キ ム チ p r o f i l e
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ライブドアが証券取引法違反容疑で東京地検特査部の捜索を受け、東証には個人投資家のIT株を中心とした売りが殺到し一時は全取引を中断する騒ぎになった。関係者が不自然な自殺をし、経団連の奥田会長がライブドアの加盟承認を「非常にミスった」と発言し、東証社長は上場廃止を示唆し、フジテレビは提携解消へと動く。

朝日新聞の記事によれば、ライブドア問題で東証が全銘柄を売買停止にした18日夜、首相官邸では記者団の質問が昨年の総選挙で「小泉自民党」が支援した堀江貴文との関係に集中し、「堀江氏の著作は『カネがすべてだ』という考えで貫かれているが、こういう価値観を共有していたということですか」という質問に、首相のいらだちは頂点に達して「一部だけを取り上げるのは変じゃないでしょうか。ワンフレーズだけ取り上げるのは良くないと思いますね」と応えたという。小泉首相がいらだちを隠さないのは、堀江貴文が「拝金主義」の象徴に祀り上げられ、小泉が進めた改革路線がそれを助長し、格差社会を拡大させたのではないかという批判が出始めたことに、危機感を持っているからだという。

繰り返して書くが、ながながと堀江貴文を取り上げてその言説を批判しているのは、彼を誹謗し毀損することが目的ではない。幾つかの容疑から捜査を受けた途端に、容疑者を犯罪者のように扱うこの国のジャーナリズムに与することもしたくない。

小泉が言うように、堀江貴文の著作のワンフレーズを取り上げるのではなく、くどくどと読み解いてきたのは、堀江貴文を偏った特殊な人物だと考えるからではなく、彼がこの国のこの時代の寵児であり、ひとつの自画像であると考えたからだ。

この連載の初めから、小泉の総選挙の勝利に始まり、その構造改革路線、それを支える中谷巌や竹中平蔵といった論者が登場し、規制の緩和、競争の自由化、その結果としてある程度は容認されるべきだとされる格差の拡大などが話題になってきた。ライブドアと堀江貴文をめぐる争点は、確かにこの見やすい構図の中に納まっている。しかし、最初に堀江貴文をこの連載に召喚したときから語っているように、そうした構図の是非を直接的に問うことがこの小論を駆動しているわけではない。問題は、ホリエモンを動かす欲望であり、それがどのような形でわれわれの生活のなかに浸み込んでいるかということである。

ホリエモンとは誰かといえば、それはわれわれ自身なのである。ほら、そうマーケティング論がささやいている。ホリエモンをとかげのしっぽにしてはならない。

2006年1月23日号掲載 | 

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