そのとき姉と仲良く手をつないでいた無口な弟が突然語り始めた。

「アランの盟友であった蓮實重彦の著作を引用することによってあなたは、アランの小説が容易に説話論的構造に還元可能なことを指摘したかったのでしょう。アランの小説はあからさまに探偵小説やスパイ小説の構造をなぞっている。それはアランのクリシェなのだと。アランは探偵小説やスパイ小説の構造をなぞりながらそれを、その細部において換骨奪胎していた。昔の流行の言葉で言えば「脱構築」でしょうか。構造というものの特性は変換が施されながら同一の還元可能な構造を保つことです。変換の方法は様々でありうる。そして『ジン』の場合、その変換式は「フランス語の文法」だったのです。その変換式をもちろんシモンは知る由もない。それはシモンが存在し、シモンが語っている世界のオーダーと、シモンが語られている物語のオーダーが異なっているからです。語られてるシモンは自分が語られている物語のコードを知ることができない。しかし同時に、シモンはフランス語の教師としてフランス語の文法に従って物語を語る者でもあったのです。あなたが「アラン・ロブ=グリエ――フランス語のレッスン」というテキストによって書こうとしていたのは、アランがシモンの物語をフランス語というコード、つまりは法に従わせることによって、物語が物語として成り立つ秘密、つまりは物語が物語として成り立つために皆が知らないふりをしている秘密を、物語の表層にあからさまな形で刻み付けようとしたことに賛嘆したからでした。それはあなた自身が、例えば『ヴェルティコ』という8ミリ映画の失敗作でやってみたかったことだからです。」

「あなたはどうして私の考えていることが分かるのですか?」とKは恐れにも似た驚愕にとらわれながら言った。

「それは当然のことよ。」と雄弁な姉が再び口を開いた。「この子はあなたの息子で、あなた自身でもあるからよ。双子の姉弟に指令を与える父。それがあなた。あなたが従っている指令はあなた自身の指令でもあるわ。」

そのとき私は狼狽していた、と正直に告白しよう。それというのも姉と手をつないで立っている無口な幼い弟と思っていたその人物が、いまや自分自身と見まがう風貌をしてそこに立っていたからであり、その横にはいつも口やかましく私の一挙手一投足に注意を与える私の恋人が立っていたからだ。しかし私は、それを口に出し、私自身が狼狽していることを周囲に悟られまいと二人から目を離して、そこには誰も立っていないかのように振る舞おうとした。狼狽を周囲に悟られることは自分に与えられているミッションにさしさわるように思えたからだ。

(第6章了、以下次号)

2008年4月21日号掲載

▲page top

turn back to home | 電藝って? | サイトマップ | ビビエス



>>最初から読む<<

p r o f i l e