたいものがあった。彼の作品の殆どは戦前に書かれたもので、戦後はむしろ彼の老後に属するのであろうが、それでも彼の新作でベストセラーにならないものはなかった。また、この年映画「細雪」も公開された。
○『潜行三千里』『十五対一』辻 政信
辻政信は、陸士・陸大出の陸軍軍人であって戦前においては、参謀として有名であったらしい。戦後といっても、23年迄であるが、戦後経営についての腹案を温めつつ戦犯を逃れて大陸を流浪していたのだという。私は読んだことがないが、その時のことを彼の一流の哲学を付して書いたのがこの二著であるようである。これで名を馳せて、それが懐旧なのか展望なのか判然としないままに、このあと衆議院議員になり参議院議員になり、やがて昭和36年、また潜行して行方知れずとなった人物である。いかにもこのベストセラーには、戦後をむかえたある精神の側面をみる思いがしないわけではないが著者の分かりにくさは残らざるを得ないところである。
○『風と共に去りぬ』マーガレット・ミッチェル
ミッチェル、マーガレットはアトランタに1900年に生まれた。22年に結婚したが24年に離婚、25年に再婚したが翌年足を捻挫したのを期に、家に閉じこもってかねてから考えていた小説を書いた。それがこの小説で、完成するまで十年の歳月をかけて1936年に完成している。
南北戦争を背景に滅びいく南部と、その中で生きていく若い男女の葛藤を描いたこの小説は、好評を博してピューリッツア賞を受賞。1939年には映画にもなった。この頃には、この映画も入ってきていて、ベストセラーになったのかもしれないが、ミッチェル自身はこの一冊の著書を残したのみで、不幸な生活の中で、この年の前年1949年に交通事故で亡くなっている。
○『きけわだつみのこえ』東大出版部編
『きけわだつみのこえ』は東大の出版部が編集した、戦没学徒の手記である。生々しい手記で、涙なしには読めない書物であった。あるいは体の震えの納まりにくい、はじめてつきつけられた青春のなかの「戦争」であったようにも思われる。アナトールフ・ランスの詩句「もし、いってしまったものが戻らないとすれば、残されたものはいったいなにを信じればいいのか」。扉にかかげられたこの詩句の意味が、この本の編集の出発点であったのであろう。焼け跡に残された傷心の群れの、心の動きの伺える書物であった。
この年、直ぐに映画化されて本よりも有名になった。
○『チャタレイ夫人の恋人』D.H.ロレンス 伊藤 整訳
『チャタレイ夫人の恋人』はある種、不幸な書物であった。
この年、わいせつ物頒布容疑で押収・起訴されたが、今日で言えば上品とも言える性描写である。戦争で不能となった夫を持つチャタレイ夫人と森番の性愛を日本の検察は許すことが出来なかったのであろう。最高裁まで争って、訳者の伊藤整は勝訴したのであるが、出版元の小山書店は倒産して主人は急死したのではなかったろうか。勿論、このあと勝訴までこの本の売られることはなかったし、勝訴したころはもうそれほど目新しいものでもなかったようである。映画化したのも、こののち32年後の事である。しかし、伊藤整はベストセラーにはならなかったが、この裁判を材料にして『裁判』『伊藤整氏の生活と意見』を書いた。
○『裸者と死者』ノーマン・メーラー
『裸者と死者』は第2次世界大戦の出征兵士メイラー、ノーマンの小説である。
彼はハーバード大学を卒業すると共に従軍して、ルソン島上陸等の山岳戦をかいくぐって生き残り、戦後は占領軍として日本に駐留した。この実戦体験をもとに書いたのがこの作品である。30年代の不況から大戦にかけてのアメリカを、この戦争小説の中に語りこもうとする試みはある種、成功して第2次世界大戦を書いた最良の文学と評された。映画化されたのは同名で、1958年である。
○『宮本武蔵』吉川英治
『宮本武蔵』は、昭和10(1935)年から14(39)年にかけて大阪朝日新聞に連載されたものであって、この年前後の新作ではない。それにもかかわらず、24、25と連年のベストセラーになったことには、人々の要請という意味がなくてはならないだろう。
若い功名心にかられて故郷の宮本村を、幼友達の又八と共に出奔して雑兵となって戦い参加して破れ、友達とも別れ故郷も追われるが沢庵という師にあう。師の計らいで三年の修業してのち、人間修行の旅に出る。そして京都の吉岡道場・奈良の法蔵院、柳生石舟斉などの名だたる強敵と会って自分の未熟さに気づく。巌流島の剣客佐々木小次郎との果たし合いを最後に、彼は「剣を道とする人間完成」をめざす。「人間を斬る具と見なされていた剣を一つの『道』にまで高め」「乱世の凶器から平和を守る剣へと変わらせる」という作者の人生観による人間形成の理想像が描かれてる。
映画化も昭和17(1942)年の東宝の連作からはじまって、1973年の松竹加藤泰監督迄11回に及んでいる。
○『帰郷』大仏次郎
『帰郷』は昭和23年に毎日新聞に連載された、大仏次郎の新聞小説である。発刊は24年で出版社は苦楽社というのであったが、このベストセラーになった年の出版社は六興出版社である。理由は分からない。物語は、元海軍軍人守屋恭吾が他人の罪をきて異郷を彷徨い戦後に帰郷するが、彼の求める日本の伝統は荒廃して彼の声は虚しくこだまするだけである。戦後の、軽薄な風潮にたいする作者の憤りが背景になっているようである。その意味では、この年のベストセラーには,
敗戦後に対する自責の念とでもいうような心の動きが感じられる。この年、松竹大庭秀雄監督によって映画化されている。
○『文学入門』桑原武夫
『文学入門』は『第二芸術 現代俳句について』( 昭和21年) についで、この年に上梓された桑原武夫の文学理論の柱石をなすものと言ってもいい。この1904年生まれの、山登りによって「人生には冒険に依ってしか切り抜けられぬ場合のあること」を自覚した男の、極めて冒険に満ちた、ある意味で無鉄砲ではあるが、戦後の文学理論の「近代性」と「戦闘性」とを支える理論的支柱となった入門書である。
旧時代の文学界を代弁するような俳句の世界に、制約された表現条件をもっているがゆえに俳句は第二芸術だという議論は、俳句の開いてきた文学性への偏見を感じさせもするが、その制約条件のゆえに俳句を志す人々に徒弟的拘束を与えた、という一面を鋭く指摘していることは,
戦後の民主主義的視点ではあったろう。
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