キ ム チ p r o f i l e
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「言われているほど日本社会に格差はない」と小泉首相は発言し、格差をめぐる議論が再燃しているらしい。格差をめぐる議論は8年前に橘木俊詔の『日本の経済格差』(岩波新書)が出て、すでに一度沸騰している。佐藤俊樹『不平等社会日本』(中公新書)、斉藤貴男『機会不平等』(文集文庫)などが続き、一方では大竹文雄の『日本の不平等 格差社会の幻想と未来』(日本経済新聞社)が、人口高齢化と単身世帯の増加で格差拡大の見かけを説明できると書いているらしい。三浦展の『下流社会』(光文社新書)や山田昌弘の『希望格差社会』がベストセラーになり、大前研一『ロウアーミドルの衝撃』(講談社)や藤井厳喜『這い上がれない未来』(光文社)、林信吾『しのびよるネオ階級社会』(平凡社新書)が、格差拡大を前提とした論調で議論を進めている。

『下流社会』の三浦展はこの格差の拡大を、中流化の「1955年体制」から、階層化の「2005年体制」へと表現している。55年体制とは当時の自由党と民主党が保守合同して自由民主党になり以降の自民党一党体制をいうが、「この政治的には東西冷戦構造時代の体制であり、経済的には高度経済成長期にあたる。そして消費面では、大衆消費社会が拡大発展し、中流社会が拡大していく時代であった」。それは「言いかえると、稼いだ富を一部の資本家階級、支配階級だけが独占するのではなくて、幅広い国民に均等に分配して、中流社会をつくっていく。こういう富の平等な分配の社会、中流化を目指したのが55年体制であるとい言える」(『下流社会』、27頁)。

「あなたの生活程度は世間一般と比べてどれぐらいですか」と質問する内閣府の「国民生活世論調査」において、1958年には「中の下」と「下」を合計すると49%に登っていた。しかしながら高度経済成長下の73年においては、「中の中」だけで61.3%に上っている。この数字は1996年には57.4%になり、2004年には52.8%に減っている。そして「中の下」は23.0%から27.1%に増え、「下」も5.2%から6.5%に微増しているという。全体を見渡せば、「中の中」が減り、「中の下」や「下」が増え、同時に「中の上」が10%前後を維持しているのが今の時代であり、一枚岩だった中流が、「上」と「下」に二極化する傾向が見えてきたというのである。

マーケティング情報誌『アクロス』の編集長を勤めたことのある三浦は、この数字がマーケティング的に意味するところを巧みに表現している。

100万人の市場があったとして、同じ商品(例えば男性用ビジネススーツをイメージしてみよう)を買うにも「上」のクラスは10万円の商品を、「中」のクラスは7万円の商品を、「下」のクラスは3万円の商品を購入すると仮定しよう。

1958年モデルは、「上」が4%、「中」が41%、「下」が55%となる。売上を換算すると、

10万円 × 4万人 40億円
7万円 × 41万人 287億円
3万円 × 55万人 165億円
         
    合計   492億円

となる。

これが73年の中流社会モデルになると、「上」が8%、「中」が64%、「下」が29%で、

10万円 × 8万人 80億円
7万円 × 64万人 448億円
3万円 × 29万人 87億円
         
    合計   615億円

になる。

この中流化トレンドの中で、日本の家電産業、自動車産業、アパレル産業などあらゆる産業が売上を伸ばし、日本の企業は中流向けに商品を作るのが得意になった。

「しかし今後、「中」が減って、「上」が増えるとすれば、「上」に向かって商品をつくるノウハウがもっと必要になる。」(『下流社会』、32頁)

2005年体制において、「中」が減って「下」が増えて「上」が高止まりする階層が進むとして、201*年に仮に「上」が15%、「中」が45%、「下」が40%になると仮定すると、

10万円 × 15万人 150億円
7万円 × 45万人 315億円
3万円 × 40万人 120億円
         
    合計   585億円

となって、73年モデルの合計を割ることになる。

しかし、現実に進行しているのは、デフレの進行で7万円のものを買うべき「中」が「下」に近づいて5万円のものしか買わなくなったというユニクロ現象であり、結果として、

10万円 × 15万人 150億円
5万円 × 45万人 225億円
3万円 × 40万人 120億円
         
    合計   495億円

という時代であるという。合計金額は、73年モデルの80%程度になってしまうが、バブル期の売上の7割から6割といわれる百貨店業界などには、まさにこのモデル当てはまることになるかもしれない。

この事態をマーケティング的に克服するために必要なことは、15%の「上」クラスに、15万円や20万円のスーツを買ってもらうことである。

仮に20万円の商品を買ってもらったとした場合、

20万円 × 15万人 300億円
5万円 × 45万人 225億円
3万円 × 40万人 120億円
         
    合計   645億円

となり、ようやく73年モデルを追い越すことになる。

トヨタのレクサスは、この「一部の富裕層」に向けたマーケティングの始まりだという。「思えばトヨタクラウンの発売は1955年である。55年体制の始まりとともにクラウンは登場し、その後、カローラ、コロナ、そしていつかはクラウンという典型的な階層上昇型消費モデルを提示することでトヨタはフルラインナップ型の大企業へと成長した。まさに一億総中流化時代を象徴するのがクラウンなのだ。」(『下流社会』、39頁)

この単純な算式によって、日本の企業が総中流化社会に適応したマーケティングを得意とし、いま格差社会における消費マインドを捉えきれずに外来のブランド品に市場を席巻されている状況を説明する手際には説得力がある。しかし、ここからホリエモンの話へと議論を戻すためには、その裏側に生じていることをもう少し見る必要がある。

2006年2月20日号掲載 | 

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