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text/引地 正

無着成恭『山びこ学校』が戦後日本の中ではじめて明らかにした本当の農村の貧しさ、その中で民主主義を教えられる子供たちの悩み、苦しみには、その子供たちの差し迫った行方も絡んで切実であった。同時に、戦後を生きる一つの方向を示すものでもあったのであろう。

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 この年、出版界は小康。新聞・出版用紙の統制が全面撤廃された。代わって講和問題が浮上して関心をあつめ、『世界』の10月特集が15万部を売った。後半では文庫本がだされて盛況。新刊点数も15,536点をかぞえる。雑誌1,572誌。 芥川賞は石川利光『春の草』安部公房『壁』堀田善衛『広場の孤独』、直木賞は源氏鶏太『英語屋さん』久生十蘭『鈴木主水』柴田錬三郎『イエスの裔』。毎日出版文化賞も多くの全集や浩瀚書が受賞しているが、いずれの受賞作もベストセラーにはなっていない。

○昭和26(1951)年のベストセラー10
ものの見方について   笠信太郎   河出書房
少年期   波多野勤子   光文社
戦後風雲録   森 正蔵   鱒書房
武蔵野夫人   大岡昇平   講談社
源氏物語 一   谷崎潤一郎   中央公論社
新・平家物語   吉川英治   朝日新聞社
山びこ学校   無着成恭   青銅社
源氏物語 弐   谷崎潤一郎   中央公論社
自由学校   獅子文六   朝日新聞社
現代用語の基礎知識   自由国民社編   自由国民社
文学入門   桑原 武夫   岩波書店

 このうち、同年映画になっているのが『自由学校』と『少年期』と『武蔵野夫人』である。『山びこ学校』も映画化しているが、それはむしろ原作の教師無着成恭とその教え子たちの書いた作文集の売れ行きに乗っている。
 戦後日本の中ではじめて明らかにされた本当の農村の貧しさ、その中で民主主義を教えられる子供たちの悩み、苦しみには、その子供たちの差し迫った行方も絡んで切実であった。同時に、戦後を生きる一つの方向を示すものでもあったのであろう。この本が出されると、全国から教職員の見学者が同校に集まって、更に本書の購買を促進したのであった。私は、宮城県遠田郡中埣村村立中学校の出身であるが、担任や教頭が山びこ学校の山形県山元中学校に研修旅行にいってきて、無着先生の熱意を語ったのを覚えている。
 映画『山びこ学校』は, 翌年の封切りで日本教職員組合が出捐している。
『自由学校』は朝日新聞の連載時から評判ので、映画化にあたっては吉村公三郎監督の大映と渋谷実監督の松竹とが競作して、しかも同じ週に封切られるという評判の作品となった。内容は社会や家庭から逃げだして、浮浪者の群落に飛び込んだサラリーマンの話で, 当時の戦後世相を痛烈に批判していると評判の小説であった。
『少年期』は戦中戦後における、心理学者の波多野勤子と息子との往復書簡をまとめたものであるが、出版としては光文社のカッパブックスのこうしとなったベストセラーである。新書判であって厚く、欧米におけるペーパーバックの機能を独特の形をもって立ち上げたものであった。また、カッパブックスには、内容としてのタブーが無かったのも特徴で、これ以後, 経済も法律も科学も従来庶民にとって難しいとされた内容にも果敢に挑んでいくことになった。それが戦後の大衆化、民主化に迎えられて大いなる成功を収めた。映画化は松竹によってなされているが、動員数はどうだったか。小学校でクラスごとか学校ごとか、連れられていった覚えもあるのである。
 笠信太郎は東京高商を出たあと、大原社研から朝日新聞にはいり、当時、朝日新聞の主幹。『ものの見方について』は昭和23(1948)年、ドイツ特派員としてのながい滞欧生活から帰国して初めて出したエッセイで代表作となった作品。ついで、『花見酒の経済』『お城と勲章』『如何にして20世紀を生き延びるか』『日本の姿勢』等の著書が続く。著者は、戦後良識派の筆頭に数えられる論客で、『シュペングラーの歴史主義的立場』( 昭和3 年) が最初の著作である。
 森正蔵は『旋風二十年』に次ぐベストセラーである。彼は笠と同年の1900年(明治33年)生まれで、東京外語から毎日新聞に入っている。ハルビン、奉天、モスクワの特派員を歴任して社会部長で終戦をむかえている。この『戦後風雲録』にもその続きとしての戦後史が描かれている。
『武蔵野夫人』は、著者の大岡昇平が若いころに影響をうけたスタンダール流の恋愛小説を実現したものだといわれている。招集従軍して戦後捕虜となって帰国した大岡は、最初に『俘虜記』を発表して知的散文として受け入れられた。つづいて出したのが本書である。復員してきた青年と従姉妹との微妙な感情の交流は、私小説とは違った甘さと哀しさがあって、ぎごちないが清純で若々しい関係の登場は、ベストセラーには相応しかったの考えも知れない。映画は、この売れ行きに乗じた感じがあって読者がどれだけ観客となったかはわからない。
 谷崎潤一郎の『源氏物語』は、一二ともベストセラー入りしているが、これは前代未聞のことであってさすが谷崎という評価であった。しかも、谷崎のこの源氏物語は遂に今日まで映画化されることはなかったから、ベストセラーは明らかに本の力である。また、作品の一部は教科書にもなっているから評価の高さは疑問の余地のないもので、むしろ読むことが読者の課題だったのかもしれない、とさえ思われる売れ行きであった。
 吉川英治の『新・平家物語』は、いわずとしれた平清盛の出世物語である。時代物にまつわる指向は、当然ナショナリズムである。吉川英治の著作の殆どが、ベストセラーになっているのはそれを表しているかも知れない。敗戦国の日本にとって、盛者必衰の理は一つの展望の論理であった。盛者必衰の理をあらわす平家の栄光と衰亡は、作者不詳の『平家物語』がさまざまに琵琶法師によって語られて以来、物語として断片的には描かれることはあっても正面切って語られたのは, 本書が最初である。
 平家物語は、語りを題材に様々な人間ドラマを描かせた。『太平記』『曽我物語』などを始めとする、浄瑠璃、歌舞伎、狂言、能、謡曲などの主人公の維盛、清盛、重盛、俊寛、袈裟御前等みな馴染みのものである。
 近代に入っても、芥川龍之介『袈裟と盛遠』、高山樗牛『滝口入道』、田山花袋『通盛の妻』等が書かれ、平家物語が出し物としての展開を持っていたという特色もあって、戯曲などを入れると更に多数の作品を生み出している。しかしこれらの物語を、近代のなかで集成したものはなかったのである。映画化も55年、56年とされているが、原作の売れ行きに押されて制作されているというふうで、遅ればせである。
『現代用語の基礎知識』は、変化する時代に最も早くついづいするための用語解説事典である。昭和20年8月15日に、敗戦が報じられると9月には出されたという『日米会話手帳』はその最たるものであったろうが、時が必要とするものに応える企画は見事にあたってベストセラーとなったのである。初年度は、日米会話手帳の360万部には及ばなかったが、その後『イミダス』や『智恵蔵』を伴って、毎年数百万部の市場を開くようになったのであるから企画としては、消化力を備えた立派な企画であった。
 事典辞典の権威主義的にならなかったのも良かったし、直近の事柄について権威主義はついていけなかったということも、この事典には幸いした。その結果は、新聞記者と職業的に安定しないが将来性のある学者の卵たちによって、新しいジャーナリズムの素地を作ることになったのはその後のメディアにとって幸いな事であった

 

               
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